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「プールニマの祈り」  11月の満月

 先日、バラナシで見事な光の饗宴があり、しばらく時間のたつのも忘れた。11月の満月、プールニマの日のことだった。
 その日の午後、私たちは大家に誘われて小舟に乗り、ゆっくりとガンジス河を下っていった。やがて、古いパンチャガンガのガート(階段状になった河岸)手前に小舟が着くと、ガンジス河を見おろす小さな寺院に上がった。境内では祭の準備がはじまっていた。それは石のテーブルの上に100以上並べられた素焼きの小皿(ディパック)に油を注いでいく作業だった。

 足下に夕闇がせまるころ、用意された小皿はガンジス河にせりだすテラスに運ばれ、手すりや欄干の上と下に次々と並べられていった。このような準備をしているのはその小さな寺院だけではなかった。気がつくと隣の家にもその隣の家にも、そして河岸のガートにも灯油を注いだ小さな小皿がぎっしりと並べられていた。

 それらの小皿に火がともされるころ、突然街中の電気がストップした。街は停電となり、一瞬夕闇の中に沈むようだったが、次の瞬間、無数の小さな炎がいっせいに燃え上がり、ガンジスの河岸をくっきりと浮かび上がらせた。
 「おおーっ」という人々の声が暗がりの中でこだました。テラスにいた私は足下に広がる小さな明かりのゆらめきにしばらく心を奪われていたが、ふと視線をあげると、いつのまにか暗いガンジス河の上に赤い大きな月が出ていた。対岸に集落はない。日が暮れればそこは闇である。11月の赤い満月と人々の祈りを捧げる赤い小さな炎が、夜の河をはさんで静かに向かいあっていた。

 夜は暗い。そのあたりまえのことを私たちはいつしか忘れてしまったようだ。そして暗闇の中には畏れとともに安らぎもあることも、また忘れてしまったようだ。
 それにしてもバラナシの人たちは2000年来、このように月を愛でてきたのだろうか。それは日本では味わうことのできない豊かな時間の流れだった。

<『バーラト通信第2号』 1994.12.10/禁無断転載>

 

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