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「シャンティとアヒンサー」070503 New !

  左の冊子はサルボダヤのマニフェスト

 今から10年以上前、インドに2年間住んでいた。
 「シャンティ」ということばがある。平和を意味するインドのことばだ。インドに移り住んでまもないころ、単語帳に「シャンティ=平和」と書いて覚えた記憶がある。でも「シャンティ=平和」と記したとたん、なぜか二つの単語をイコールで結んだだけではもの足りないものを感じた。イコールの間から多くの意味がこぼれ落ちていくような気がした。

 シャンティは本来、どのような意味をもつことばなのだろう。疑問を持ち始めると、慣れ親しんでいるはずの平和ということばの意味も輪郭があいまいになってくる。
 平和ということばでまっさきに浮かぶのは広島、長崎の平和運動だ。被爆地から世界に向けて核廃絶を訴える広島、長崎の平和運動。この具体的で行動的なイメージが、私の中では平和ということばと強く結びついている。つづいて世界の各地で展開される反戦平和運動。
 しかし、これらのイメージを裏返してみると、平和はハレの日の特異な行動であって、ふだんの暮らしの中ではあまり意識されないもの、というふうにも読みとれる。平和ということばが運動と結びつくことで、いつの間にか平和を日々の暮らしの外側にあるものと捉えていたのかも知れない。

 インドガンジス川中流域の街バラナシ(ベナレス)郊外にあるガンディーアシュラムを訪ねたときのことだ。その日、ホールでは講演会があった。到着したとき狭いホールはすでに満員で私は立ち見だった。聴衆の多くは学生。一人目の男性の講演が終わり、二人目に女性が登場したときのことだ。
 女性は聴衆の前でしばらく沈黙したあと、おもむろに静かな低い声で「オーム」と唱えはじめた。すると、それまでざわついていた会場が水を打ったように静かになった。
 日本ではオウム真理教というカルト集団のせいですっかり誤解されているが、「オーム」ということばは宇宙の森羅万象をあらわすインドの真言(マントラ)。聖音とも言われ、インド人ならだれもが知っている。
 女性はホールが静まりかえったのを確認してから静かに語りはじめた。私はそのときの場の変化に驚いた。空気は一変して、さきほどまでのざわめきはどこへやら。このしんとした静けさはいったい何なのだろう。しばらくして「静謐」ということばが浮かんだ。まもなく、ああこれがシャンティなのだと了解した。

 シャンティということばは静寂とも訳される。平和。静寂。でも日本では、平和ということばが静寂とはなかなか一つに結びつかない。それは日本という社会が慌ただしくて忙しすぎるからかも知れない。(ちなみに入試問題で、平和の同義語として静寂を選んだら×になるだろう)。
 心が欲望や争いごとに駆り立てられているのではなく、落ち着いていて穏やかな状態。そしてそのような心持ちの人々が集うなかから生まれる静かで安心感に満ちた場の空気。
 シャンティということばの始まりがそこにあるとこのとき気づいた。

 心のうちの状態をあらわすシャンティということばが外界で使われるとき、シャンティには平和な社会を築くというあらたな意味が付与される。
 日本語の平和ということばも、ふり返ってみれば当たり前のことだが一人ひとりの心のありようを抜きにしては成り立たない。その当たり前のことを今一度教えてくれたのがシャンティだった。

 インドの詩人にタゴールという人がいる。インド東部ベンガルの人でノーベル文学賞も受賞した詩人だ。タゴールは詩作のほか、若い人の育成にも熱心で、教育の理想を求めて自ら大学を作った。その大学は後に国立大学になるのだが、人々は今でも親しみを込めてシャンティニケタンと呼んでいる。ニケタンとは家や場所を意味することばなので、直訳すると「平和の園」になるだろうか。  タゴールにとってシャンティニケタンは理想郷であり、人生の道しるべだった。

 タゴールと同時代の人にインド独立の父ガンディーがいる。二人は互いに敬愛し合う仲だったといわれているが、ガンディーはときに「タゴールよ、詩を作るよりも田を耕せ」と辛辣なことばを投げかけている。
 そのガンディーが独立運動のさなか、運動の根底においたことばがアヒンサーだった。
 アヒンサーは、私たちになじみの深い中国経由の仏教経典では不殺生と訳される。インドの古いことばだ。英語では一般的にノーバイオレンス(非暴力)ということばが使われている。

 心のうちの平和・静寂をあらわすことばシャンティが社会の中で使われるとき、シャンティは他者との関わり、関係性について無視できなくなる。独立運動の彼方に平和な社会(サルボダヤ)の実現を求めたガンディーが、この他者との関係性をあらわすことばとして選んだのがアヒンサー/ノーバイオレンスだった。
 平和な社会の構築は、非暴力・不殺生でなければならない。そして非暴力・不殺生は、一人ひとりの静寂・平和な心のうちに根ざしていなければならない。しばしば断食を行い、自己省察(瞑想)を怠らなかったガンディーのつかんだ真理(サティヤーグラハ)がそれだった。

 

 「シャンティとアヒンサー」ガンジー村通信寄稿070502を一部改 

 

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