ちょうど50年前、オールドスターズの前身、オールスターズが誕生しました。

チーム勝敗と個人成績

 セピア色の思い出。
 
==STARS昭和史==
 
オールスターズからオールドスターズへ。

昭和31年(1956=49年前)、
オールドスターズの前身、オールスターズの創立の年。
於・小平町サレジオ学園。



桜井名誉監督(40才)


林一雄監督(19才)


松本昭選手(20才)


林孝選手(14才)


桜井大樹少年(9才)

写真には25人の若者たちがいる。
そのうち、ユニフォーム姿の選手は
12人、応援の男女、子供は13人。
今の若者や子供たちに比べて、笑顔
がホントに清々しいのは
気のせいだろうか…。


昭和31年(1956=53年前)、
左は現在の林監督(19)。
右は東久留米市の連盟の重鎮、松本氏(20)。

何度も優勝、そのたびに林宅で祝勝会。

後ろは畑と雑木林。現在はこの背景には滝山団地群。
昭和31年頃。

昭和32年(1957=52年前)、東久留米町の大会。
バッターは4年前まで在籍していた向山選手(学帽の高校生)。
*キャッチャーは面を着けてない!!
*“公式審判”は下駄バキ!!

昭和32年(1957=52年前)、春の東久留米町の大会。
選手より応援団のほうが多かった。数えてみたら選手11人、応援団28人!
右端の腰に手を当てているのが桜井名誉監督40才の時。
場所は東久留米小学校。

昭和32年(1957=52年前)、
東久留米町の大会で優勝。林投手宅で祝賀会。
トロフィーが“強かった”証拠です。
左のタバコをくわえた“佐田啓二”風なのが林監督、右の坊主頭が林孝選手。

昭和34年(1959=50年前)、春の東久留米町の大会。
初めて作ったユニフォーム。袖を通したときの感触は忘れられない。
右・松本捕手、中・林(一)投手、左・四番打者・渡辺氏。

昭和36年5月の大学ノートに克明に記されたスコアブックの一部。林選手(現監督)がエースで3割バッター。
林孝選手は、成長途中的打率。


昭和38年(1963=42年前)、秋の東久留米町の体育大会に参加した通信住宅チームは、ソフトボール優勝、バレーボールは2位の好成績を収めた。16才の桜井投手(後列中央)が速球で活躍。

それから25年…。

1988年4月2日 オールドスターズとして新たなるスタート!

1988年のアルバムから見つけた写真

1993年5月23日

2006年9月26日


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