如来寿量品 (3)
経文:
『弥勒為首 合掌白仏言 世尊唯願説之 我等當信受仏語 如是三白己復言……』 ★2・「ここの経文」
「是の時に、菩薩大衆・弥勒菩薩を首はじめ として 合掌して 仏に白もう して言もう さく、
世尊 唯ただ 願わくは之を説きたまえ。 我等われら 当まさ に 仏ほとけ の語みこと を 信受し奉たてまつ るべし。
是かく の如く 三たび白もう し已おわ つて 復また 言もう さく 唯ただ 願わくは 之これ を説きたまえ。
我等われら 当まさ に 仏ほとけ の語みこと を 信受し奉たてまつ るべし」。
解釈:
この時、「弥勒菩薩」みろくぼさつ を筆頭として 大衆一同が 合掌して 仏に向かって申しあげるました。
ー世尊、どうぞ、教えお説きください。私たちは 仏さまのお言葉を信受しんじゅ して奉りますーと
三度繰り返し申し上げ、さらにもう一度、同じ言葉を繰り返して お願いしました。
大衆を代表した弥勒菩薩は 法を聞きたいという熱烈な願いを 三度 世尊にお願いしました。
「序品第1」じょぼん では
世尊の白毫相びゃくごうそう から放たれた光は、宇宙のあらゆる国土を照らし出しました。
”これはどうしたのだろう”と 不思議に思った弥勒菩薩が、その訳を文殊菩薩もんじゅぼさつ に聞きました。
文殊菩薩は、過去の経験から、世尊はこれから、真実の教えを説くでしょうと 説明しました。
ということは 文殊菩薩のほうが 弥勒菩薩よりも 先輩の菩薩と理解できます。
菩薩の間の、先輩とか後輩という序列は どうなっているのでしょうか。
「提婆達多品12」だいばだったぼん と 「安楽行品14」あんらくぎょうぼん の代表は 文殊菩薩もんじゅぼさつ でした。
しかし この品では 弥勒菩薩みろくぼさつ が 代表の役を勤めています。
そして 「普賢菩薩勧発品第28」では 普賢菩薩ふけんぼさつ が 代表を勤めています。
世尊 諸法無我しょほうむが の教えを説く 「三宝印/諸法無我」
「仏の智慧ちえ とは、この世のすべての物事の本質を 良く見極めていて 知り尽くしている智慧のことです。
つまり 物事ものごと が起きたり・消えたりして 移り変わる理法を 正しく知り得ている智慧のことです。
仏の智慧を会得した衆生は この世は 互いに助け合う関係で成立していることを 理解しています。
だから 自分1人の智慧だけでは この世を良くすることができないことを 知っています。
仏の智慧を得た衆生は まだ仏の智慧を知らない人たち つまり 人の道からはずれた人たちに出会った時
慈悲の心 (彼らを救ってあげようという気持ち)が 心の底から自然に湧き出てくるのです。
慈悲の心が湧き出ると 自分自らが行動(行為)を 起こさずにはいられなくなります。
その慈悲の行為は 法を知らない人には法を説いてあげ 人の道を踏み外している人には人の道を教え
正しい人の道へ引き戻してあげる という行動を 自らの意思で行うのです。
又 法を修行する人には その修行を励まし その人の成長を温かく見守る心が 強く起きてきます。
このように 智慧ちえ 慈悲じひ 行ぎょう の三つが完全に実行されてこそ、仏の教えが完成されるのです。
この三つが完全に実行された時に この世から苦が消え 楽らく だけの浄土じょうど と成るのです」。
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☆ 菩薩は 智慧・慈悲・行を象徴する 「観普賢菩薩行法経」では 行の教えが説かれる。
文殊菩薩もんじゅぼさつ は智慧 弥勒菩薩みろくぼさつ は慈悲 普賢菩薩ふげんぼさつ は行 を象徴しています。 つづく