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山遊雑記 
村田久氏から学ぶ下嵐江(2/3)

■ 「オロセ」の意味

地名には何か意味があります。オロセという意味はなんでしょう?
義経伝説」というサイトの「アイヌ語地名考」というページに次の様に解説されています。
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…下嵐江(おろしえ・おろせ)…

「おろしえ」も「おろせ」もアィヌ語を語源に持つ古地名ではないか…といわれますが、これらの地名は、まさに、そのとおりであり、次のような同根、同義のアィヌ語系の古地名であると考えられます。
「おろしえ・おろせ」の語源は、=アィヌ語の「オ・ウラシ・ウシ・イ(o・uras・us・i)」→「オウラスシ(ourasusi)」であり、その意味は、
=「川尻の・ササ(笹)が・群生する・所」になります。
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これは、証明されたものではありませんが、岩手はアイヌ語の地名が多く、なんとなくそうかなと思います。

「下風江」は誤植?

 【山を上るイワナ】の「幻の仙北街道」で、今まで「下嵐江」と表記していたのに、「下風江」となっている。あれま、嵐が風に!誤植だと、笑っていたのだが、文中、全て「風」になっている。しかも、ふりがなは「シモオロセ」になっている。一体どういうことなのか?
今までの村田さんの著書を見直したが、全て「下嵐江」を使い、「オロセ」とふりがなをふっている。地図でも公報でも「下嵐江」である。読み方は、ネットで調べたが「オロセ」もしくは「オロシエ」である。

 気になって、県全体の地図(1/25万 クイックマップル岩手1998年昭文社)を見ると、なんと「下風江」と印されている。

同じ昭文社なのに、都市地図では「下嵐江」県地図では「下風江」これはどういうことか?ちなみに、1982年の昭文社岩手県地図でも「下風江」となっている。では、最近「下嵐江」になったのかと思うと、ネットで探しても昭和40年頃の役所の文書?でも「下嵐江」となっている。どういうことなのか?

 ネットで色々調べたら、古文書に記載されているのは、「颪江」もしくは「下颪江」。「颪」はオロシと読み、山から吹き下ろす風の意。これなら、オロシエと素直に読めるし、アイヌ語の発音の当て字にしても、場所柄ピッタリの当て字だ。「下颪江」は、シモオロセと読んでる場合と単にオロセと読んでいるケースがある。キリシタン関連では「沢中颪江」という地名が出てくる。原文を見たわけでは無く、ネットの数点の記事から探っただけであるので、結論ずけるのは強引すぎるけど・・・「颪江」が正しいように思う(素人だから(笑)。

集落が前川沿いにあったとしたら、下流が「下颪江」で、途中に「沢中颪江」があり、上流は「上颪江」と呼ばれていたのではないだろうか?
時代と共に、「上颪江」にも「沢中颪江」にも人が住まなくなり、残った「下颪江」が「颪江」の代名詞になり、オロセと読む様になった?いつか、専門家に確かめたいものだ。

「颪江」が正しいと仮定して 、なぜ「颪江」が「下風江」になり「下嵐江」になったのか?面白い仮説を立ててる記事を見て、思わず納得した。国土地理院の古い地図では縦書きで「颪江」となっているというのだ。縦書きから、横書きに直す時に間違えたのでは?という仮説である。
(そのページのみの存在で、サイト元も運営者も分からないので、リンクは遠慮します)
で、分かりやすく説明したのが上の図。分かりやすいでしょ(笑)
 国土地理院の地図では、少なくともつい最近まで間違いなく「下風江」と表記していた。古い地図が「颪江」と表記していたのが事実なら、横書き変更勘違い説を信じる。地図はそうとしても、公文書では、なぜ地図の「下風江」に従わず、「下嵐江」にしたのだろうか?地図に関係なく、「下颪江」が「下嵐江」と単純に誤植されて、そのままとも考えられる。もうこうなると、ネットでは限界がある。地元の資料を調べないと、疑問は解けないでしょう。
それにしても、村田さんは、なぜ突然「下風江」の表記を使ったのか?「シモオロセ」とふりがなをふったのか?
謎は深まるばかりだが「下嵐江」の謎解きはこれくらいにしておきましょう。

ついでですが、「於呂閉志神社」は「於呂閇志神社」が正式ですが、ほとんど「於呂閉志神社」と表記されてるようです。ただこちらは、「閉」じゃなくて、正しく「閇」を使うべきとの動きもあるようです。
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