ボサツマン 世尊に抗議しました
「ええ〜! 仏は菩薩だけを教化するって? 声聞・縁覚・比丘・比丘尼・衆生は教化しない、とはおかしいでしょ。
みんな仏の弟子ですよ、今迄の説法と矛盾過ぎます」 ……世尊に抗議するのは失礼だぞ……すいません
世尊
「ボサツマンよ、まづ落ち着きなさい。 話は最後まで聞くものです。
では ー諸仏如来はただ菩薩のみを教化したもうーの意味を説きましょう。
衆生が仏の道を進む際、一番最初に大事なことは、清浄な心を取り戻すことなのです。これは真実です。
では、清浄な心とは、どういう心なのでしょう。 それは、無我の心むがのこころ のことです。
無我の心とは、自分と他の人々と共に和合わごう するー和の心ーのことです。
この無我の心むがのこころ になった衆生だけが、本当の悟りを得ることができるのです。
他の人の心と離れた自分勝手な心の衆生には、本当の悟りはありません。
他の人の悟りはどうでもよいのだ、只、自分が悟れば良いのだと思う衆生は、自分勝手な心の衆生です。
自分勝手な心の衆生は、和の心が欠如した衆生です。
和の心が欠如した衆生は、自分だけが良ければというー我がーの気持ちが捨て切れていないのです。
こういう衆生は ー「諸法無我」 しょほうむが の境地ー に至ってないので、真の悟りの境地を得ていません。
このことを理解してこそ、本当の悟りの境地と、完全な解脱げだつ を、衆生は得ることができるのです。
ボサツマンよ、良く聞きなさい。 ハ・ハイ‥うわ、いきなり名を呼ばれた、びっくりした〜!
真の救いとは、自分と大衆と共に救われることです、つまり、自他不二の救いが真の救いなのです。
ー衆生を救うための修行を行う人ーを菩薩というのです。
菩薩の境地に達してこそはじめて、自分の心と身体で仏の本当の教えを理解できるのです。
ですから、仏の悟りを求め修行中の衆生は、早く菩薩の境地へ、駆け上がることです。
これが、ー諸仏如来はただ菩薩のみを教化したもうーの意味です。
しかし、諸仏は、菩薩以外のものも、けっして見捨てることはありません。 「声聞/縁覚」:「仏の十大弟子」
舎利弗しゃりほつ よ、よく聞くのですよ、
諸仏は、声聞・縁覚・大衆も、真の仏知見ぶつちけん (仏の智慧)を得させようと、真剣に考えています。
声聞しょうもん や縁覚えんかく が修行して得た悟りとは、悟りに至る過程の悟りなのです。
当然、菩薩行で得た悟りも又同じで、悟りに至る過程の悟りに過ぎません。
過程の悟りとは、仏ほとけ になるための通過点の悟りです。
衆生を仏の悟りに導くため、仏が説いているのは、一乗の法いちじょうのほう だけです。
一乗の法とは ー人間は皆成仏できるーということです。
つづいて ー仏の屋敷にある智慧の間ー について説きましょう
仏の屋敷にはー智慧の間ーという部屋があります。 その屋敷の外には、いろいろなー門ーがあります。
衆生が、仏の屋敷に入り中のー智慧の間ーに向かうには、必ずひとつのー門ーを通過していきます。
声聞の悟りの門を通る衆生と、又は、縁覚の悟りの門を通る衆生との、二乗にじょう があります。
ー門ーを通過した衆生は、中庭を眺めながら進み行くと、仏の屋敷の正面に辿り着きます。
さあ、次には玄関を見つけなければ 仏の屋敷には入ることができません。
窓のガラスを破って侵入すると、犯罪になります。 そんなことは分かっていますって‥‥‥ボサツマン
仏の屋敷の玄関とは、菩薩行ぼさつぎょう のことです。
つまり、菩薩だけが玄関に入ることができ、奥座敷のー仏の智慧の部屋ーへ進むことができるのです。
菩薩行が仏の屋敷の玄関である、ということを、衆生は理解しなければなりません。
しかし、玄関の中に入ることができても、まだ、安心できません。
仏の屋敷の規定によると、玄関でお茶は出ません。 つまり、一服する時間はありません。
奥座敷のー智慧の間ーへ入った衆生だけに、特別な・茶・菓子が差し出される規定になっています。
とにかく、休むことなく ー智慧の間ーを目指して進まねばなりません。
智慧の間ちえのま の座布団に座って、やっと・ゆっくりと、寛くつろ ぐことができるのです。
衆生の皆さん、是非、ー仏の智慧の部屋ーへお越しください。 素晴らしい感動に浸ることができますよ。
このように、東の門も、西の門も、玄関も、まだ、奥座敷を目指す通過門に過ぎません。
仏の屋敷のー智慧の部屋ーを目指す衆生は、まづは、ひとつの門をくぐり、玄関まで進むことです。
菩薩行の玄関に入った衆生には、如来が奥から出てきて、奥座敷まで丁寧に ご案内いたします。
仏の智慧の間を目指す衆生は皆、このような経過を辿るのです。
ボサツマンも、これで、よく理解できたことと思います。 ‥‥‥ハイ‥‥ボサツマン
仏が教えを説く本当の目的は、仏の奥座敷に入ってもらう、これただひとつなのです。
仏は、その通過点において、二乗・三乗の方便の教えを説いているのです。
これが、仏の説く一仏乗の教えの意味なのです。
オイラはボサツマンだから、イキナリ玄関に入ってもいいよね んなわけないか!‥‥‥ボサツマン
私(世尊)は今迄にも 説いてきました、
仏は、すべての衆生に仏の智慧を得てほしくて、この世に出現しているのです。 これは真実なのです。
つづけて、深心の所箸じんしんのしょじゃく と、五濁の悪世ごじょくのあくせ について 説きましょう」。
ボサツマン
「思いきって質問して良かったです。 さっきのオイラの質問の答えは、衆生は、まづ、菩薩に成ることなのですね。
今まで、声聞・縁覚・菩薩の位置関係がハッキリしなかったですが、今の説明で、良く解かりました。
ふむそうか 仏の屋敷に門や玄関があるんだ、ー仏の智慧の部屋ーは 奥座敷にあるのですね。
よく考えりゃ、そりゃそうですよね、家には玄関から入らなきゃ、泥棒ですよね。 ……オイラは、またまた感銘……」
つづく 深心の所箸 じんしんのしょじゃく