第6章 須佐之男の命
須佐之男の命は 天照大御神との”うけい”で 「正勝吾勝々速日天の忍穂耳の命」という尊い名の
長男が誕生したので 自分は勝ったのだ。自分の 邪心のない正しい心が勝ったのだと、
非常に嬉しい思いが最高潮に達していました。
でも その子は姉の天照大御神の子と決まったし あんたと暮らしていないでしょ ‥‥‥ボサツマン
喜びのあまり 須佐之男の命は
父・伊邪那岐の神の言いつけ(追放)もスッポカシず 自分が希望した中州の国を統治することも忘れて
高天の原にそのまま居座り 度を越した無茶苦茶な暴れっぷりで 毎日を暮らしていました。
だが 高天の原の統治者・天照大御神は弟との”うけい”以来 弟を信頼しておりましたので
度が過ぎた弟の行動に対しても 弟に悪気はないと考えて 弟の行為を咎とが めるどころか
逆に暴れ回った場所を廻り 詞(のりと)を奏上し清めて 陰から支えていたのでした。
そんな中 弟の傍若無人ぼうじゃくぶじん な暴走行動は ますます エスカレート していくばかりです。
弟思いの優しい・忍耐強い天照大御神も さすがに耐えきれず、たいそうお怒りになり
天の石屋に隠れ入り口を閉めて 岩の洞窟に閉じ籠って、しまいました。
すると、高天原全域も 世界の天も地もすべて 急に 真っ暗闇になってしまったのです。
この出来事には 諸々の説があります
ある説・1 この時に 天照大御神(太陽)が 死亡したので 光が消え失せ 闇夜になった。
ある説・2 日食の現象が 起きたので闇夜になった。
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イエス・キリストの死の時にも 似た現象が起きていました。
「既に昼の12時ごろであった 全地は暗くなり 太陽は光を 失っていた」とある。 ルカ・福音書・第23章
この言葉は 太陽は確かに出ているが 光を発していなかった という意味に解釈できる。
ということは 日食の現象ではありません。イエス・キリストが死んだから光が消えた、という意味です。
天照大御神とイエス・キリストに共通していることは 一度死んだのだが復活したことです。
神なので ”死んだ”ではなく 肉体を離れたとか離したというのが 正しいのでしょうが
ここのポイントは 太陽が神ではなく 光が神ということです。 光=神なのです。
※ 天の石屋隠れ外国版
イエス・キリストが磔はりつけ にされ 絶命した時も 昼の光が消え 闇だけの世界となっていました。
その様子が 「マタイ福音書」に 次のように書かれています。
墓が開いて 眠りについていた多くの 聖なる者たちの身体が 生き返ったと。
悪神がはびこり 死者が甦えり ゾンビの集団が 巷ちまた に溢れだしていたのです。
人々は 恐れおののき あわてふためいて 逃げ回るしかありませんでした。
だが 実際は、聖者の復活だったのです。イエスを信じる「聖者」たちが生き返ったのでした。
聖者の復活といっても 人々は 怖くて・怖くて・ガタガタ震えまくっていたに違いないです
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第7章 天の岩戸開き神話
天照大御神が 天の石屋に隠れ 神々は困ってしまった
天照大御神が 天の石屋に閉じ籠った瞬間に光は消え失せて 高天の原は闇の世界が支配しています。
闇の世界は 葦原の中つ国(地上の国)も支配し 朝がやって来ない・夜の世界だけになってしまいました。
すると 魔物が横行して悪神が騒ぎはじめ 八百万やおよろず の災いが 次々と起きてきました。
困り果てた高天の原では 八百万の神々やおよろずのかみがみ が集まり 対策実行委員会が立ち上がった。
「別天つ神」・高御産巣日の神 たかみむすひのかみ の子の、思金の神 おもいかねのかみ が実行委員長のとなって
皆の知恵を出し合って 天の石屋あまのいわや から天照大御神を 引き出す計画が纏まと まりました。
思金の神の思金は 予あらかじめ めの意味をもち 計画性に富み、先を予想できる神。
朝の知らせの常世の長鳴鳥とこよのながなきとり を鳴かせ、天照大御神が石屋の戸を少し開けたときを見て
岩戸の脇に身をひそめている天の手力男の命あめのたじからおのみこと が 力づくで外へ引っ張り出す計画です。
伊斯許理度売の命 いしこりどめのみこと が八咫鏡 やあたのかがみ を作る役目。
玉祖の命 たまのおやのみこと は八咫の勾玉 やさかのまがたま を作る役目。
天の児屋の命 あめのこやねのみこと と 天布刀玉の命 あめのふとだまのみこと の二人は 天の香具山かぐやま へ登り
占ぼくせん (吉凶占い)用としての大きな榊さかき を採ってきました。
天の児屋の命 あめのこやねのみこと は 神事・祭祀・に関わる中臣なかとみ 氏族の祖神。
天布刀玉の命あめのふとだまのみこと は 宮廷祭祀に関わる忌部いんべ 氏族の祖。 氏族の子孫には織田信長が有名。
尚 当サイトの「大祓の祝詞」は 神がかりになった中臣氏が創った謂れにより 中臣の大祓と呼ばれる。
3種の神器とは
八咫鏡 やあたのかがみ 八咫の勾玉 やあたのまがたま 草薙の剣 くさなぎのつるぎ 。
八咫鏡は伊勢神宮に 草薙の剣は 熱田神宮に 奉納されている。
八咫鏡は、特に重要な鏡です。 これには深い理由がありました。
天の石戸開きの時 天照大御神の姿を写した「鏡」なのです。
また 天孫降臨のとき 天照大御神が孫のニニギの命に 八咫鏡と草薙の剣を授け与えて
『この鏡は 我が御魂と思い 我れを拝するが如く この鏡を いつき奉れ』と、申した謂われがあるのです。
故に 八咫鏡は 天照大御神 そのものなのです。 だから、伊勢神宮に収められているのです。
家庭の神棚にある鏡も 「八咫鏡」を意味しています。 いつも、鏡は輝きを保っていたいです。
鏡を磨くとき 息を吹きかけて拭くのはいけません。 人間が使ったタオルもいけません。
神さまの専用の新しいタオルを 用意しましょう。
神棚のお給仕は 毎月の1日・15日には お米・お塩・お水・お神酒・榊 を新しくしましょう。
お水は 毎朝お取り替えするのが良いでしょう。 朝起きたら まづ 洗顔・歯を磨いて1番に行いましょう。
さあ!天照大御神を天の岩屋から連れ戻す準備は整いました。
天布刀玉の命 あめのふとだまのみこと は、御幣 みてぐら (捧げもの)を持ち、準備万端の構えです。
天の手力男の命 あめのたじからおのみこと は 岩戸の脇に身をひそめて チャンスを待っています。
最初に 天の児屋の命 あめのこやねのみこと が 大きな響く声で「祝詞」のりと を奏上します。
極めつけとして
天の宇受売の命 あめのうづめのみこと が登場し 全身素っ裸になって 妖艶な踊りを演じはじめた。
肌モロ出しの熱狂的な踊りに神々は興奮し ヤンヤ・ヤンヤと囃はやし立て 大喝采の場となりました。
岩屋の中にいる天照大御神にも この大歓声は 聞こえています。
え!スッパダカ 素っ裸は猥褻ワイセツ で捕まるしょ あ・そうか この時代は普通か‥‥‥ボサツマン
外の大喝采を不思議に思った天照大御神は 岩屋の石戸を ほんの少し開けて、聞きました。
『私が この石屋に閉じ籠っていて 高天の原も葦原の国もすべて 暗い闇夜のはずなのに
なぜ 天の宇受売の命が 楽しく舞い踊り 皆 笑い 楽しんでいるのか?」。
妖艶な踊りの最中の天の宇受売が 近寄って行き
「貴方さま(天照大御神)よりも 尊い神がここにおりますので 皆 歓び・楽しんでいます」と答えた。
その時 天の児屋の命と布刀玉の命が「八咫の鏡」を 天照大御神の前に 差し出した。
天照大御神は 鏡に写る自分の姿をよく見ようとして 石戸から身を半分乗り出し 左右を見まわした。
チャンスです!
〆縄を張る 「注連縄/〆縄の意味」
石戸の入り口の脇で じっと隠れて待っていた 天の手力男の命が 力まかせに石戸を引き開け
天照大御神の手を取って 外へ引き出しました。すると
即 布刀玉の命が 石戸の入り口に注連縄しめなわ を引き渡して掛け 結界宣言けっかいせんげん しました。
「もう 石戸の内には 還ることはできません」。
こうして 天照大御神が戻られたお陰で 明るく照り輝く光を世界中が取戻したのです。 「世界の太陽神」
ある説によると
「天照大御神は 天の石戸に隠れたのでは無く 須佐の男の命の暴挙で死んだのだ、そして
天の石戸開きとは 復活祭ふっかつさい なのだ」らしい。
須佐之男の命 罰・滅罪
この後 神々の合議により 建速須佐之男の命は罰を受け滅罪した後に 神の世界から追放された。
思金の命の知恵と 神々の協力により 天照大御神を 岩屋から連れ戻すことが出来て 再び
太陽が戻り光・輝きが満ちて、高天の原も地上の中州国・葦原の国も 明るい世界(昼)に戻りました。
メデタシ・メデタシ!
道元禅師の言葉…………『人間は仏ほとけ に懺悔・反省することで 滅罪となる』 第8章へ