4.雲龍寺 〔所在地図〕

所在地 群馬県館林市下早川田町1896番地

解 説
雲龍寺の朱門 (H16/11/23 Tue 撮影)
雲龍寺本堂 (H16/11/23 Tue 撮影)
 雲龍寺うんりゅうじは、1553年に早川田さがわだ氏家臣により、曹洞宗そうどうしゅうの寺院として創建そうけんされた。
 その後、火災や洪水により幾度となく大破したが1843年に地積8尺(約2.42m)を盛土し本殿山門を再建した。本殿の一六羅漢じゅうろくらかんの像は、1845年彫刻師小林龍洲、内田浦松の作と云われている。
 また当寺は「日本の公害の原点」といわれる足尾銅山鉱毒事件で一躍いちやくその名を知られることとなった。

 明治29(1896)年10月、正造は「栃木群馬両県鉱毒事務所」を設け、その後、足尾銅山鉱業停止請願事務所として、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県鉱毒被害民の闘争とうそう本部となった。ここが鉱毒被害町村のほぼ中央に位置していたからである。

 明治33(1900)年の川俣事件のとき、鉱毒被害民はここに集結しゅうけつして請願せいがんのため上京し、利根川沿岸の川俣村かわまたむら弾圧だんあつされた。

 また、本堂に上がる右手に鐘がある。この鐘を合図に続々と結集した農民たちが鉱毒悲歌を高唱こうしょうしながら、東京への大押出し(一大請願行進)を繰り出したのだ。この雲龍寺こそ正造がその半生をかけることになる闘いの始まりの地といえるのである。このほか、本堂内には資料室があり、田中正造に関する資料が公開展示されている。


足尾鉱毒事件被告の碑 (H16/11/23 Tue 撮影)

 雲龍寺の門を入って左手にある「足尾鉱毒事件被告の碑」には、正造の歌「毒流すわるさ止めずバ我やまず渡良瀬利根に地を流すとも」と詠まれている。
(写真=左)




石碑 (H15/6/10 Tue 撮影)

 雲龍寺の朱門しゅもんを入り、左手にある「足尾鉱毒事件被告の碑」を過ぎると石の階段が数段あり、高台となっている場所が、正造の墓所となっている。
 墓所と同じ敷地に後に紹介する救現堂きゅうげんどうがある。この堂は一度大きな改修がされ、昭和48年10月に竣工しゅんこうとなった。それを記念するための「大改修記念石碑」が置いてある。
 この他にも石碑があり、「大正二年九月四日 享年きょうねん七十三才 田中正造翁終焉しゅうえんの地」ときざまれている。
(写真=右)




正造の墓 (H15/6/10 Tue 撮影)

 境内には正造の分骨墓地がある。
 (写真=左)

 墓は、正造をたて祀る救現堂とともに昭和48年に館林市史跡に指定され、今でも毎年10月4日に、供養くようの式典が行われている。



救現堂
救現堂 (H16/11/23 Tue 撮影)


大改修記念石碑 (H15/6/10 Tue 撮影)

 田中正造が病床にあって「現在を救え、ありのままを救え」と絶叫したことにちなんで名づけられた救現堂がある。
 救現堂は、田中正造没後6年目の大正8(1919)年に仮本堂として創建された。その後、風雨にさらされ殊に第二次世界大戦後は崇拝が念地に落ちて一時は解体の声さえ起こるほどであった。しかし、昭和40年代に入り公害問題がクローズアップされ、特に足尾鉱毒事件は日本各地の公害の原点として社会の注目を集めることとなった。
 これにより救現堂の評価が高まり、沿岸住民その他多くの有志者が寄付を行い救現堂大改修工事に着手した。併せて資料等を整備して昭和48(1973)年10月4日竣工となった。この時の総工費5,456,237円、寄付者数5,477名であった。
 また、救現堂の右脇に大改修を記念した石碑(写真=下)が、翌年の昭和49(1974)年10月に設置された。石碑の表面には正造の歌「毒流すわるさ止めずバ我やまず渡良瀬利根に地を流すとも」と記され、石碑の裏面には「田中正造翁60回忌記念碑」の表題と記念句が記されている。記念句は、ほぼ上記に説明した内容と同様である。


雲龍寺と渡良瀬川
雲龍寺全景 (H16/11/23 Tue 撮影)
渡良瀬川 (H16/11/23 Tue 撮影)

 雲龍寺は、渡良瀬川堤防の北側に隣接した形で存在する。足尾鉱毒事件が発生した折、この場所が鉱毒被害町村のほぼ中央に位置していたため足尾銅山鉱業停止請願事務所が置かれ、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県鉱毒被害民の闘争本部となった。
 写真の雑草が写っている場所は、渡良瀬川左岸の堤防である。現在では、国土交通省渡良瀬川河川事務所により護岸と環境整備が行われている。
 また、少し下流に行くと平成12年度から「佐野市渡良瀬川緑地公園」の建設が進められ、野球場1面、ソフトボール場3面が整備された。なお、平成21年4月に渡良瀬川緑地において開催された利根川水系連合水防演習に伴って整地された跡地の有効活用として、ソフトボール場1面、運動広場2面とトイレ1箇所の整備が計画されている。