観普賢菩薩行法経 かんふげんぼさつぎょうぼうきょう (1)
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この経は 懺悔経 さんげきょう とも呼ばれ 衆生の真の懺悔さんげ とは どういうものかを 説いている。
この経は 「結集」 けつじゅう のとき編纂した経典で 法華経の結経けっきょう として唱えられる経典です。
世尊
「懺悔は 仏の世界ではさんげと発音し 人への懺悔と仏への懺悔とがあります。
人への懺悔 人間社会において 自分の心の中を 素直に告白する行為です。
つまり 普通一般の 懺悔さんげ のことで 自分の過去の心と行動の過ちを 告白し反省することです。
衆生が懺悔を行うと 魂が清まり罪の意識を突き離し 六根のうちの 最も大切な心が清浄になります。
この場合 相手に対して行う懺悔と 指導者や目上の人に行う懺悔があります。
懺悔の後は 気持ちのわだかまりや負担が消え 許し合う心が生じ 人間関係の不和が解消されます。
許し合う心は 最も善の心である和の仏心のことです。 美徳の心なのです。
美徳の心が生じた衆生は 健康上の問題も 同時にスッキリと 解決することも多くあります。
オーストリアの学者/フロイトが確立した精神分析学も この原理が根本なのです。
仏への懺悔 仏に対して直接行う懺悔が 真の懺悔です。
日々 仏の教えを根本において 自分の不足や心の誤りを反省し 身と心を正しく保つことが大事です。
衆生は 仏の教えを深く思索して 日常の身のあり方や 心のもち方を正しく保ち 生きると良いのです。
真の懺悔とは 自分の力で仏性のホコリを払い 仏性の輝きを磨き上げる行ぎょう なのです。
「常不軽菩薩品」では 常不軽菩薩が他人の仏性を拝み その人の仏性を発掘させました。
つまり 真の懺悔の目的は 人間の内面の仏性を覆っている ホコリや汚れを洗い落とすことです。
人間の内面にある価値無限の宝石であるー仏性ーのホコリ・汚れを取り除くと 仏性が輝きだします。
仏性が輝くと 身体が健康になるとか 人間関係の不和が改善されるなどの現世利益げんぜりやく が与わります。
つまり 法華経の教えは 人間の仏性発掘の教えなのです。
しかし 衆生が自分の仏性を自分で洗い磨き上げることは なかなか容易なことではありません。
だから 衆生は この観普賢菩薩行法経を 学ぶと良いのです。
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ある時 世尊は 毗舎離国びしゃりこく の大林精舎だいりんしょうじゃ での説法会にて 仰った。
「私は この世において説くべきことはすべて説き終えましたので まもなく滅度めつど します」。
この言葉を聞いた弟子の阿難あなん は がくぜんとなり 身体の震えがとまりません。 「仏の十大弟子」
やがて 気をとり直して 立ち上がり衣服を整え 世尊のまわりを三度廻り 膝まずいて合掌を組みました。
合掌したまま 沈痛ちんつう な表情をうかべ 世尊の尊顔をじっと 仰ぎ見つめておりました。
教団の長老/摩訶迦葉まかかしょう と 弥勒菩薩みろくぼさつ も 同じ表情をうかべ合掌を組んでいました。
やがて 阿難 摩訶迦葉 弥勒菩薩の三人は 口を揃えて世尊にお聞きします
「世尊の入滅のあと 仏の道を志す衆生が 菩薩心ぼさつしん を起こし保ちつづけるには……
また 万人を平等に救済できる大乗の教えを 修行し 習得し 会得するには……
そして その衆生たちが 諸法実相しょほうじっそう を悟るには……
さらに 無上菩提むじょうぼだい の仏の智慧を会得する心を持ち続けるには……どうすればよいのでしょうか。
そして 煩悩と五欲の現実社会に住む凡夫が 六根を清め罪を償うには どういう方法があるでしょうか
つまり 煩悩を断じ切れない五欲まみれの衆生が 諸根を清め諸罪を滅除する方法を知りたいのです。
加えて その五欲を離れきれぬ衆生が 両親からもらった肉体の目のまま 煩悩に迷わされることなく
ものごとの真実の実相じっそう を見て生きるには どうしたらよいのか……これらを教えてください」。
素晴らしい質問ですね オイラも聞きたいです ………ボサツマン
世尊
「阿難 迦葉 弥勒よ これから説いて聞かせましょう。 よく聞き 良く考えねばなりません。
私は今まで いたるところの説法会せっぽうえ において 諸法実相しょほうじっそう を 細かく説いてきました。
しかし 今また 質問がありましたので 再び説きましょう。 「三宝印」
未来世みらいせ の衆生は五欲の生活を営む中で 無上の法(悟り)を求めて 修行せねばなりません。
五欲の人間生活を営みながら 普賢の行を学び 実行する未来世の衆生のために 今 再度
所念の法しょねんのほう (心をどう保ち心をどう清めるか)を 説き聞かせましょう。
早く聞きたいです オイラも罪業深い人間です 涙と鼻水がくすん‥‥‥‥ボサツマン
未来世の衆生の修行の手本となるのは 普賢菩薩ふげんぼさつ が行なった普賢の行ふげんのぎょう です。
普賢菩薩を 知っている衆生も・知らない衆生も 普賢の行を深く学ぶと良いのです。
この普賢の行を実行する衆生は皆 あらゆる罪業ざいごう を清めることができます。
では 次のページから 罪業を清める普賢の行を 詳しく説いていきましょう」。 (2)へ