如来寿量品  (2)

  前品:従地涌出品第15 じゅうぢゆぼん では無数の大菩薩衆 だいぼさつしゅう 地下から涌いて出現された。
  世尊の直弟子さえも今まで見たこともない
大威徳を具えた菩薩衆が数多く地から現われ出てきた。
  
世尊はこの大菩薩衆たちのことを、皆自分の成道じょうどう 後に教化してきた菩薩たちだと言いました。
  しかし世尊が成道じょうどう してからまだ40数年しか経てません。
  そんなバカな! 僅か40数年で
こんなに多くの菩薩衆を教化できる訳がありません。
  
法座の菩薩弟子たちも大いに驚き大衆たちは皆、ビックリ仰天し不思議がっています。
                                        オイラも
 不思議です 計算が合わない
‥‥‥ボサツマン
  
世尊はさらにこの大菩薩衆は無量劫むりょうこう 非常に長い時間を修行した人たちだと 言いました。
  いくら
 お釈迦さまといえどもわずか40数年の間にですよ、
  こんなにも多くの菩薩たちを教化することは
 生身の人間ができることとは誰も思いません。
  その時です 弥勒菩薩 みろくぼさつ が代表しその真相を世尊に訪ねました。
 
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  ここから
 如来寿量品のはじまりです
 
経文: 爾時仏告諸菩薩 及一切大衆 諸善男子 汝等當信解 如来誠諦之語』   ★1 ここの経文
  
「爾時その時  ほとけ 諸々の菩薩及び 一切の大衆に告げたまわく、 諸々の善男子 汝等なんじら まさに 
    ”如来の誠諦じょうたい  みこと  信解しんげ すべし
    復また 大衆に告げたまわく 汝等なんじら まさに ”如来の誠諦じょうたい の語を 信解しんげ すべし
    又復またまた 諸々の大衆に 告げたまわく 汝等なんじら まさに ”如来の誠諦の語を 信解すべし”
             世尊は 三度も 汝等なんじら まさに 如来の誠諦の語を信解しんげ すべしと言いいました。
                
なぜ世尊は 三度も同じ言葉を繰り返したのでしょうか‥‥‥‥ボサツマン
 
世尊 意味を説く
 
「誠じょう まこと  たい 真実の意味ですので 誠諦じょうたい とは 心の奥の心本心のことです。
  誠諦じょうたい の言葉は 方便 ほうべん 相対する言葉です。           方便とは?」:「方便の三乗
  方便とは衆生の機根の違いに応じて 理解しやすい表現や譬えを用いた説法のことです。
  私は
世尊迹門しゃくもん の教えを説くのに 方便ほうべん の教えを 繰り返し説いてきました。
  凡夫や衆生にとって
方便の話は理解しやすいので 無理なく気楽に聞くことができるのです。
  そして
 衆生が法の理解をだんだん深めて 悟りの道を目指して歩んでいくのです。
  誠諦 じょうたい とは 正味の真実を説くことです。
  料理で例えると
 味付けしていない材料素材生地のことです。
  仏が教えを説く目的はすべての衆生を仏の悟りの境地へ到達させるためです。只 これひとつなのです。
  私は
世尊 説法を聞き修行続ける弟子や大衆たちの 仏の法への理解力がかなり付いてきたので
  今 ここで
誠諦じょうたい ー生地そのままの真実 説き明らかにするのです。
  これは
弟子のあなた方のレベルが高くなった証拠なのです。
  さらに
私は もうすぐ入滅(この世を去る)しますので 真実の教えを 説かねばなりません。
  仏の教えの完成のため 弟子たちの法への理解度が高くなった
今が 真実の教えを説く時と決断しました。
  こういう思いで
非常に重大な誠諦説いたのでした。
 次に大切なのは 信解すべし」です。                「釈尊/苦行釈尊/不断の修行人上練磨
  この意味は
仏の教えを説く根本的な姿勢と考えにあります。
  私は
世尊 自分が悟った真理自分の言葉で弟子や世間の人々に 説いてきました。
  自分の考えを押しつけることなく
自分が悟った真理信解すべし強調し説いているのです。
  つまり汝等なんじら も見よ」とは、衆生たちよ自分
世尊を見習って修行しなさいという意味なのです。
                                            
  次に大切なのは
 きた」です
  これは 諸仏が悟った真理の道へ「汝等なんじら も来きた 」と いう言葉です。
  衆生たちよ 私を見習って法を実践しましょう そうすれば必ず 法を理解できますよという意味です。
  私は世尊
自分から修行を求めて苦行を重ね自分自身で真理の道を悟りました。
  自分が体験したことだから
強い自信をもって 衆生に説くことができるのです。
  自分で努力して壁を克服した人は
自信に満ちてた態度と言葉で責任もって 他人を指導できるのです」。
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  徹底的に苦行を体験した世尊ですが 自分の体験だけでなく 理性仏の智慧を以って 説法されました。
  世尊が 修行を積んだ弟子に ただ「信ぜよ」ではなく 信解せよ」と説いた理由が ここだと思います。
  世尊は 聞く人の理性に対して 理論的に構築された教え方で 真理の法を説きました。
  理論的な説法でしたので 衆生たちも オイラも 世尊の教えを 心から聞くことができたと思います ウンウン。
  いい事言うね〜 オイラは!  (自画自賛のボサツマン) ……… ボサツマン         つづく