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「インド人の考え方」  一匹のネズミから

 12月に今の家に引っ越してきたが、1週間ほどたってひとつ困ったことに気づいた。台所は広くて快適になったのだが、夜になるとどうもかさかさと不審な物音がする。次の日に台所を点検してみると、食料品の入った袋の一部がかじられていた。どうやら早くもネズミが侵入してきたらしい。
 はじめのうちは食料品を箱に入れるなどの自衛策をとっていたが、日中もネズミが台所をうろつきまわるようになって、ついに「捕獲する」強硬手段をとることに決めた。

 バザールに行くと木製のネズミ取りを売っている。仕組みは日本のものと同じで、中に入ってきたネズミがえさに食いつくと、留め金がはずれて入り口のとびらが閉まり、ネズミは外に出られなくなるというものだ。違いは日本のものが丈夫な鉄線でできているのに対して、インド製のものは板でできているということ。木箱である。値段は14.5ルピー。
 「こんなものでほんとうにインドのネズミが掛かるのだろうか」と思いながら、ためしにひとつ買って家に帰った。バターを塗ったパンを仕掛け、台所の下のネズミのフンが散らばっているあたりに仕掛けておいたら、1時間後に「ばたん」ととびらの閉まる音が聞こえた。
 ネズミ取りの天井部分だけは板の代わりに針金が通してあるので中を見ることができる。とびらの閉まった木箱を上からそーっとのぞくと、どぶネズミほどの大きさのネズミが歯をむいて天井の針金に噛みついていた。バザールでよく見かけるネズミはハツカネズミくらいの小さなものだったが、いま木箱の中にいるのはまるまると太った大きなネズミだ。

 問題はそのあとだった。こんなに早く捕まえることができるとは思ってもいなかったので、捕ったあとのネズミの始末までは考えていなかった。日本でも最近はネズミを捕ったことがない。ずいぶん前に一度、ネズミを捕まえて、ネズミ取りごと近くの川に沈めて息の根を止めたことはあるが・・・。インドではどうしているのだろう。
 この近くで川といえばガンジス河だ。でも、ガンジス河へネズミ取りを持っていって、ヒンドゥー教徒が沐浴をしているその横でネズミを川に沈めるというのはさすがにはばかられる。考えあぐねた末、翌朝、庭の手入れに来る大家に、ネズミの始末のしかたをたずねることにした。ネズミはとりあえず一命をとりとめ、木箱の中で眠れない一夜を過ごすことになった。

「インドではネズミを捕ったあとどうするのか」という私の質問に、大家の答えはただ一言「捨ててこい」だった。
「どこへ?」
「外へ行って、溝にでも捨ててこい」
 私と大家のやりとりを聞いていた1階の住人が「遠くへ行って捨ててこいよ。近くだとまた戻ってくるから」と口をはさんだ。
「捨ててこいというのは、逃がせということか」と私。
「あたりまえじゃないか」と大家。
 私がなおも納得のいかない顔をしていると、今度は大家が質問をぶつけてきた。
「では日本ではネズミを捕ったあと、いったいどうしているんだ」
「水の中に沈める」と答えたら、大家は「なんという残酷なことを」といって顔をしかめ、早く捨ててくるようにと、手のひらを振ってうながした。

 私はインド人の考え方に習い、自転車の荷台にネズミ取りを乗せて家から離れたところまで行き、ネズミを放してやった。つがいだったのか、数日後にもう一匹同じようなネズミが掛かったので、これも同じ場所に放してやった。そのあと台所は静かになった。ネズミ取りのとびらは開いたままで、今のところネズミが入る気配はない。

新仏教徒の若者たち
 つい3、4ヶ月前、インドではペストが発生して大騒ぎになった。ペストの感染経路にはネズミが介在している。新聞や雑誌、テレビでもそのことを報道していたが、人々のあいだに「ネズミは捕まえたら処分するもの」という考え方はいっこうに根づかなかった。
 その後、複数のインド人に「ネズミを捕まえたらどうするのか」をたずねてみたが、「放してやる」と答える人が多かった。なかにはネズミを捕まえること自体に嫌悪感を示す人もいた。私の会った中で4人だけ「ネズミを捕まえたら殺す」と答える若者たちがいた。バラナシ市内の寄宿舎で寮生活を送る新仏教徒の若者たちだった。
 不殺生を戒律とするはずの仏教徒がなぜ「ネズミを殺す」のか。その理由を明らかにする前に、インドの仏教徒について少し説明をしよう。

 手元にある年鑑『インド』1993年版によると、インドの仏教徒の数は1981年の統計で470万人。総人口に対する割合は0.7%となっている(1981年の総人口は6億6500万人だが、1991年は8億4600万人に達している)。そのほとんどが1956年以降にヒンドゥー教から仏教に改宗した新仏教徒と呼ばれる人たちだ。
 インドの社会には、カースト(ヴァルナ)と呼ばれる身分制度がいまも深く根をおろしている。カーストはさらにそれぞれの職業集団(ジャーティ)に細分化されるが、大きく分類すると、上から順に司祭者・僧侶のブラーフマン(バラモン)、王侯・貴族のクシャトリヤ、商人のバイシャ、農民のスードラの4つになる。そしてスードラの下に不可触民と呼ばれるアウトカースト(被差別カースト)が存在した。

 インド独立の父ガンディーは、彼らをハリジャン(神の子)と呼んでカーストヒンドゥーと不可触民の融和を説いたが、現実には差別はいっこうに解消されなかった。この不可触民の被差別問題をめぐって、独立運動のころからガンディーと激しく対立したのが、不可触民出身の政治家アンベドカルだった。
 ガンディーが、ヒンドゥー教の枠組みの中でカーストヒンドゥーの主導による不可触民制の廃止を呼びかけたのに対して、アンベドカルは不可触民制廃止の運動をになうのは不可触民自身であり、不可触民が自らのおかれている差別的状況を自覚し、社会を変革する力を培っていくことが重要だと主張した。

 1947年、インドがイギリスの植民地支配から独立すると、アンベドカルは初代法務大臣に就任した。緊急の課題となった憲法の制定に向けてアンベドカルは精力的に働き、差別を撤廃するため既存の法律の改正にも力を注いだ。そのアンベドカルが1956年、「ヒンドゥー教のもとでは不可触民制の撤廃は不可能である」と宣言して、仏教に改宗した。
 仏教にはカーストによる差別がない。ブッダ(仏陀)は私たち(インド人)の祖先である。これが、ヒンドゥー教を捨てる決心をしたアンベドカルが改宗先に仏教を選んだ理由だった。アンベドカルは、改宗からわずか2ヶ月後にこの世を去ったが、そのときアンベドカルとともに仏教に改宗した不可触民は30万人を超えたともいわれている。その後も不可触民のあいだでは仏教に改宗する動きが続き、現在では仏教徒の数はインド国内で数百万人といわれている。ちなみにアンベドカル改宗前の1951年の統計では、仏教徒の数は18万人である。
 仏教徒の若者たちに話を戻そう。彼らがなぜ「ネズミを殺す」のか。それには彼らが語ってくれた「ヒンドゥー教徒がネズミを殺したがらない理由」から話をすすめよう。

ネズミは神のバーハナ
 仏教もヒンドゥー教も殺生を嫌うことでは同じだが、ヒンドゥー教徒にとってはネズミは神とともにある特別な生き物だった。ヒンドゥー教には多くの人格化された神がいる。そしてそれぞれの神にはバーハナ(乗りもの)になる動物が決まっている。もっとも人気のあるシバ神のバーハナは聖牛ナンディンであり、シバの息子ガネーシャ神のバーハナがネズミだった。ヒンドゥーの神話では、ネズミも牛と同様に神とともにある聖なる動物ということになる。

「だから彼らは、ペストがはやってもネズミを殺したがらないんです。ネズミはガネーシャのバーハナだから。その気持ちはわかります。私もヒンドゥーの親から生まれ、ヒンドゥーとして育ったのですから。でも仏教徒になった今はちがいます。ヒンドゥーの神話はもう関係のないことですから、私はネズミを捕まえたら殺します」。
 そう説明してくれたリーダー格の若者は、つづけて「でも、あなたがインド人の考え方を知りたいのなら、他のカーストの人たちの意見も聞いてください。私たちの考え方は、ほかの人たちとは少しちがっていると思いますから」と補足した。

 そして私は彼から質問された。「日本では捕まえたネズミを役所に持っていくとお金がもらえるというのはほんとうですか」。
 そんなことはないよ、と言おうとして口をつぐんだ。子どものころ、ネズミのしっぽを警察に持っていくと100円もらえる(10円だったかも知れない)と大人から聞いたことを思い出したからだ。子どもの一日のこづかいが10円のころの話で、ネズミのしっぽで100円がもらえるというのは魅力的な話だったが、ほんとうの話だったのかどうか、実際にネズミのしっぽを持っていったことはないのでわからない。
「子どものころ、そんな話を聞いたことはあるけど、ほんとうかどうか、よく覚えていない」とぽつりぽつりと答えると、若者は「いや、今のは新聞記事で読んだだけの話ですから」と恐縮した。

 知り合いのタイのお坊さんにネズミの後始末について同じ質問をしたところ、彼らがネズミを捕まえて殺すということはないが、一般の人は「捕まえたあと殺す人もいれば、逃がしてやる人もいる。中には捕まえたネズミを食用にする人もいる」と教えてくれた。
 ネズミを食用にすると聞いて驚くことはないだろう。私たちは外国人の多くが気持ち悪いというウナギをおいしく食べているし、ヒンドゥー教徒のタブーである牛、回教徒のタブーである豚を食べ、鳥や魚、たこ、なまこを食べ、いなごなどの昆虫も食用にしている。ネズミを食べる習慣がなかった(あったのかも知れない)だけのことにすぎない。肉や魚、なかには卵やミルクも口にしない人もいるインドの菜食主義者からすれば、私たちは多くの生き物の命を食べて暮らしている「野蛮なニンゲン」なのである。

 インドは多様な国だ。捕まえたネズミの後始末からはじまったひとつの質問が、インド社会のさまざまなかたちやものの考え方を浮かび上がらせてくれた。それは私自身にもはね返ってくる。
  ところで日本では、今でもネズミを捕まえて警察や役所に持っていくと、報奨金がもらえるのだろうか。子どものころ聞いたあの話は、ほんとうの話だったんだろうか。気になるところだ。

<『バーラト通信第3号』 1995.2.5/禁無断転載>

 

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