方便品第2 ほうべんぼん
嘘も方便などとよく使われる方便の正しい意味は、ー仏が衆生を救うための良い方法ーです。
この方便品第2は、法華経のなかの「迹門」 しゃくもん の教えの中心となる品で、
序品第1〜第14までが迹門の教え 第15〜第28までが本門の教え。 「方便とは?」:「方便の三乗」
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前品(序品第1)で、世尊は瞑想を終えた後、素晴らしい教えを説くでしょうと、文殊菩薩は予告しました。
予告通り、瞑想を終えた世尊は、静かに立ち上がり「舎利弗」しゃりほつ に、真理の法を説きはじめました。
舎利弗しゃりほつ は 「舎利子/しゃりし」の名で、般若心経にも登場する。
世尊 仏の智慧を説く 「辟支仏/声聞」
「舎利弗よ、仏は、仏の智慧によって、この世の万物の真実の姿ー本物の姿ーを はっきりと見究めています。
この仏の智慧は、非常に奥が深くて限りないので、簡単に習得できるものではありません。
浅い修行段階の求道者は、勿論、仏の智慧は会得できません。 当然 仏の境地に到達できません。
体験主義の辟支仏びゃくしぶつ や、学習主義の声聞しょうもん さえも、まだまだ知り得ない智慧なのです。
仏の智慧を会得する道は、無量の先仏せんぶつ の教えを行深ぎょうじん(深く修行)するしかありません。
十方世界の諸仏は皆、無量の先仏の教えを深く修行して、仏の智慧(真理)を会得したのです。
天下に普あまね く聞こえ知る仏の境地は、一筋に教えの道を深く掘りつづけた結果、到達できる世界です。
又、応病与薬おうびょうよやく の仏の説法は、対機説法たいきせっぽう (相手に応じたいろいろな説き方)を用いるので、
仏はなぜこういうことを、なんの目的で説くのか、大衆は身をもって理解しやすいのです。
さらに、仏は衆生それぞれが理解しやすい様に、たいへん柔和な言葉使いで教え(法)を説くので、
衆生の心は、ありがたい心で満たされるので、教えが衆生の心に沁み込むのです。
舎利弗よ、仏の教えには、仏の心の中にある四つの無量心むりょうしん が 迸りほとばしり 出ているのです。
☆ 四つの無量心
1 慈じの心: 自分の人生が 他の人の人生を、幸福にすることを 願う心。
2 悲ひの心: 自分の行いが 他の人の苦しみを消し去ることを 願う心。
3 喜きの心: 他人の幸せも 自分の幸せも同じ喜びであると 思う心。
4 捨しゃの心: 他人からの報い(御礼)を求めない心や、他人の害悪に仕返す気持ちが無い心。
衆生も皆、仏と同じ無量の心をもっているのですが、衆生は日々、煩悩に振り回されているので、
箸・じゃく・の心(自己中心の考え)を、なかなか捨て去ることができません。
私は悟りを得て以来、因縁や譬えなどの方便力を用いて、仏の智慧を説いてきました。
仏の智慧の教えを真剣に聞いた多くの衆生は、心が浄化し、箸じゃく を捨て去ることができました。
仏の智慧である・知見波羅密ちけんはらみつ の方便力・が、この衆生たちの心を浄化したのです。
仏の智慧が、衆生を救いの道へ利導りどう したことなのです。
仏が深く修行して会得した智慧のひとつである知見波羅密の力とは、真の姿を見極める力です。
また、仏の智慧は、無始の遠い過去から永遠の未来までも、はっきりと見透しているのです。
だから、このような偉大な力を発揮する仏の智慧を、衆生は皆、心から求めてやまないのです。
舎利弗よ、衆生には想像だに出来得ない無量の真理を究めた完全無欠の存在が仏なのです。
つまり、無量の真理を成就した仏だけが、無量の真理を理解しているのです。 これは真実です。
とにかく、無量の真理は、この世では類るいをみないが故に、衆生にはとうてい理解できないのです。
では真理とは何なのか?
ー真理とはー、この世の万物に当てはまる ー宇宙の法則ーです。
この世の万物が、現象として現れるときの姿や性質 (相そう 性しょう 体たい )はどんなものか、
その相そう 性しょう 体たい がもっている力・作用は どういうものなのか、
その相・性・体・の力が、互いに作用しあって変化するときに、どういう因(原因)が、
どういう縁(条件)により、どういう果(結果)を生み、その後にはどんな報(事実)が残るか、という法則です。
真理であるこのこの法則には、十如是の相にょぜのそう(十の相すがた )があります。
如是相にょぜそう 如是性しょう 如是体たい 如是力りき 如是作さ 如是因いん 如是縁えん
如是果か 如是報ほう 本末究竟等ほんまつくぎょうとう です。
本末究竟等は、本(初め)から末(終わり)まで、究竟(結局)法(真理)と等(同じく)成るという意味です。
この世の万物は皆、真理の法則に従って存在しているのです。
私(世尊)は、この十如是じゅうにょぜ から展開した「一念三千の教え」いちねんさんぜん を、説いていますが、
詳しくは、これから、徐々に説いていきましょう」と、仰いました。
つづく