朱門岩夫

オリゲネスとホワイトヘッド

―――人間神化のプロセス―――

最終更新日18/12/08


 

 紀元後三世紀のギリシア教父オリゲネスの神が、その本性において世界を超越すると同時に、そのエネルゲイアにおいて世界の内に内在して働く、超越的即内在的、一即多、静止的即力動的な万有在神論的な人格神として把握することができるのであれば、オリゲネスの万有在神論的な思想は、ホワイトヘッドのプロセス思想を具体的に例証しその理解を容易にしてくれる特殊な事例となり得るのではないだろうか。

 既に、J.A.マローニィは、その著書『東方キリスト教神学入門』の中で、東方キリスト教思想とプロセス思想との類比を試みて、伝統的有神論の神の完全性の概念と現実的世界との不整合を指摘するプロセス思想に対して次のように言っている。もしも現代のプロセス思想家がギリシア教父にもっと親しんでいたなら、彼らは自分たちが伝統的有神論と呼んでいるものに、それほどの異議を唱えなかっただろう。彼らはギリシア教父から富を引き出せるのだということに気付かなかったように見えると。マローニィは、こうしてプロセス思想と似通うとされる正教会の思想を、グレゴリオス・パラマス、証聖者マクシモスやカッパドキアのギリシア教父たちなどのいわゆる正統的な教父の思想の内に跡付けている。しかし疑いもなく彼らの思想的な源泉を成していると思われるオリゲネスにまで遡って論じようとはしないのであります。そこで以下では、先ず、ホワイトヘッドのプロセス思想と対応ないしは対比し得ると思われるオリゲネスの神と世界に関する見解を一つ一つ取り上げて、次いで両者の思想の異同を簡単に検討したい。

 

 

内容

 

第一節 

万有在神論と永遠的客体

第二節 

理性的被造物の創造・堕落・神化のプロセス

第三節 

人間神化のプロセスと説得的誘因

第四節  

愛の神とコンパニオンとしての神

第五節

 一つの有機的なコスモス

第六節

ホワイトヘッドのプロセス思想との比較