HISTORIA DOMINICANA JAPONENSIS
Nihon no Dominikokai no Rekishi
1996年9月作成
朱門岩夫 編集・制作
最終更新日19/01/12
迫害下の日本におけるドミニコ会の宣教
基本年表
1549年 キリスト教の伝来:イエス会士フランシスコ・ザビエル、鹿児島に上陸
1587年 ドミニコ会ロザリオの聖母管区開設(マニラ)
1587年 豊臣秀吉、バテレン追放令1597年 26聖人殉教(長崎)・豊臣秀吉
1602年 ドミニコ会日本到着
1622年 元和の大殉教(長崎)・徳川秀忠
1635年 鎖国令・徳川家光
1854年 開国・日米和新条約
1862年 文久2年 26聖人列聖(スランシスコ会6名、イエス会3名、日本人信徒17名)
1864年 長崎大浦天主堂創建・パリ外国宣教会が日本宣教を担当
1867年 大政奉還・王政復古の大号令 → 1868年 明治維新(明治元年)
1867年 日本205福者殉教者列福(ピオ9世)・92名がドミニコ会関係者
1873年 明治6年 キリスト教解禁 ※浦上四番崩れ(1867年以降)
1904年 明治37年 四国地区、パリ外国宣教会からロザリオの聖母管区に移管
1928年 昭和2年 函館代牧区、パリ外国宣教会からカナダ管区に移管
1981年 トマース西と15殉教者列福(フィリピン)・すべてドミニコ会関係者
1987年 聖トマース西と15殉教者列聖(バチカン)
近世日本におけるドミニコ会の活動年表
第1期 1602 - 1637禁教下のドミニコ会の来日と宣教
※ 『談義者の門派』(正式名称:説教者兄弟会、通称:ドミニコ会)
※ ドミニコ会指導の各種の信心会
以下すべて、福者アルフォンソ・ナヴァレテ神父が継承ないしは創設。
○ 『ロザリオの組』:フランシスコ・モラーレス神父が長崎に1604年創設。会員2万人以上。
○ 『ゼススの組』又は『イエスの御名の組』:信徒使徒職団体(創設)
○ 『十字架の組』:1614年 教区司祭フランシスコ村山神父(長崎代官アントニオ村山当安の息子)が長崎で組織、迫害下の相互援助組織。1615年に継承。
○ 『ヌメロ』または『ヌメロのロザリオの組』:1615年に創設。『ロザリオの組』の精鋭部隊。迫害下に宣教師を命懸けで匿うことを誓う。
○『愛徳の組』:1616年創設。病人、孤児、捨て子、長崎市外に住む被差別住民の世話をする。
1.日本に来日した最初のドミニコ会士
ロザリオ管区長代理ファン・コーボ神父
入貢を促す豊臣秀吉の強圧的な書状(1592,5/29)に回答するため、フィリピン総督ゴメス・ペレス・ダスマリーニャスは、中国語を解するファン・コーボ神父以下数名を総督使節として日本に派遣。1592,6/29マニラ出帆、24日後、薩摩の久志 → 肥前の名護屋・秀吉に謁見。布教許可を秀吉に進言するが不許可 → 秀吉の返書を携えて、久志港を同1592年11月下旬に出帆、台湾近海で遭難。現地の住民に殺される。
2.第1次宣教団
基本年表
1597年、豊臣秀吉、死去
1600年、関ヶ原の戦い
1603年、徳川家康、征夷大将軍 → 江戸幕府の成立
家康は、富国強兵策を推進するため、外国貿易を奨励 → キリスト教の容認
他方、外様大名・薩摩の島津家(義弘・忠恒父子)も、藩財政の立て直しのために外国貿易に関心を示す。
1601年〜1605年 | 1606年〜1610年 | 1611年〜1615年 | ||
1616年〜1620年 | 1621年〜1625年 | 1626年〜1630年 | ||
1631年〜1635年 | 1636年〜1637年 |