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「ヒマラヤを歩く」  テーリダム開発の現場から

 全長2510Hのガンジス河はインド一の大河だ。そのガンジス河源流のバギラッティ河で、高さ260.5m、堤頂長1100mという巨大なダムの建設が行われている。
 ダムの名前はテーリダム。計画ではダムは240万キロワットの発電と27万ヘクタールの農地の灌漑に利用されることになっている。しかしその一方で、貯水池に沈む40を超える村や町の住民たちが立ち退きを求められており、その数は数万人とも十万人ともいわれている。その中でもっとも人口の多い町が、今回訪れたテーリだ。
 テーリの人口はおよそ2万人。ヒマラヤ山間部地方(ガルワールヒマラヤ)の行政と経済の中心で、町のまん中には人の往来が絶えないバザールがあり、まわりには病院や大学、裁判所などがある。
 ダム建設は、この町のすぐ下流で行われている。現在は基礎工事が終わり、河はすでにせき止められていて、あとはダム本体工事を残すだけとなっている。 しかし、数年前からテーリダムの工事は目立って遅れるようになってきた。その理由は、このプロジェクトを支援してきたソ連邦の崩壊だ。ソ連という国家が解体して、テーリダムは融資面で暗礁に乗り上げてしまった。
 ダム建設反対の住民運動は、十数年前から続いている。92年春、反対派リーダーのバフグナさんが不当逮捕に抗議して、無期限の断食闘争に入ったとき、ナラシマ・ラオ首相は1ヶ月半後に工事の中止とプロジェクトの見直しを表明した。多くの問題を抱え、資金面でも行き詰まりを見せていたテーリダム建設についに終止符が打たれたかと思われた。
 ところが昨年、テーリにある裁判所にたいして、ニューテーリへの移転命令が出された。ニューテーリは、ダム完成後に湖底に沈むテーリの町の行政機構をそっくり引き継ぐために造られている新しい町だ。ダム工事は中断されたのではなかったのか。 疑問を抱いた私は、テーリを訪れてみることにした。
  ガンジス河中流域の都市バラナシから夜行列車とローカルバスを乗り継ぎ、30時間近くかかってようやくヒマラヤ山間部の町テーリに着いた。
 町を歩き、バザールを何度も往復し、そこで知り合った学生にダムについて尋ねてみた。
「(ダムは)いつできるんだろう?」
 はじめ「わからない」と答えた学生は、少し考えたあと「3年後くらいかなあ」とつぶやいた。
 ダムが完成するとテーリの町は湖底に沈む。
「そのとき、どうするんだい?」
「ぼくはもう大学を卒業しているから、この町にはいないと思う。家族? 両親は山奥の村で農業をしているよ。ぼくはここで一人暮らしをしているんだ」
 二人連れの若者にも聞いてみた。
 彼らは互いに顔を見合わせながら「ダムができるのは1年後だったんじゃないかな。そのときどうするかって? 心配ないよ。ぼくたちはニューテーリに移ることになっているから」。
 憂いのないあっけらかんとした答えだった。
「ニューテーリに行ったことはあるのかい?」
「一度だけある」
「ここから歩いていくと、どのくらい時間がかかる?」
「歩いていくのは無理だよ。ぼくたちはバスに乗って行って、それでも2時間かかったから」
「バスで2時間!」
 ニューテーリは、テーリ住民の移転用の町だ。だから二つの町の間は、歩いて1、2時間くらいの距離に漠然と思っていた。大きな思い違いだった。いったいその新しい町はどんなところにあるのだろう。若者の話を聞いて興味をかきたてられた私は、翌日、バスに乗ってニューテーリへと向かってみることにした。

誰のためのニューテーリ
 テーリを正午に出たバスは、バギラッティ河にかかる橋を渡ると、砂ぼこりの舞う荒涼とした風景の中を通り過ぎていく。道路がダム堰堤の高さにまで達すると道はアスファルトになり、バスはさらに高度を上げていく。斜面に開けたいくつかの村を通過して山の上に出たとき、突然、目の前にコンクリートジャングルの都市が姿を現わした。ニューテーリだった。バスがテーリを発ってから1時間半が過ぎていた。
 昨日、調べたところによればテーリとニューテーリの高度差は1000m。バスを降りると、陽射しは強いが空気は冷んやりとしている。足下深くの谷にテーリの町が沈んでいる。バギラッティ河をはさんで向かいあう山の上にヒマラヤの巨峰が白い姿を現していた。
 あてもないので、とりあえず巨大な造成地といった感じのニューテーリの町中を歩いてみた。ほとんどがまだ工事中だったが、一部移転住民用の団地で完成しているところもあった。入居者もいたが人影はまばらだ。それよりも目を引いたのは、景色のよさそうな場所に続々と建てられるリゾートホテル風の建物や豪華な邸宅だ。歩くほど、「ここはいったい誰のために造られているんだろう」という疑問が湧いてきて、途中、何度も立ち止まってしまった。
 正面にヒマラヤの白峰を見ることができるこの土地は、都会から訪れた旅行者にとっては絶好のリゾート地になるかも知れない。しかし、テーリ住民の移り住む場所としてはどうだろう。これまで山に囲まれ、山とともに暮らしてきた人々にとって、そこはすべてが異質で、人工的で、管理された場所だ。そこではテーリ住民のこれまでの生活環境をまったく無視した都市造りが行われている。
 1985年以降、政府はテーリの住民に対して、新たな建物の建設や事業の開始を認めていない。その一方で公共投資はすべてニューテーリに注ぎ込んできた。テーリはすでに過去の町となったはずだが、住民の多くは住み慣れた自分たちの町を離れようとしなかった。そこで、しびれを切らした政府は昨年、まず裁判所からニューテーリへの移転を命じたのだった。
 しかし、人々の間には、たとえニューテーリに移転したとしても、その後の生活手段をどうやって確保したらいいのか、将来に不安を抱いている人が少なくない。それどころか、実際にどれだけの人がニューテーリに移転できるのかさえまだはっきりしていない。ましてテーリ以外の地域に住む人たち全体の移転問題となると、雲をつかむような話になってしまう。

ガンジス河を救う会
 テーリに戻った翌日、ダム工事現場近くの河原に建つ板張りの小屋を訪ねた。入り口に小さく「ガンガ バチャオ アンドラン(ガンジス河を救う会)」と書かれている。そこは、バフグナさんをリーダーとするチプコ(ヒマラヤの森林伐採に反対して立ち上がった人たちのグループ)の運動家たちが、ダム建設に反対して2年前から座り込みを続けている場所だ。
 小屋を守っていたディベンドラさんは、突然の訪問にもかかわらず快く迎え入れてくれ、ダム建設に反対する理由や聖なるガンガ(ガンジス河)についてを語ってくれた。
 ヒマラヤを流れるバギラッティ河は、テーリ下流の聖地デアプラヤグでアルクナンダ河と合流して一つになり、ガンジス河と名前を変えてインド平原へと流れ出していく。インドでは、二つの河の交わるところは聖地だ。ディベンドラさんによると、バギラッティ河にもう一つの河(支流)が流れ込むテーリにもガネーシュプラヤグと呼ばれる聖地があるといって、その場所を示してくれた。
 ダム建設反対の先頭に立つバフグナさんはその著書の中で、この地域が地震の巣となっていること、巨大ダムの建設はそれ自体が地震を誘発する危険性があることを指摘している。もし建設されたダムが決壊すれば、下流のリシュケシやハリドワールなどの都市が洪水に見舞われるため大災害になると警告している。バフグナさんとともにダム建設差し止めの訴訟を起こしている弁護士のサクラニさんは、今後のヒマラヤ地域の開発促進にともない森林の減少や地滑りの増大が予想されるため、ダム貯水池の堆砂速度が速まり、ダムの経済的寿命は35年ほどにしかならないだろうという試算結果を発表している。政府はテーリダムの有効年数を100年と見積もっている。
 2年前、一度は工事の中止とプロジェクトの見直しを表明した政府の約束はその後どうなったのだろうか。ディベンドラさんによると「工事はゆっくりになったけれど、今も続いている」。
 環境問題や住民の移転補償問題など、未解決の問題はあまりにも多い。テーリダムはこのあと、どのような道をたどるのだろうか。

<『バーラト通信準備号』 1994.6.1/禁無断転載>

 

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