<目次>

 トップ

 ・プロフィール

 ・やきもの作り

 ・ギャラリー

 ・からす窯通信

 ・過去の記事

 ・お知らせ

 ・おまけ


インドで皆既日食を見る  (P)

皆既日食を見る
 皆既日食、ヒンディー語で「スーリヤグラハン」がインド大陸で観測できると知ったのは、かれこれ1年半前のことだった。その後インドで、雑誌や新聞から、今年の10月24日がその日だということを知るようになった。
 とくに関心があったわけではなかったが、新年早々カレンダーの10月24日の下に「皆既日食」と書き込んだ。

 9月下旬に戻ったバラナシはまだ東京の真夏と同じ暑さで、外出もままならなかった。このころになると、皆既日食はどの場所で見ることができるのか、見るときの注意といった記事が新聞に載るようになった。
 バラナシでは部分日食しか観察できないが、バラナシから南へ80キロほどのところにあるロベルタスガンジという町に行けば、皆既日食が見られるということがわかる。暑い中で、もうすぐ10月24日がくると思っていたが、前日にその町ロベルタスガンジにいけばいいと気楽に考えていた。

 夏の間滞在していたムスーリーで知り合ったアメリカ人のジョンも、皆既日食を見る予定だと話していた。その彼から10月15日の夕方、私たちが行く予定の町へ自分も行くことにしたという電話が入り、その二日後の17日の夕方、ジョンがやってきた。
 こうして皆既日食を見に行こうという私たちのグループは、私たち日本人二人と友人の韓国人一家(夫婦と子ども二人)、ジョンとその友人のドイツ人カップルの計9名になったのである。
 ローカルバスがあるにはあるが、本数も少なく時間がかかりすぎるので、往復タクシーを手配することになる。

ロベルタスガンジへ
 2台のタクシーに分乗し、23日午後ロベルタスガンジへと出発する。ここで一つ問題に気づいた。方向的にガンジス河を渡って行かなければならないのだが、車が通れる橋は一つしかなくその結果大回りをしなければならない。慢性的に混雑している市内を通るため、時間もよけいにかかってしまった。小高い丘を越え美しい夕焼けを眺め、暗くなりやっとロベルタスガンジに到着した。
 その日の晩はディワリと呼ばれるインドの祭りで、夜になって家の戸口に女神ラクシュミを招くための灯明が見られた。花火や爆竹が盛んに打ち上げられ、話していても声が聞こえなくなるほどだった。

観測場所を探す
 ついに24日がやってきた。朝6時に外を見ると雲一つでていない。晴れである。7時に再びタクシーに乗り、前夜宿の主人に聞いた学校へとまずは行ってみる。町を出るともう高い建物はまったくなく、日食観測には最高の場所に思われた。その学校の屋上には、すでに観測用の機材が並べられていて大勢の人たちが集まっていた。
 しかしこれからますます人が集まってくると思われ、そうなつと自由に観測しづらくなると言うことで、別の場所を探すことになる。
 2キロほど先で小高い丘を見つけ、そこに皆で登った。周囲には何もなくまさに絶好のポジションに思えた。ほどなくぞろぞろろ村人たちもやってきた。その数30人以上で女性は一人もいない。
 女性がひとりもいないのはなにもこの日に限ったことではなく、女性は家の中にいて家事などをしていて、外でぶらぶらしているのは男というのはインドのどの村でも同じである。

皆既日食を見る
 7時半過ぎにここに着いてから、少しずつ欠けていく太陽を特殊めがねで眺める。私はいつもかけているメガネの上にこの特殊メガネをかけて見たのだが、隙間から光が入ってしまい、その後二日間ほどは目が痛かった。
 8時を過ぎ半分以上太陽が月に覆われても、周囲はまだふだんと変わらない明るさだった。しかし徐々に太陽がまるで三日月のような形になってくると、夜明けや夕暮れとは違った薄暗さになっていった。
 ほとんど月と太陽が重なり、そしてついに太陽が月に覆われた。皆から歓声が上がる。「重なった!重なった!」と叫んでいる村人たちもいた。重なっている間だけは裸眼で太陽を見ても大丈夫なので私も見ようとするが、いかんせん太陽は遠くよく見えない。双眼鏡を持っていることを思い出し、少し離れたところに取りに行き元に戻って急いで見る。月が完全にかぶさっても太陽は思った以上に光(コロナ)を放っているのがわかる。とてもきれいだ、と思っているまもなく左上の方が輝きだした。ダイヤモンドリングがあらわれたのである。あれっと思う間に皆既日食は終わってしまった。

70秒のはずが・・・
 ウッタルプラデシュ州観光局が出した外国人観光客向けのパンフレットによると、ロベルタスガンジで太陽と月が重なる皆既日食の時間は約70秒となっていたのでじっくりと見ることができると思っていた。
 初めはゆっくりと進んでいるように見えた太陽と月の動きが、重なってからはかなり早くなった気がした。しかしどう思い返してみても皆既日食は20−30秒で、その間私が、太陽を見ていたのは10秒もなかったように思う。あまりにもあっけなかった。70秒はあるとゆったり構えていたのがいけなかった。あとで写真も撮らなかったことに気づく。こうして一生に一度見られるかどうかの世紀の出来事は終わってしまった。
 薄暗くなった周囲がまた少しづつ明るくなっていったが、気温がかなり下がったことに気づく。寒いほどである。むらびとたちに感想を聞くと「よかった」のひとことであった。しかしどうも彼らにとっては皆既日食を見た体験以上に、いろいろな国からの外国人である私たちを見たことのほうが印象に残ったようであった。

世紀の出来事が終わって
 天候にも恵まれ、無事皆既日食を見ることができた。娯楽の少ないバラナシ暮らしの中で、いろいろな国の人たちと二日間にわたって過ごすことができたのも楽しかった。
 しかし70秒は皆既日食が見られると思っていたのに、その半分の時間しか見られなかったのは今思っても残念だ。観察場所の位置がずれていたのだろうか、パンフレットの数字が間違っていたのではなどと考えてしまった。
 そして今思っているのは今度皆既日食を見るチャンスがあったら、双眼鏡とカメラを首からぶら下げ1秒も無駄にすることなく見たいということである。皆既日食を見に世界中から集まる人々の気持ちもわかる気がしてきた。
 新聞によると、インドでは1999年8月11日再び皆既日食を見るチャンスが訪れるという。(P)

<『バーラト通信第6号』 1995.11.15/禁無断転載>

 

 「おまけ」にもどる