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「インドと日本」  パッカーとカッチャー

 いなかに行くと、よく「ネパーリ(ネパール人)が来た」といわれる。日本人とネパール人の顔が似ているからだ。
 ウッタルプラデシュ州には、ネパール人の出稼ぎが多いので、いなかの人もネパーリならたいてい知っている。ネパール人のほか、マニプリとかアッサミーといわれたこともある。どちらもインド東部に住むモンゴロイド系住民の呼び名だ。
「ジャパニ(日本人)だ」と名のると、
「そうか、ジャパニか」となり、しばらくして「ジャパンというのはどこにあるんだ」と聞かれる。

 村人たちの世界は、そんなに広くない。自分の村とその周辺の地域のことは詳しいが、その外側の世界の話になると、とたんに輪郭があいまいになる。そこでは、日本人もネパール人も同じような顔をしたよそ者でしかない。だから村人が日本人とネパール人を区別するのはむずかしい。
 日本がどこにあるのか。こちらは世界地図を頭に描きながらけんめいに説明をはじめる。ところがしばらくして「わかった。日本というのはネパールの向こうにあるのか」とおもむろにいわれると、まあ、そのへんでいいかと相づちを打つ。
 これが都会となると、事情はちがってくる。インドでももう少し日本は知られている。

ミスター、カワサキ!
 大学の日本語の授業中のことだ。「ひらがな」と「カタカナ」の書き方を覚えた学生たちに、彼らが知っている日本語の単語を黒板に書かせたら、「スズキ」、「ホンダ」、「カワサキ」、「アカイ」、「サンスイ」などの企業名が並んだ。さすがに大学生は日本製のものに対する関心が高い。

 インドは数年前から経済の自由化をスローガンにして、国内市場の開放を進めている。「スズキ」や「ホンダ」、「カワサキ」は、インドの合弁会社に出資して、自動車やオートバイの現地生産をはじめている。「アカイ」と「サンスイ」は、日本国内よりも海外で知られている音響家電メーカーだ。とくにインドでは「アカイ」は有名。最近は「ソニー」や「パナソニック(ナショナル)」の製品も見かけるようになってきたが、知名度では今でも「アカイ」のほうが上だ。
 でも、そのおかげで私は助かっている。「アキトシ」という名前が「アカイ」に似ているので、たいていのインド人が2、3回で名前を覚えてくれるからだ。
 ところがアの音が連続する「ハヤカワ」はむずかしいらしい。あるとき、知り合いのインド人が人前で私を紹介してくれた。 「ミスター・・・、ミスター・・・、ミスター、カワサキ!」

 日本や日本人は知らなくても、(メイド・イン・)ジャパンならわかるというインド人はふえている。街の電気屋に行くと、ジャポンとかニッポ(日本をもじったもの)というまぎらわしい名前の製品が店頭に並んでいたりする。
 日本が工業技術の発達した国であるということは、インドでも知られるようになってきた。「ジャパン」はここでも、製品の質の良さをあらわすブランドになりつつあるようだ。

ヒロシマとナガサキ
 新年になって、私たちの住む家の一階に、別の銀行員のJさん一家が越してきた。夫婦とふたりの子どもの4人家族だが、大学生の息子と高校生の娘はそれぞれ叔父の家と叔母の家から学校に通うことになったので、転勤で引っ越してきたのは夫婦二人だけだ。
 銀行員のJさんは忙しいが、奥さんはたいてい一日中家にいる。大学の日本語の授業は午後の遅い時間帯だ。それで私も、インド人と日本人のふたりの女性の昼下がりのおしゃべりにときどき加わることがある。

 あるとき、デリーで育った奥さんが興味深い話をしてくれた。それはインドと中国のあいだに国境紛争があったとき(1960年代前半)、小学生だった奥さんは校庭に穴を掘ってかくれる練習をしたという話だ。そのころのインドには、中国がヒマラヤを越えて攻めてくるという危機感があったらしい。その奥さんに日本のイメージをたずねてみた。奥さんは、これまで日本人と話したことはない。 「本で読んだことがある。学校でも習った」という奥さんのイメージは、地震の多い国、世界でいちばん早く日が昇る国、そして原爆の落とされた国だった。

 昨年の神戸の大震災はこちらでも何回か報道されたので、「地震の多い国」日本はすっかり有名になってしまった。
 日本人が意外に思うかもしれないのが、日本=原爆のイメージがインド人のあいだに定着していることだ。被爆したヒロシマとナガサキの二つの都市の名前は、トウキョウと同じくらいの知名度がある。50年たった今でも、私が日本人とわかると「オー、ヒロシマ、ナガサキ」と声をかけてくる年輩の人がいた。

紙と木の家に住む日本人
 日本について「学校で習ったこと」といえば、こんなことをいう大学教員もいた。
「日本人は、紙と木でできた家に住んでいるんだろう」
 私たちの暮らす街バラナシは、ヒンドゥー教の街だ。ここでは上位カーストのブラーフマンが幅をきかせている。大学の教員にもブラーフマンが多い。そのせいか、ときおり相手を見下したような尊大な態度を見せる人がいる。そういう態度、口のきき方をするのは、たいていブラーフマンだ。はじめから相手を見下しているようなところがあるので、ムッとする。
 この場合もそうだった。でも口論してもしようがないので、日本の家屋について説明をする。木と紙でできた家といっても掘ったて小屋ではなく、日本の気候と風土にあった家屋であること、そして今は、鉄筋やコンクリート造りの家もふえていることなど。しかし、なかには聞く耳を持たない人もいる。

 ヒンディー語に「パッカー」と「カッチャー」ということばがある。パッカーは成熟、カッチャーはその反対の未熟をあらわすことばだ。そしてヒンディー語では、このパッカーとカッチャーの区別が、驚くほど多くのものについてまわる。
 たとえば、くだものならわかりやすい。よく熟れた果実がパッカーで、まだ青くて固いものはカッチャーだ。道路はどうだろう。舗装道路がパッカーで、でこぼこ道はカッチャーになる。家は、インドではレンガ造りの家がパッカーで、わらをふいた家や泥を塗って造った家はカッチャーになる。問題は、「紙と木でできた」日本の家だが、どうもインド人の感覚ではカッチャーな家になるらしい。
 パッカーとカッチャーの区別が、このような成熟と未熟、完成と未完成のちがいを示すだけならまだいい。ところが何ごとにも上下の区別、差別をつけなければ気がすまないインド人は、パッカーに優れたもの、カッチャーに劣ったものという価値観をつけ加えるから、ことがめんどうになる。

米を食う日本人
 インドは菜食主義の人が多い。でも実際は、外で食事をする機会の多い男性を中心にインドの菜食主義は崩れはじめているが、家庭では今でも肉や魚、たまごを口にしないという人がけっこういる。
 食事がベジタリアン(菜食)か、ノンベジタリアン(肉食)かの区別ならわかりやすい。ところが菜食料理のなかにもパッカーとカッチャーの区別があるのだから、インドの食べものの話はややこしくなる。

 一年前、いまの家に移ってきたとき、得体の知れない日本人というものに興味を持った大家が「いつも何を食べているのか」とたずねてきた。
「ごはん。おかずは野菜を使っていろいろ作る」と答えたら、
「ごはん以外の主食は食べないのか」と聞いてきた。
「ごはんの代わりにめん類やパンを食べることもある。でも、ごはんを食べるときの主食は米だけだ」
 そう答えると、大家は「ほんとうに米だけか」とあきれた顔をして帰っていった。
 北インドの人たちは、チャパティやナンなどの小麦粉を練って作ったパンを主食にしている。東インドや南インドには米を主食にしている人たちが多い。バラナシは北インドの東よりに位置している。だから街なかには、おもにチャパティやナンを食べる人とごはんを食べる人がいる。ところが北インドの人たちは、ギーという油を塗ったチャパティーやナンはパッカーな食べもので、米を炊いただけのごはんはカッチャーな食べものと考えるからめんどうになってくる。北インドの人たちもごはんを食べるが、それはチャパティーやナンの付け足しでしかない。米を主食にして食べる場合は、マトンビリヤーニ(マトン炒めごはん、マトン炊き込みごはん)などの料理になる。

 バラナシで米を常食にしているのは、おもに東インドのベンガル地方出身の人たちだ。ベンガルの人たちは魚も食べるので、日本人の食生活と似ている。でもバラナシにすむ北インドの人たちのなかには、魚やごはんを食べるベンガル人を見下す人がいて「米は貧しいベンガル人の食うもの」とまで言い切る人もいる。
 私たちの大家はそこまで極端ではなかったが、北インドのパンジャブ地方で育った人なので、日本人が毎日カッチャーなごはんを食べているとわかると、少しあきれたようだった。

 先日、日本の大学に1年間留学していたという女子学生に会った。日本の食事についてたずねたら「ノー、プロブレム(問題ない)。おいしかった」という返事。
「何がいちばんおいしかった?」
「刺身。わたし、いくらが大好き」
「ベジタリアンだろう。魚を食べてもいいのかい」
「肉はダメだけど、魚はいいんだ」
 女子学生は小さな声でいいわけをした。

 外の世界を知るようになると、インド人の食生活も少しずつ変わっていく。一階に住む奥さんに日本を紹介する写真入りの英文雑誌を貸してあげたら、翌日、目を丸くしてこう言った。
「私たちの知っている日本って、昔の日本だったの?」
 奥さんが娘のころ学校で習った日本は、今では遠い昔のことになってしまった。でもそれは、わずか30年ほど前の日本である。

<『バーラト通信第7号』 1996.2.5/禁無断転載>

 

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