927 | (延長 5年) | 朝廷より従五位下に叙され下野国押領使に補され、唐沢山城を築き居城とする |
940 | (天慶 3年) | 下野押領使・藤原秀郷は、平貞盛らと兵4,000余を率いて下野国で平将門を破る(天慶の乱)。朝廷、その功を賞し従四位に叙し、武蔵・下野両国守に任じ、鎮守府将軍とす(竜太、竜治郎、竜八らに命じ唐沢山に井戸を掘る 大炊井伝説) |
947 | (天暦 1年) | 秀郷、平将門兄弟の断罪と功田などを申請する |
1179 | (建久 2年) | 源頼朝、那須の原の巻狩の帰途、唐沢城による |
1189 | (文治 5年) | 藤原泰衡討伐に、佐野、小野寺等参戦する |
1213 | (建暦年中) | 佐野成俊、唐沢城を完成する(11代)田沼の稲荷神社を築く |
1221 | (承久 3年) | 承久の変に佐野一族上洛し、活躍する。小野寺道綱宇治川において戦死 |
1331 | (元弘 1年) | 佐野一族に北条高時より出陣の督促状が来る。笠置城攻撃に参加、このとき大塔宮・新田義貞・足利尊氏らに分かれて活躍する |
1491 | (延徳 3年) | 佐野盛綱、唐沢城を補修する |
1553 | (天文22年) | 上杉謙信、唐沢城へ来る |
1559 | (永禄 2年) | 北条氏康、唐沢城を攻める。上杉謙信、救援のため唐沢城へ入城する |
1576 | (天正 4年) | 上杉家と不和、上杉勢唐沢城を攻める |
1581 | (天正 9年) | 免鳥城合戦 |
1583 | (天正11年) | 佐野宗綱、足利の長尾顕長と戦い須花坂で戦死する(28代) |
1587 | (天正15年) | 小田原北条氏忠、佐野家へ養子。佐野氏忠という。尾形山(唐沢ゴルフ場)に住む |
1590 | (天正18年) | 佐野天徳寺了伯(29代)、豊臣秀吉の小田原征伐に案内役となる。佐野一族の活躍。秀吉奥州からの帰途、唐沢城へ来城、上野・下野諸大名と面接する |
1593 | (文禄 2年) | 秀吉の家臣、富田知信の次男信種を養子に迎え、名を秀吉の一字(吉)を貰って佐野信吉という(30代) |
1600 | (慶長 5年) | 関が原の戦いの後、徳川家に味方する |
1602 | (慶長 7年) | 唐沢城を廃止し、春日岡(現城山公園)に築城を開始する |
1613 | (慶長18年) | 春日岡城が廃城となる。代官大河内等の支配となる |
1883 | (明治16年) | 秀郷、特旨を以って正三位を追贈される |
1883 | (明治16年) | 唐沢山につながる人たちが東明会をつくり唐沢山神社建立、本殿及び拝殿を創建し藤原秀郷を祭祀する |
1890 | (明治23年) | 別格官幣社となる |
1893 | (明治26年) | 皇太子殿下(大正天皇)行啓 |
1918 | (大正 7年) | 秀郷、特旨を以って贈正二位とされる |
1922 | (大正11年) | 唐沢義勇少年団の発会(佐野常羽) |
1950 | (昭和25年) | 唐沢子供会の誕生 |
1955 | (昭和30年) | 栃木県立自然公園となる |
1960 | (昭和35年) | 唐沢ボーイスカウト誕生10周年事業 |
1963 | (昭和38年) | 「栃木県唐沢青年の家」開所 |
1969 | (昭和44年) | 唐沢ボーイスカウト誕生20周年記念事業 |
2007 | (平成19年) | 「栃木県唐沢青年の家」閉所(3月31日) |