並河靖之の年譜

 
 弘化2年(1845)、川越藩家臣高岡九郎左衛門の三男として京都に生まれた靖之は、数え年11歳の時、青蓮院宮侍臣並河靖全の養嗣子となると同時に、その家業を受け継いで自らが青蓮宮(後の久邇宮朝彦親王)侍臣となりました。

 維新をはさんで後、中国七宝(鬼国窯)の模倣に着手し、ついに明治6年(1873)、第1号の完成品に成功しました。靖之の七宝作家としての歩みはここに始まります。

 靖之の作品から感じられる典雅な趣は、このような青蓮院門跡へ仕える傍らで身につけた美的感覚の現れだったのかもしれません。また、同時代をともに担った画家や工芸家や文人、華族方といった人々との幅広い親交も見逃せません。

 こうした環境の中で培われた靖之の作品は、国内外で多くの受賞を重ね、明治29年(1986)には帝室技芸員に任命されました。以下に、靖之の足跡をご紹介します。




弘化2年

1845

9月1日、川越(埼玉県)藩主松平大和守家臣高岡九郎左衛門の三男として、京都屋敷のあった柳馬場御池に生まれる(幼名留蔵)。

安政2年

1855

青蓮院宮侍臣並河靖全の養嗣子となり、名を政次郎と改める。

 

 

靖全没後、家督を相続し、青蓮院宮近侍となる。

安政5年

1858

元服し、名を主税と改め、諱を靖之と定める。

明治6年

1873

鬼国窯(中国七宝焼)の模造を試み、12月に食籠を完成。宮家に仕えるかたわら、七宝業を始める。

明治7年

1874

尾張の桃井英升を招き、七宝の技術指導を受ける。

明治8年

1875

4回京都博覧会に七宝花瓶を出品、有功銅賞受賞。

明治9年

1876

横浜のストロン商会と5年間の契約を結ぶ。

フィラデルフィア万国博覧会に出品、銅賞受賞。

明治10年

1877

1回内国勧業博覧会に鬼国窯舞楽図花瓶(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を出品、鳳紋賞牌受賞。

明治11年

1878

東京で七宝釉薬の改良を指導していたドイツの化学者ワグネルが京都の舎密局に着任(〜明治14年まで)。

パリ万国博覧会に銀製七宝茶入を出品、銀賞受賞。

久邇宮(元青蓮院宮)家従を辞し、七宝製造業に専念する。

明治14年

1881

2回内国勧業博覧会に銅器七宝花瓶を出品、有功二等賞受賞。

明治16年

1883

アムステルダム植民地産物及び一般輸出品万国博覧会に出品、銀賞受賞。

明治18年

1885

ロンドン万国発明品博覧会に出品、銅賞受賞。

ニュールンベルク金工万国博覧会に出品、銀賞、紀年賞受賞。

ニューオリンズ万国博覧会に出品、一等金賞受賞。

明治20年

1887

皇居(明治宮殿)御造営御用品の美術品につき契約を結ぶ。

明治21年

1888

バルセロナ万国博覧会に出品、銀賞受賞。

明治22年

1889

日本美術協会会員となる。

パリ万国博覧会に出品、金賞受賞。

明治23年

1890

京都美術協会発足し、評議員となる。

3回内国勧業博覧会に鳳凰唐草紋七宝花瓶を出品、妙技一等賞受賞。

明治26年

1893

緑綬褒章を受章する。

シカゴ・コロンブス万国博覧会に出品、優等賞(銅牌)受賞。

明治27年

1894

並河邸竣工。

明治28年

1895

4回内国博覧会に七宝四季花鳥壺を出品、妙技一等賞受賞。

明治29年

1896

帝室技芸員となる。

明治30年

1897

帝国京都博物館の開館にあたり、新製品を依頼される。

明治33年

1900

パリ万国博覧会に四季花鳥図花瓶(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を出品、金賞受賞。

明治36年

1903

5回内国勧業博覧会に金線七宝竹図花瓶を出品、二等賞受賞。

明治37年

1904

セントルイス万国博覧会に出品、金賞受賞。

明治39年

1906

賞勲局より勲章製造の特命を受ける。勲章工場を東京下谷上根岸に設ける。

明治43年

1910

日英博覧会(ロンドン)に出品、名誉賞(金牌)受賞。

大正7年

1918

山科に恋鯉荘を造る。

大正11年

1922

エドワード皇太子(後の8世)、並河邸を訪れる。

大正12年

1923

七宝工房を閉鎖する。

昭和2年

1927

5月24日、83歳にて病没。

特旨を以て位記を追賜、従七位に叙せられる。

  
  
法人の概要
 
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