縄文時代(紀元前11000年〜紀元前3世紀)

 ここでは、日本人と動物との独特の関係性が形成されていくうえで大きな影響があったと考えられる時代を訪れ、その歴史的変遷をたどり、日本人と動物との関係という観点からみた民族性や文化の本質的な部分を描き出すことを試みます。それは、これから私たち日本人がどこへ向かおうとしているのか、あるいはどこに向かうべきなのか、といったことについて論じるために、私たちが何で、どこから来たのかといったことを理解しておく必要があると考えるためです。そして、その歴史の旅は、今から約1万3千年前にまでさかのぼる縄文時代から始まります。

縄文時代の概要

 縄文時代は、おおよそ紀元前11000年から紀元前300年までの約1万年にわたって続いた時代で、縄文土器の分布は、北は宗谷岬と千島列島から南は沖縄本島までの、ほぼ現在の日本全域に及んでいます。縄文人の生活手段は主に狩猟採集ですが、雑穀や豆類などの栽培も行われていました。

 
 長野県宮ノ前遺跡/中期  
 
新潟県笹山遺跡/中期
 
北海道内藤遺跡/中期

 縄文土器が持っている不思議なパワーは一体どこからくるのでしょうか。縄文土器は、現代の我々が見ても、非常に独創的で力強い印象を受けますが、どうしてこのようなデザインである必要があったのでしょうか。次から次へと疑問が湧いてきて興味は尽きませんが、神秘のベールに包まれた、我々日本人の遠い昔のルーツである縄文文化の世界を探っていきましょう。

アニミスティックな精神世界

 縄文人は様々な動物型土製品を残していますが、これらは自然や動物たちに魂や神々の存在を見たアニミズム(精霊崇拝)の世界に、私たちの心を誘います。
 

サル 

ヤマネコ 

シャチ 

ミズドリ

イノシシ 

モグラ 

 動物たちに対する縄文人の特別な思い、動物たちが持っている神秘的な力に対する畏敬の念のようなものが、これらの土製品には込められているのではないでしょうか。


カエル 

アザラシ 

フクロウ 

ヘビ 
 
イノシシ
 

マキガイ

 以下は、人間をかたどった土製品、土偶です。これらの土偶が持つ神秘的なインパクトは、遥か昔の縄文人の精神世界に対する私たちの創造力を掻き立てます。

 
群馬県東吾妻郡郷原/後期
 
長野県中ッ原遺跡/後期

長野県棚畑遺跡/中期 

 山梨県鋳物師屋遺跡/中期

青森県風張1遺跡/後期 

青森県亀ヶ岡遺跡/晩期 


縄文時代の犬

 縄文人と犬との親密な関係は、少なくとも紀元前6500年に遡ります。それ以前の状況については、骨自体が日本の火山性酸性土壌によって溶けてしまうため、実証が困難だと言われています。縄文時代の犬は、その丁寧な埋葬状況や人と一緒に埋葬されているケースが見られることから判断して、狩猟犬として重宝されただけでなく、縄文人にとって精神的に特別な存在であったことがうかがわれます。


右の拡大写真(千葉県白井大宮台貝塚)

犬を人と同じ場所に埋葬(白井大宮台貝塚)

 下、左側の写真は、発掘された骨に基づく縄文犬の再現イメージです。右側の写真は現代の柴犬で、縄文犬に姿形がよく似ていますが、縄文犬の直接の子孫だと考えられています。これは、古来、日本人のアニミズムや自然崇拝の精神性に基づく、自然の成り行きであると考えられています。ブリーディングは、19世紀後半に西洋化の波が押し寄せるまでは、基本的に日本文化の伝統には馴染まない概念でした。


縄文犬の復元像

現代の柴犬


縄文人の世界観

 縄文時代の遺跡から見つかる人骨には、後の弥生時代に比べて、戦いの傷跡を残したものが著しく少ないことから、縄文人は比較的戦いの少ない平和な社会生活を営んでいたと考えられています。また、縄文人の竪穴式住居は多くが、集落の中央に位置する円形広場を整然と取り囲むように建てられており、そこには貧富や身分の差のない平等な共同体社会が形成されていたと考えられています。そして、縄文時代の人びとは、その土器や土偶などの土製品が持つオーラのような神秘性な力にみられるように、自然の中のあらゆるもの(人間を含む動植物や雨・風などの自然現象等)に精霊を見い出し、精霊との霊的な交流を行う精神世界(アニミズム)のなかに生きていました。縄文時代の貝塚からは、貝殻だけでなく、動物の骨や人骨、さらに壊れた道具類など、さまざまなものが出土しますが、これは、縄文人が貝塚をごみ捨て場ではなく、役割を終えた精霊を祀る神聖な場所だと考えていたことを示しており、自然や人間社会を構成するあらゆるものの精霊と、すべてが平等な存在として、日常的に交流する精神的世界観(宗教観)をもっていたと考えられます。

 このような縄文人の自然と一体となり自然とともに生きる精神性は、我々現代の日本人のDNAの一部分を構成しているはずで、その遠い記憶をいかに呼び覚ますことができるかどうかが、現代の我々に課せられた課題のような気がします。そして、この縄文人の考え方や世界観は、日本古来の神道にも脈々と引き継がれています。神道の源流には、人間、動植物、岩や山川、風や雨などの自然現象、すべてのものに霊魂が宿っていて、人間が何らかの霊魂を祀ったときに、それは神になるという原理が流れているといいます。我々の世界を構成する霊魂を敬い手を合わせる心は、現代の我々にとって非常に重要な生き方ではないかと思います。