世尊
「次の経文を 説きましょう。
汝等なんだち 亦また 随したが いて 如来の法を学すべし。 慳恡けんりん 生じることなかれ。
未来世において善男子・善女人 如来の智慧を信じる者には 当まさに この法華経を演説して 聞知もんち 得せしめんべし。
その衆生をして 仏慧ぶつえ を 得せしめんが為の故ゆえ なり。
若し 信受しんじゅ せざらん衆生には 如来の深法じんぽう の中に於いて 示教利喜じきょうりき すべし。
汝等なんだち 若し 能よ く 是かく の如ごと くせば 即ち是すでに諸仏の恩を報ずるなり…… とあります。
この意味は
汝等なんだち 亦また 随したが いて 如来の法を学すべしは
衆生の皆も、如来の心に随したが って 如来の教えを学ばねばならない、という意味。
仏の精神をよく会得えとく して、仏(世尊)の歩んだ道を、同じように歩みなさいという教えです。
そして 未来世において 如来の智慧を信じるの善男子・善女人あれば、
けっして惜しむことなく・何も迷うことなく この法華経を説いて聞かせなさい という意味です。
それは その人に、仏と同じ智慧を得させるためなのです。
もしも、この教えを信受しんじゅ しない者があれば、そのときは私が説いたほかの深い教えの中から、
その人の機根きこん に適した教えを選んで 除々に導いてあげなさい。
示教利喜じきょうりき とは、教えに導く合理的な順序のことです。 「示教利喜」 じきょうりき
まず、最初は、大体の意味を示して 相手の心がそれに動いてきたら 次に深い意味を教えます、
深い意味も理解できるようになった次は、その教えを実行して利益りやく を 得るように導いていきます。
利益りやく を得て喜びを覚えた衆生に、次に
この法華経の教えを受持し保ち実行することが 人生最大の喜びとなるように 説き導くのです。
次が非常に大事な経文です。
○私が説いたほかの深い教えの中から、その人の機根きこん に適した教えを選んで……とあります。
私(世尊)の説法は、対機説法たいきせっぽう を主体として、八万四千の教えの法門があります。
八万四千の教えの中から、相手の機根やその場合・場面に応じた適切な教えを選び 自在に説くのです。
私(世尊)の数多くの説法には、あらゆる衆生の機根に応じた説き方の類型が、示されています。
菩薩・衆生の皆さん、ぜひ、参考にしてください。
○即ち是 すでに諸仏の恩を報ずるなり……とあります。
人を正法しょうぼうに導くため、ベストの努力を尽くすことが、諸仏のご恩に報いる行為なのです」。
「多宝如来の目的」:「多宝如来の出現」
世尊の説法が終わっても、法座の菩薩や大衆たちは皆、身体中に大きな喜びが満ち溢れています。
彼らは皆 身体を深く曲げ頭を低く垂れて合掌し 固い約束を三度、繰り返し申しあげました。
『私たち一同は、世尊の御心みこころ の通り、世尊の教えを受持して実行していきます』。
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菩薩たちの固い誓いの言葉を うなずきながら聞いていた世尊は やがて
「十方の世界からこの娑婆国土へ、来集らいしゅう されていた分身の諸仏ぶんしんのしょぶつ の皆さん、
及び 多宝仏塔たほうぶつとう も どうぞ そろそろ 本来の世界へお戻りになり落ち着きになられてください」と。
十方の世界から来集らいしゅう されていた この法座の無量の諸仏・多宝如来たほうにょらい は
法華経の教えが、末世まつせ にても受持、流布るふ されることを、見極められたので安堵の様子であります。
とくに、多宝如来は、ご自分の役目が終了したので、心からご満悦まんえつ の表情でございます。
ボサツマンには そう見えました
まもなく 多宝如来・無量の諸仏は 世尊に合掌・礼拝を繰り返し、自分の国土へお帰りになられました。
多宝如来さま 諸仏さま お気をつけてお帰りください また お会いしましょう!
でも 仏さまに 気をつけては無いよな オイラが気をつける立場ですよね ゴメン……ボサツマン
末世まつせ において
”法華経の教えに依って、娑婆世界が寂光土じゃっこうど (浄土)になる”という結論を、皆、会得できたので
上行菩薩じょうぎょうぼさつ ほか、無数の菩薩衆、舎利弗しゃりほつ を筆頭に 声聞衆・縁覚衆の多く
天上界のものも 人間界の衆生も 人間以外の生き物たちも あらゆる生命ある一切のものが皆
この上ない喜びに満ち溢れ、大歓喜 だいかんぎ に浸っておりました。 「薬王菩薩本事品第23」へ