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ジョルジュ・ルオーについて
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ルオーの花の絵を目にした時、花の種類を判別することは難しいと思います。
ルオーが花を描く時、モチーフの花を単純に模倣しようとする意識は皆無であり、全体としてひとつのまとまった、いくつもの美しい色の塊として捉えようとしています。
ひとつひとつの色彩が宝石のような輝きを放っていながら全体として秩序のある、みごとな調和を見せているのは、そのような意識によるものです。
さらに、咲いている花だけが花なのではなく、花が入っている花瓶、その花瓶が置かれいる台や布、空間を切り取っている額さえも全て花として扱われ、それは、あたかも、全体がひとつの花束であるかのようです。
ルオーの作品における、もう一つの大きな特徴は、マチエールです。
一目でこれは、ルオーの作品だとわかる黒の力強い縁取りや、どっしりとした厚塗り。
さらに、厚塗りをした絵の具を削り取り、その上から再び色を塗り重ねていくことで、長い間、雨風にさらされた自然石のような風合いを生み出しています。
そして、そのようなマチエールが余分なものを一切排除したシンプルな構図と合わさって深い味わいを醸し出しているのです。
ルオーは人物や自然や花のもつ本質的な部分、言うなれば、魂を描こうとしました。
花を題材として扱う時も花を神が創造した美しい自然、そして、その花を描くことは美しき自然への賛歌であると捉え、花のもつ外見的な華やかさでなく、内部に秘められた本質的な美しさを表現しようとしています。
私達は、美しい花や風景に感動します。
しかし、その美しい対象を、目にしたまま写実的に描くのでは、その人独自の感性や表現から逆に遠ざかってしまいます。
絵は説明ではありません。
描く対象を哲学的に解明し、作家独自の方法論によって表現まで高めていく、ということが最も大切なのです。
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