救苦救難の六観音
   観音さまは温かい笑みを常にうかべ いつも私達の身近に きっと おられる気がします。
   天国や極楽浄土から
 来臨されるのではなく衆生の声の届く身近なところにおられます。
   観音さまは
娑婆世界を遊行 ゆうぎょう しておられるのです。
   観音さまのお姿は見えないけれど
衆生の救苦救難 きゅうくきゅうなん の声に即答えてくれます。

   浅草の雷門 かみなりもん                             松下幸之助の言葉
   
観音さまは 浅草寺(浅草観音)が有名です。 浅草の観音さまは日本最古の「秘仏」なのです。
   
浅草の雷門松下幸之助氏が昭和35年 病気平癒の報恩を感謝して寄進しました。

   本地垂迹思想 ほんちすいじゃくしそう 
    本地垂迹思想とは ほとけ  の本体(本地)であるという考え方。
    
本地ほんち とは仏や菩薩のことで 垂迹すいじゃく とは 神としての顕われをいう。
    仏や菩薩が
世の苦しむ人々を救うために 神となってこの世に現われたという考え。
     
那智の牟須美神 なちのむすひのかみ  千手観音 せんじゅかんのん として崇あが め奉たてまつ られている。
     平安末期
 熊野三山 12の社殿で祀った神々は 熊野十二所権現と呼ばれ 菩薩が本地と考えられていた。


  観音菩薩の生誕 
    
紀元前250年ころウイグル南部の崑崙こんろん 山脈の西北 コータン地域という説が有力。

  
観音菩薩の住まい 
     
 阿弥陀如来と共に 西方極楽浄土住む。   インドの南海岸の補陀落山 ふだらくさん に住む。
     
 中国の普陀山普済寺に住む。   チベットの首都ラサ及び チベット国全域に住む。
     
 日本 和歌山県の那智山に住む。   日本 西国坂東秩父の三十三観音霊場に住む。

  
観音菩薩の名前  観世音菩薩と観自在菩薩の二つの呼び名がある。  観音さまの呼び名
                観音菩薩は
世の中の衆生のを聞いて救済してくださいます。

  
観世音菩薩の別名
    
救世菩薩
ぐせぼさつ  救世浄聖ぐせじょうしょう  施無畏者せむいしゃ  蓮崋手れんげしゅ  普門ふもん  大悲聖者だいひしょうじゃ 

  
六観音は 「天上界人間界修羅界畜生界餓鬼界地獄界」の六世界を それぞれ担当する。
          
天上界如意輪にょいりん 観音 人間界准胝じゅんてい 観音  修羅界11面観音
     
       畜生界馬頭ばとう 観音  餓鬼界千手せんじゅ 観音  地獄界しょう 観音
  ☆
観世音菩薩の真言:オンアロリキャソワカ 観音菩薩の行:上求菩提・下化衆生じょうぐぼだいげけしゅじょう 

  観音菩薩不動明王
    観音さまは
悪人に対して 不動明王さまに変身して忿怒の姿で厳しく叱り 正しい道に導く。
    観音菩薩も不動明王も
慈悲心の大きさは同じだがその表わし方が違う。 

  ○閻魔大王  閻魔 えんま とは サンスクリット語 マヤ(生死を司る神) マヤの統率者です。
    閻魔大王は
悪人が心から懺悔反省すると大慈悲心を起こして 許してくれます。
    
閻魔大王は地獄の裁きの王として恐れられるが本当は違うのです。
    どんなに極悪な悪人でも救いたいという理由から地獄にいるのです。
    古書に 我は閻魔大王也 汝の国では地蔵菩薩という」とある。 閻魔大王は地蔵菩薩なのか?

  
地蔵菩薩とは、                             「地蔵歎偈じぞうたんげ 地蔵真言
    仏の滅後
 
弥勒菩薩 みろくぼさつ 未来仏)が出現されるまでの間六道の世界の衆生を救う菩薩。
   
    地蔵菩薩は
 一切の衆生を救ってから自分は仏になる と誓願を立てて 六道の世界の衆生を救う。
   
    地蔵菩薩は 日本各地の道端に祀られ 多くの人々に お地蔵さまと親しまれ信仰されている。

  
 閻魔大王は優しい慈悲心をもった大王です。
    「この子は死んだ子にそっくりだねぇ 生まれ変わりだよ」
     
閻魔大王 親に先立ち地獄に堕ちた子供に対して 親に先立つ不幸を許してもらう為に
     
が自ら観音さまの姿になり その家の次の子供として生まれさせる。

   眼病に 霊験あらたかな 観世音菩薩は 目の見えない人へ 特段の慈悲を施す。
     「壺坂寺霊験記」
 つぼさかれいげんき  西国33観音霊場第6番札所 奈良壺坂寺の記録
     盲目の沢市は
 信仰心をもち壺坂寺でお参りを続けて 観音さまの霊験により開眼した。
     寺に住む沙弥の長仁が
 眼病で失明したので 日夜千手観音に願をかけたところ 目が開いた。
     平安時代には
 この寺の11面千手観音が眼病に霊験あらたかと 世に広く知られた。
     明治時代の
浄瑠璃 「壺坂寺由来記」によって 壺坂寺は有名になる。
    
その浄瑠璃
    妻のお里は
 壺坂寺へ3年間欠かさず日参し 観音さまに沢市の眼病平癒祈願をしていた。
    沢市もお里と一緒に参詣していたが
 二人は前途を悲観して 谷底に身を投げました。
    しかし
観音さまを信仰していた二人は 奇跡的に命は助かり沢市の目も見えるようになった。