聞き流してくれた過去の月。
 SEPTEMBER・・・・
 『Do You Remember?・・・・』の始まりだけは歌えます。1978年夏頃?アルバムに入っていないこの曲がシングル発売され大ヒット。EW&Fの代表作のひとつになったのです。
毎日のようで、毎日というわけでもない。
否定的なようで、肯定的でもあるような。
わがままなようで、いい加減なような。
泣きの入っているようで、絶望的で、未来?があるような、ないような。
まぁ聞き流してやって下さい。

9月30日(月)

曇り。雨模様?
 ちがう道を歩んできた・・・・・・
昭和32年2月4日生まれ。鳥取県出身である。
鳥取大学教育学部附属小学校〜鳥取大学教育学部附属中学校〜鳥取大学教育学部附属中学校〜慶応義塾大学付属高等学校〜慶応義塾大学法学部法律学科〜株式会社三井銀行〜木曜クラブ事務局に勤務
 昭和61年7月 衆議院議員に初当選。(全国最年少議員として) 平成2年2月 衆議院議員に再選。平成4年12月〜農林水産政務次官。平成5年7月 衆議院議員に三選。平成8年10月 衆議院議員に四選。平成12年6月 衆議院議員に五選。〜 農林水産総括政務次官。12月〜防衛総括政務次官 。平成13年1月〜防衛庁副長官。
 
石破 茂氏そして今日からは防衛庁長官である。
 最近「北朝鮮問題」で多くのメディアに登場しており、眼光するどい、恐そうな人だなぁと感じていた。先日の『朝まで生テレビ』、今晩の『テレビタックル』にも出演していた。政治家先生なのでテレビに出ていると、年齢がまるで分からない。HPで調べてみると、案の定私より2才年上で45才同世代であった。しかし歩んできた道は、前防衛庁長官の中谷氏と同じく我々とはまるで、まるで、まるで、まるで、まるで、まるで、まるで・・・・・違うのである。
 一生、ユニクロの帽子をかぶって『巾着田』などへ曼珠沙華の写真なぞ撮りには行かないのであろう。しかし『防衛庁長官』などという大役は、やはり血気ある若い政治家ではないと務まらないのであろうか。日本もまだ捨てたものではないと安心した気分でもあった。

9月29日(日)

曇り。一時雨のち晴れ。
 気持ち悪い事・・・・・・。
 櫛引でヘビを踏んでしまった。何かのひもかなぁ、と思いながら徐行して避けたつもりが運悪く踏んでしまったのである。バックミラー越しにヘビが少し飛び跳ねて、ぐったりとしたのを確認したが、ヘビを踏んだ事は何とも気持ち悪い。バックミラーで確認したのは、タイヤのどこかに絡みついてしまわないかが心配だからである。
9月28日(土)

雨のち曇り。
 十数年たつのか?
 彼はおそらく一生に一度きりの勝負をしようとしているのだ。しかし、まだ私の前では圧倒的な力強さは見せていない。何故?そんなもだったっけ?我々に力強さを見せない戦法なのか?勝負する時がまだ先で早すぎるのか?時間が経つに連れそのPOWERを増してくるのであろうか。十数年前のある人は、見違えるほどに真っ黒に日焼けし、夜中に私ごとき所へ駆け込んできたのを忘れることができない。
  
  明日はいよいよ巾着田へ行くのである。12時までに帰って来れるのか・・・・心配
9月27日(金)

曇り。雨はまだ。
 資金繰り・・・・・
 1977年〜78年といえば、BILLY JOELの「THE STRANGER」やBOZ SCAGGSの「SILK DEGREES」など、AORと呼ばれるCiyty Music?が大流行だったっけ。当時は値段の安さから輸入盤のアルバムしか買わず、ひと月に10枚を買い求めるノルマにしていた。まだ渋谷にTOWER レコードは無く、新宿のCISCOへ週何度も足を運び、LPを3〜5枚まとめ買いするのにも何の抵抗も無かった・・・・資金繰りは、学生当時ほとんど無敗だった麻雀によって賄われていたのだ。自分が強かったのか、相手が弱かったのか、間違いなく今より体力、気力、そして集中力はあったに違いない。
9月26日(木)

晴れ。朝はかなり涼しい。
 当事者と非当事者・・・・・・。
 北朝鮮国による拉致事件が多発したのは、1977年〜1978年にかけてである。今から約25年前の出来事である。そして拉致された人たちは揃って20歳前後の若者ということであり、私の25年前と言えば18〜19才で、まさしく私は拉致される対象年齢であったに違いない。つまり拉致された人たちは私とほぼ同年代であるという事だ。
 奇しくもこのページのタイトル曲、EW&Fの「September」はその年に流行った曲であり、私は重大なその事件に、さほど関心はなく、馬鹿みたいに若さに有頂天になっていた事であろう。しかし当事者はもちろん家族にとっては、それは地獄のような苦しみであり、非当事者である我々はバブルを迎えようとし有頂天になっていた。
 何と言っていいのか、突然の出来事に天と地ほど違う、青春時代を過ごしたものだろうか。フォークルセダースの曲じゃないが「悲しくてやりきれない」
9月25日(水)

朝は肌寒い。秋空。
 知らぬ間に・・・・・秋。
 ここ数日前から、知らぬ間にハッキリと浅間山が望めるようになっいる。そして相変わらず噴煙らしきものをなびかせいる。近いうちに噴火するのではないだろうか?心配だ。近いうちに様子を見に行ってこようか。
 しかし、もはや「夏」とはいえない陽気になってしまった。朝晩は寒いし、巾着田の彼岸花は満開の様子だし、週末まで持つのだろうか?
9月24日(火)

晴れ。朝は肌寒いが、午後結構暑くなる。
 朝の出来事
 世間的には、所謂のんきな三連休であった。そしてジャイアンツは金曜日からヤクルトに三連勝してマジック2。昨日は松井の2本塁打、清原の本塁打で阪神戦に勝利したが、ヤクルトが意地を見せジャイアンツの優勝は今日に持ち越し。そんな火曜日の朝であった。
 私は仕事の打ち合わせを済ませ、AM9時に郵便局へ郵便の差し出しと、振り込み、そして葉書を200枚買い求めた。狭い駐車場に若奥様風の運転した、白い大宮ナンバーのBMWが入ってくる。私は用が済み、車に乗り込み駐車場を出ようとしていた。その時私は、何やら好意的ではないイヤな視線を感じ横を見た。白のBMWからではなく、黒い車に乗ったおばちゃんからだった。訳が分からないが、何やら私に文句を言いたそうとも取れる、そんな視線にも感じた。おかまいなしに私はバックで車を駐車場から道路へ出した。その時『ドスーン』と、まるでゴルフのティショットでナイスショットした時の感覚にも似た、見事ヒットした音がした。「あのおばはんが車をバックさせすぎて、後ろに止めてあった赤帽の軽トラックに激突したのだ。」私はまんまとそれを目撃したのだ。おばはんは一瞬そのまま立ち去ろうとしたかに見えたので、私はしばらく車を発進せずに、激突したままをずーっと見続けていた。当然おばはんと視線が合う、彼女の表情は明らかに焦っていた。そして私はしばらく見続けていた。そして笑顔でその場を立ち去れたら、それは爽快な火曜日になったに違いないのだ。
9月20日(金)

秋晴れ。過ごしやすい温度。
 経 験
 今日から彼岸の入りだ。あー線香を供え忘れてしまった。いけない、いけない、ダメだなぁ。明日こそ心を込めて・・・・・・・。22日か23日に、日高市の巾着田へ彼岸花(曼珠沙華)を観に行く予定だったが、どうやら見頃が25日以降ということで、延期となってしまった。確か昨年の経験では、開花後にあまりに低温だと深紅の花が色あせてしまい、花も長持ちしないような
・・・・・何ごとも、何度繰り返しても、経験だなぁ。
9月19日(木)

秋晴れ。
 曼珠沙華・・・・『悲しき思いで』
 曼珠沙華が咲き始めたのだ。昨日初めて数本見かけ、そしてまた今日は昨日の場所に倍くらいの数の花が咲きはじめていた。それは思った通り、突然何の予告もなく数10pの芽が伸びて花が付いたのだ。葉もなく、花弁のようなものも見あたらない。何と不非議な花なんだろう。
 調べてみたら花言葉は「悲しき思いで」とか・・・・・。艶やかな深紅に染まり、他には見られない大胆な形状、切ないほどの華麗な花は一週間ほどで夏の終わりを告げてしまうのである。同級生、山口百恵も「曼珠沙華」と言うタイトルの曲をB面で歌っていた。
9月18日(水)

秋晴れ。風が強く吹く。
 『痛恨の極み』と日の丸弁当
 昨日は歴史的な日朝首脳会談があり、テレビ、ラジヲ、I-NETは一日中その話題で持ちきりだった。早朝より小泉さんは北朝鮮へ旅立ち、日本人拉致問題では日本国中、解決に向けての期待がいっぱいだった。しかし、金正日氏との首脳会談が終わり、小泉さんの会見での『痛恨の極み』という言葉に全てが表わされていたのである。また小泉さんが会談途中、先方から昼食会に誘われていながら、それを断り、日本から用意していった幕の内弁当を食べたというのも、私にはかなりビックリした出来事であった。おかずはどうだか、間違いなくご飯の上に小さい赤い梅干し一つの、日の丸弁当だったのに違いはないはずだ。
9月17日(火)

雨のち曇り。
 三連休の3日間
 土曜日の夜は大きな球を投げ、日曜日は小さい球を打つ。そして月曜日は何も投げたり、打ったりはしない。土曜日の夜は『一休茶屋』へ行き。日曜日は『コスモス』へ行く。そして月曜日は何処へも行かない。土曜日の朝からは仕事をし。日曜日は夕方打ち合わせだけある。そして月曜日は何もしない。いわゆる世間的に言う?三連休の私的過ごし方だった。この過ごし方がよかったのか、悪かったのかは判断しないこととしよう。
9月14日(土)

雨のち曇り。涼しいのである。
 どれが彼岸花の芽なんだ?
 今朝は理由もないのに、あまりの涼しさで6時30分に目覚めた。小雨模様だが彼岸花が咲いているのでは?と思い、カメラを担いで美里の田圃へ出掛けてみる。しかし何処へ行っても彼岸花らしきものは見つからない。どれが彼岸花の芽なんだ?それらしきものはまるで見あたらない。確か昨年の今頃は咲いていたような?今年はかなり遅咲きなのであろうか。しょうがないので家へ戻りインターネットで調べてみる。彼岸花の有名な日高市のHPに巾着田の開花情報があったが、開花はまだで、3割ほど芽が出たとの情報があった。何でも彼岸花はいきなり芽が出て花が咲くそうである。一日で10pも芽が伸びるそうだ。となると明日いきなり彼岸花が芽を出しているという可能性もあると言うことだろうか。今年は是非それを見極めたいものである。
9月13日(金)

曇り。夕方より雨に
 YAZAWAではないが、キャデラックではないが
              車でタバコを買いに行く夜。

 たばこの自動販売機は青少年の喫煙非行を防ぐために、午後11時で販売を自粛する。この事が私には、とても意味がないことに思えてならない。理由は言うまでもないだろう。たばこを吸う子供達は大人と同じように午後11時前に買ってしまうか、11時を過ぎたらコンビニで買うからだ。
 実はさっきタバコがなくなり、午後11時15分前だったので、いつものタバコ屋に急いで買いに行った。そしたらいつものタバコ屋は、警察からの要請に過敏に従順なのか、11時10分前だというのに販売中止の赤いランプが点灯していた。しょうがないので私は来た道を引き返し、駅の所に二ヶ所ある販売機に急いだ。しかしまたもや11時前だというのに、赤ランプが点滅しているではないか。どういう事だ?私は無性に腹立たしくなった。こうなったら恐らく我慢などできないから、車を走らせコンビニへ買いに行かなければならないだろう。寝巻き同然の格好をしているから、着替えて免許証を持って買いに行かなければならないのだ。青少年達のいわゆる『むかつく』状態だ。このやるせない腹立たしさを何にぶつければよいのだろうか?。千代田区の条例で歩きタバコは罰金2,000円とか言う話を聞いた、そんなものならいっそ法律で、マリファナ並みの罰則を与えた方が有効的だろうが。
9月12日(木)

晴れ。少々暑い。
 自宅での夕食・・・・・
 久し振りの夕食を自宅で食べた。何故か土曜日から毎日のように外食が続いたのだ。土曜日・・・・薄いサワーと爆弾ハンバーグ。日曜日昼食・・・・・ビールとカツ丼。Macのホットドックとアイスコーヒー。火曜日・・・・ビールと焼酎と刺身と茶碗蒸しとナマズの天麩羅にうな重。水曜日・・・ビールに薄いウーロンハイ、刺身に、鶏唐揚げ、枝豆、公魚(ワカサギ)のフライに、蕎麦。毎日よく喰って飲んだものだ。そして今日、久々の自宅での夕飯は何だったっけ?思い出せないのである。
9月10日(火)

晴れ。
 きんぎょ屋から代行2,500円・・・・
 PM6時30分から組合の支部会があった。私はこの会合に確か3年以上は出席していないはずだ。久々ということもあり少々臆するところがあったが、行ってみると支部長であるO印刷のO社長が、良く来てくれたと隣の席に着かせてくれた。次期理事長候補者のT印刷のA社長も変わらぬダミ声で、相変わらずに迎えてくれた。すっかり和んだ私は、結局代行車に2,500円でお世話になることになった。
9月9日(月)

曇り→一時雨。
 上柴公園球場
 昨日は睡眠不足ながらAM6時30分に起床し、上柴の野球場へ行った。野球をしに行ったのではなく、試合の棄権手続きをしに行ったのだ。雨上がりの野球場にはグランドを整備する人。駐車場には野球の試合をしに来た人。公園の中を犬を連れて散歩する人。ベンチには車座になったホームレス?の人達。そして私は買ってもらったばかりのハンティング・ワールドのセカンドバッグを脇に抱えベンチ横の審判控室へ歩く。何年前になるだろう、確かこの公園は、私が頭痛が治らずに日赤病院へ初めてCTスキャンを撮りに行くのに歩いたところではないか。これからこの場所に何回訪れることがあるのだろうか? 
9月8日(日)

曇り→晴れ→曇り→雨
 昨晩、一瞬の静寂が流れたのだ。
 K林氏がリーチをかけた、私は少々迷いながらもすぐさま5ピンを切った。K林氏は、それはすごくビックリした顔で「ウーピーン?」と私に聞き返す、そしてすぐに何ごともない表情に戻った。K林氏のあまりのビックリ顔に、私はK林氏がフェイントをくれたとかと思った。それを見たA氏が安牌をきり、それを見たT橋氏が牌を切った・・・。
そして何故かその瞬間に、K林氏のやや高めで慌てた
「ろろ ローン」の声が響き渡った・・。てっきりまたT橋氏がリーチ一発で振り込んだと思いきや、K林氏の「5ピン ろロ・・ーン」の高音声が響き渡る。一瞬の静寂が走った。何とK林氏は当たり牌を声に発しながら、リーチ一発を見逃してしまったのだ。その後のゲームはおかしくて、おかくして大いに和やかな時を過ごさせてもらった。「北の国から」ではないが、4人で囲むテーブルの上にも人生のドラマが隠れているのをまたまた見せつけられたのだ。
9月4日(水)
確か暑くてたまらん。
 おねえさん
 昨日の話だが、懇親会終了後、珍しくおねーさんの沢山いる店へ行ってみた。深谷駅近くのビルの3階にある『ダイヤ』というお店だ。もともとお酒も苦手だが、さらに苦手な女性のいるお店・・・・いわゆるキャバクラ?とでも言うのだろうか?、誘ってくれたのは、私が昨日熊谷市長の講演会に誘ったH氏で、いつもだったら誘われて臆するのだが、H氏のやんわりとしたお誘いに、何故かふたつ返事で行くことになった。階段で3階へ上がり、とても重厚そうなドアを開けると、キレイどころのおねえさんが8名程で並んでお出迎え、深谷とは思えない店の装飾さと、ゆったりした空間と、久し振りのこの手の店に少々圧倒されてしまった。おねえさん達の接客も程々とよくて、なかなか気を配った店だと感じたものだ。
9月3日(火)

暑くてたまらん。
 熊谷市長 富岡清氏・・・
 夕方よりサンルート熊谷で、新しく熊谷市長となった富岡清氏の講演を聴いた。彼は若いときから県会議員をしていたので、名前も顔も知っていたが、私が直接お目にかかったのは今日が初めてだった。まず印象は、背がかなり低い事。49歳で若いわりに白髪頭である事。当然この若さの市長であるから元気である事。聴いている年代とほぼ同じ年齢であり話がくだけている事。こんな所であろうか。まぁ当然話題は、市町村の合併問題に終始し、結論的には「いかにスムーズのうちに合併を押し進めて行くか」という話であったような。後は市長就任1ヶ月の慌ただしさと、低い投票率の選挙であったが、市民から選ばれた自信とが充分に伝えられた講演会だった。

  まぁ居眠りも随分と出たが、首長のお話しとしては面白かったほうか。
9月1日(日)

浅間山周辺は晴れ。気温15℃〜24℃位か?
 週末 紀行(浅間山にて)
  昨晩はたった一人で山の中を過ごしてみた。恐い事はなかったが、どことなく心細いものだった。ラジオの野球中継を聞きながら、缶ビール(大・小)を2本飲んで夕食を済ませ、セブンイレブンで買った「フリーマン」3・4巻を読み、風呂に入り、何故か下着を洗い、FMのラジオを聞きながら眠った。
  AM4時30分起床する。山に住む鳥達はまだ眠っていて、この静けさは何だろうという感じがした。まず浅間山を見に行き、朝の天気がそれ程快晴でないことを確認する。無料の浅間火山ルートを大笹方面に曲がり、嬬恋ゴルフクラブの先のパノラマライン(南ルート)を左折する。ここからは見事な程キャベツ畑が続く。しばらく走り、左折池の平、右折田代の標識を右折する。144号線に出る。長野原方面へ右折する。次にバラキ高原方面へ左折する。少し大きな橋を左折する。農協のGSを左折する。路なりに走る。心配性の私はこの辺を通るといつも熊が出てくるのではないかと感じる。湖畔の湯を左折する。路なりにどんどん進むと霧のバラキ高原に着く。畑一面に白い花の咲いた植物があり、勝手に蕎麦の花だろうと思い込む。紀州鉄道パルコールまで行き、来た道を引き返しバラキ湖へ・・・・。ここで小一時間?程過ごす。帰りは新しくできた道だろうか、初めて通るパノラマライン(北ルート)を走る。この道路の景色が素晴らしくて感動する。北軽井沢の白銀亭まで帰る。朝AM8時までの出来事である。走行距離約100qで、遠回りはしたが同じ嬬恋村だけを走った距離だとは信じがたい距離である。