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「村の暮らし/不動様と十二様」080605 New !

 

 4月28日は、村の1班の不動様と十二様の祭りです。
 不動様は烏川を渡った対岸、十二様は県道沿いの森の中にあります。

 この日、祭りに集まったのは世話人3人と神主のあわせて4人。私以外の3人は70代、80代の年配者です。
 「子どものころはにぎやかで山車も出た」という不動様の祭りですが、今日、その面影はありません。
 不動様へ行くには、以前は烏川に架かる丸木橋を利用したそうです。ところが砂防ダムの工事で丸木橋が撤去され、道は寸断されてしまいました。
 その後、東電の送電線工事のときに橋を架けてもらったので、だれでもまた不動様へ行くことができるようになりました。でも、橋の位置がずいぶん上流に移ってしまったため、不動様への道は遠くなり、不便になりました。

 不動様は河畔から200メートルほど登ったところにあります。かつては修験者が小屋掛けして行に励んだこともあるという不動様ですが、今は訪れる人もまれで、森の中の道は荒廃しています。このため、祭り前日には、班の人が出て道の整備と草刈りをおこないます。

 祭りでは、神主がお祓いをし、世話人がしめ縄と紙垂を新しいものに取り替えます。残念ながら、私たち世話人以外に参拝する人はいません。

 十二様は、山での安全を守ってくれる神様です。
 木を切り、炭を焼いて暮らしてきた人々にとって、十二様は身近で大切な神様です。
 十二様の祭りも、今は世話人と神主以外に訪れる人のいない寂しいものとなりました。ここでも、祠の前でかんたんな神事がおこなわれるだけです。

 炭焼きなどが活況を呈していたのは数十年前の話。その後、人々の暮らしはずいぶん変わりました。植林などの営林事業も終わり、山仕事で生計を立てていた人たちは山を去っていきました。農業で生計を立てていた人は町へ働きに出るようになり、また村内で現金収入を得るために建設業の作業員になったりしました。

 不動様と十二様の神事が終わると、世話人はそれぞれの集落へ向かいます。こんどは集落にある神様を新しく飾るためです。

 集落に戻ると、年配者を訪ね、神様の場所を教えてもらいました。
 私の住む戸数9戸の集落は神様が6体。うち5体は現存していましたが、1体は不明。集落の神様は草むらの道祖神で、江戸時代から伝わるものです。
 「昔はあの沢筋あたりにあったんだけど・・・」
 不明の一体をもとめて、教えられた場所へ行くと、1本の木の下に昨年の飾りが残っていました。

 今年から、隣の集落の神様の飾りも担当することになりました。
 隣の集落は戸数2戸。ここには3体の神様があるはずなのですが、年輩の人に訊ねると、現存するのは1体だけで、あとの2体は、旧県道の改修工事と、ダム建設にともなう県道付け替え工事のときにそれぞれ移動を余儀なくされ、下の十二様に合祀されたという話でした。

 集落の神様に新しい飾りを立てて、この日の役が終わります。

 不動様や十二様は本来、明治になって急いで整備された「天皇主義の神道」とは別のものです。
 それは山の中で暮らしてきた人々の祈りの形、自然への畏敬の念を形に表したものです。だから時代が変わっても、不動様や十二様を祀る心情は、山で暮らす人々の間に受け継がれてきました。
 ただ、道路が整備され、生活様式が変わり、日々の暮らしにマイカー(自動車)が欠かせないものとなってくるにつれ、村でも、暮らしの利便性と引き替えに、自然への畏敬の念は薄れてきます。

 村の小さな祭りが衰退する一方で、マスコミでは、自然「保護」や環境「問題」が注目を集めています。
 自然「保護」や環境「問題」を論じるのはおおいにけっこう、大切なことです。
 ただその前に、私たちは、山や森、川などの自然・環境を前にして、手を合わせたこと(経験)があるでしょうか。
 ときとして私たちは、自然への畏敬の念を忘れて、机の上だけで熱心に自然「保護」や環境「問題」を論じてはいないでしょうか。

          <080605了、洞爺湖サミットの一ヶ月前 080808一部修正>


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