動物の命と地球環境に対する人間社会のあり方について考える(序論)

はじめに

 当サイトでは、動物愛護および動物福祉の観点から、動物の命、動物と人間とのかかわり、そして地球環境といったテーマについて考えていきます。そもそも、これらの問題に取り組もうと決意したのは、純粋に、もっと生命を尊重し大切に扱うべきだという直感的な思いからなのですが、最初に、一般社団法人スピリット・ヴォイスとしての主張や活動の根拠となる基本的な考え方・世界観について述べておきたいと思います。

 “現在”を理解するためには歴史的な視点をもつことが重要であるように、目の前の個々の問題との取り組みにおいても、その全体像を見据えた立体的な視野が必要です。動物の命と地球環境に対する人間社会のあり方といった問題との取り組みにおいても、このようなアプローチが必要であると考えることから、まず、我々が取り組む問題の全体像について、生命の誕生と進化という、すべてを包み込むような悠久の大きな枠組みを通して考えてみたいと思います。

生命に関する仮説について(悠久の時の流れのなかで)

1.生命について
 宇宙や生命の成り立ちについて、現代人の一般常識となっているビックバン説や進化論などを基本に考えを巡らせると、地球上の生命は、悠久の時の流れのなかで、すべてつながっているという認識に立たざるを得なくなります。それは、地球上のすべての生きものの命は、38億年前に誕生したと考えられている単細胞生命からさまざまな進化の道筋をたどって現在にまで至っている、つまり遡って考えると、すべての生命が何らかの形でつながっているということを意味しています。それではさらに、地球上の生命がつながっているということは、どのような意味をもつのでしょうか。また、そもそも生命とは何なのでしょうか。

 まず、人間の命について考えてみましょう。人間の身体は他の生きものと同じように有機物でできています。しかし、人間の命は、有機物によってできた身体によってのみ存在し得るものなのでしょうか。そこには、有機物から組成されたものということだけではなく、命の源泉としての何らかの力やエネルギーが働いていて、それが我々の物質としての身体と一体となることによって生命を形成していると考える方が自然なのではないでしょうか。実際、人類の歴史の中で、多くの民族が、人間には、その生命力や精神世界をつかさどる神秘的な力、すなわち魂が宿っていると考えてきました(ただ、人間以外の生きものや無生物にも魂があると考えるかどうかということについては、民族や宗教による違いが存在します)。一方、現代では、人間の精神世界は脳がつかさどっているものであって、魂などそもそも存在しないと主張する人たちがいますが、一歩譲って、たとえ精神世界の部分についてはそういうことが言えたとしても、生命の源泉が何なのかということについては未だに科学的に解明されている訳ではありません。つまりここで言う、生命の源泉としての魂は、少なくとも現時点では、存在しないと科学的に断言できるものではなく、反対に存在するかもしれないという可能性を踏まえて、魂とは何かということについて思考実験を試みてみることには、生命とは何かということを突き詰めて考えていくうえで大きな意味があるのではないかと考えています。

2.魂について
 それでは、まず人間の魂について考えてみましょう。人間に魂があるとするならば、そもそもいつから具わったものなのでしょうか。人類の歴史には始まりがあります。それはその進化の道筋が猿人から枝分かれした500万年〜600万年ほど前だと考えられています。もし人間だけに魂があるとするならば、魂とは、その頃突如として、人間だけに具わったものということになります。もしそうであるならば、そのとき人間と他の生きものとを分けたものは何だったのでしょうか。あるいは、そもそもそのような違いは存在し得るものなのでしょうか。冒頭の生命のつながりということから考えると、そのように考えるよりも、生命の源泉となる神秘的な力、魂は、本来すべての生きものに具わっていると考える方が自然なのではないでしょうか。すなわち、『生きているということは、命の源泉である魂が、有機体(物質)である身体と一体となっている状態である』と考えてみるということです。魂に関する第一の仮説です。

 それでは、魂が、悠久の生命のつながりの中で、生命の源泉としてすべての生きものに共通の力やエネルギーだと考えると、実際に人間を含めた生きもの間に歴然と存在する違いについては、どのように理解すればよいのでしょうか。それは、現代科学が明快に説明しているように、生命体としての違いは、悠久の進化の過程を経てDNAに定義されている身体および身体能力の違いによって現れるということに他なりません。人類は、直立歩行をするようになったことによって、大脳が大きく発達し、他の生きものには類を見ない頭脳を持つようになり、文明というものを築き上げてきました。一方で、他の生きものたちはそれぞれ(人間よりも)優れた嗅覚や聴覚、あるいは運動能力などの特色ある能力を持っていて、それが故に種としての命を繋ぎ止めてきました。つまり、それぞれの生きものは、その身体が持っている機能や能力によって特徴づけらるということであって、生きているということ自体においては、人間も含めて、すべて生きものは基本的に同じ存在であると言えるのではないでしょうか。そういう意味においても、この地球環境は、人間のためだけにあるものではなく、人間もこの地球上の生態系を構成するひとつの構成員であり、あくまでもそのなかで生かされている存在であるということを忘れてはならないのではないかと思います。

 さらに魂に関する仮説を進展させると、冒頭の地球上のすべての生命はつながっているとする前提から、魂は生命をつないでいく機能を持っているとも考えられるのではないでしょうか。そして、38億年前の生命の誕生から現在までの生命のつながりということを考えると、そこには、少なくとも結果的に見て、方向性が存在するということが言えるのではないでしょうか。つまり、宇宙が137億年前のビックバン以来、膨張し、成長・発展し続けているのと同じように、38億年にわたる地球上の生命の進化および多様性ということを考えると、『魂は、生命を成長・発展の方向へとつないでいく力を働かせている』ということが言えるのではないかと考えてみるのです。魂に関する第二の仮説です。

3.宇宙の摂理について
 このように考えてくると、地球上のすべての生きものは、その魂が持つ力によって、命を成長・発展の方向へとつないでいく存在として、ひとつひとつが貴重な存在であり、宇宙の摂理として、それぞれにこの地球上で生きていく意義があると言えると同時に、そのための基本的な権利すらあると考えてもよいのではないでしょうか。ここまで話を発展させると、人間に対する害虫や害獣、あるいは生きもの間の捕食関係については、どう説明するのかという声が聞こえてくるようですが、これについては次のように考えてみてはどうでしょうか。それは、生命の営みは、他の生きものの命をもらって命をつないでいくということも含めて、全体として成長・発展していくという摂理に基づいているということなのではないかということです。そう考えてくると、生命の源泉である魂は、エネルギーとして永遠に循環する不滅の存在として捉えることができるかもしれません。他の生きものの命を頂く、あるいは自らの命をつないでいくために他の命を絶つということは、魂がエネルギーとして循環し、形を変えて命をつないていくというように考えることによって、生命は全体として成長・発展していくという宇宙の摂理に基づいた、生命が魂を通して循環する営みであるということが言えるようになるのではないかと思います。そう考えると、正さなければならない問題は、全体として生命をつないでいくことにならない、魂が宇宙の摂理として持っている生命の成長・発展の方向性に反するような行いであるということになるのではないかと思います。それは恐らく、人間のみがなし得る行為で、例えば、環境破壊による生態系の破壊や伴侶動物の殺処分などの問題ということになるのではないかと思います。

4.人間の責任について
 生命はつながり成長・発展していくという宇宙の摂理のなかで人類が誕生し、人類は同じ摂理によって繁栄を続けてきました。しかし現代に至って、その宇宙の摂理に反するように、人類は地球環境と生態系を毀損し続けており、このままいくといずれ地球の生態系を崩壊させてしまうことになるかもしれないという危険性すらはらむようになっています。人類による地球環境破壊のペースが、地球の自己再生能力を少しでも上回る限り、いずれ必ずその時はやってくることでしょう。かつて恐竜の絶滅に伴い、哺乳類の興隆を含む新しい生態系が形成され成長・発展してきたように、既存の生態系が崩壊すると、やがてまた宇宙の摂理に基づき、新たな生態系が形成され、多様な生命が全体として成長・発展していくということになるのでしょう。ただその時は、この地球上の風景は大きく異なったものになっていることでしょう。例えば、現在の昆虫の仲間が、人間のような高度な知能を獲得し、偉大な文明を築いているといったようなことになるのかもしれません。それはまるでSF映画のような世界で、たとえそのようなことになってしまうとしても、少なくとも何百万年も先の時空のことであり絵空事としか思われませんが、そのような可能性がゼロだと言い切ることは恐らくできないのではないでしょうか。

 さて、このようなシナリオを回避し、現在の生態系が、宇宙の摂理に基づき、さらに成長・発展していくためには、必然的に人間がその行いを改めなければなりません。そしてそれは突き詰めれば、我々人間の心の問題ということになります。自然の神秘に感動し感謝する心、地球環境を尊び生命を慈しむ心がもっともっと増えて地球全体の主流となれば、そのような方向転換が可能となることでしょう。そしてそれは実のところ、人間の心が全体としてより豊かで徳の高いレベルに昇華していくという、謂わば、心が進化していく過程、すなわち人類が自らの生き残りのために必然的に辿らなければならない新たな進化の道筋なのではないかというような気がします。このように考えてくると、ひとつ楽観できることに思い当たります。それは、魂に関する第二の仮説(ここで立てた仮説は、現在の科学ではまだその成否を証明できないため、仮説としては生き続けます)から導き出される次の結論です。

 『宇宙の摂理に基づき、生命を全体として成長・発展の方向へとつないでいく魂の力を信じ、その“魂の声”に耳を傾けることによって、我々人類は心の進化を遂げ、地球環境と地球環境が育んだ命を尊び慈しむ世界を必然的に構築してくことになるだろう』

より良い未来に向けて

 動物の命と地球環境に対する人間社会のあり方といったことを考えるに際し、生命の誕生と進化、そして生命に関わる宇宙の摂理といった非常に大きな枠組みを通して、創造力たくましく思考実験を試みた結果、生命に対する人間社会のあるべき姿は、人間の心のあり様といったことに行きつき、しかもそれは、我々人類が地球の生態系のなかで生き残っていくための更なる進化の過程として、必然的に通らなければならない道筋であるといった結論に至りました。そのことはすなわち、私たちには、地球環境と地球環境が育んだ生命を尊び慈しむ心と、地球の生態系の頂点に立つ存在として、他の動物、そして自然との真の共生のために何をなすべきかを知り行動することが求められているということになります。

 私たち、一般社団法人スピリット・ヴォイスは、このような観点から“魂の声”に耳を傾けながら、動物の命、動物と人間との関わり、そして地球環境といったテーマに対する我々の考え方やビジョンを、さまざまな活動と提案を通して、世の中に問うていきたいと考えています。