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江戸期の華麗な文化を凝縮させた 明治の七宝
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奈良時代に中国から伝来したのが日本の七宝の始まり。
七宝の名は金、銀、瑪瑙(めのう)、赤珠(しゃくしゅ)、瑠璃、玻璃(はり)、蝦蛄(しゃこ)の七つの宝石から由来するともいわれています。
技法的には有線七宝、無線七宝、省胎七宝、象眼七宝などがある。
靖之が追及したのは、有線七宝という技法。それまで一般に知られることのなかった技法を幕末のころ、現在の愛知県の梶常吉が解き明かし、瞬く間に京都や東京にも広まった。
有線七宝は、金属の胎(ボディ)に、文様の輪郭線として金や銀の線をテープ状にして貼り付け(植線)、その線と線の間に釉薬をさして焼成・研磨を繰り返す技法である。
このような技法を駆使した靖之の作品は、多様な色彩と、深く透き通った艶が特徴。靖之はそのほか、難しいとされた黒色透明釉や、筆のタッチのような繊細な植線づかいを極め、あでやかな花鳥や叙情的な風景を描きだした。
無線七宝は、ガラス釉を埋めた後に、境界に用いた線を取り、焼き付けたもの。そのため隣りどうしの色が微妙に混じり合い柔らかい風合いを醸し出す。
無線七宝は東京の涛川惣助が得意とし、西の並河、東の涛川と称賛された。
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