◆ 面 積 約33k㎡(約3,300ha)
東西約 6km
南西約 9km
周囲約 29km
◆ 貯水容量
(全 体) 約20,000万立方m
(第1貯水池) 2,640万立方m
◆ 流水河川
渡良瀬川・巴波川・思川・他
渡良瀬遊水地 |
渡良瀬遊水地流入堤・最北部 (H13.9.22撮影) |
藤岡町を中心に・栃木・群馬・埼玉・茨城の各県の一部に広がる大遊水地で、出水時に渡良瀬上流からの流れの一部をここへためて、下流へ流れる水量をへらし、利根川本流の洪水調節を行うものである。
この遊水池は、明治43年(1910)から大正11年(1922)にかけての渡良瀬川改修工事により遊水地内の用地買収を行い、藤岡町の台地を開削して渡良瀬川を地内の赤麻沼に落水し、思川・巴波川の流末を整正し、さらに古河より利根川に至る河道の開削、築堤を行って形成されたものである。
しかし、その後昭和10年・13年・22年と大洪水があり、これらをもとにたてられた新しい改修計画で、遊水地を調節池化して3つの調節池をつくり、利根川本流の計画洪水流量に影響を与えないことを目的に、従来よりも洪水調節機能を増大させることとされた。
調節池化工事は、遊水地内を流れる渡良瀬川・思川・巴波川に沿って新しい囲ぎょう堤をつくり、その一部に越流堤を設け、さらに池内の水を排水するための排水路・排水門を設けて調節池をつくるものである。
工事は昭和37年度に開始され、第1調節池は昭和45年度に第2調節池は昭和47年度に第3調節池は平成9年に完成した。
その後、2006年に「渡良瀬遊水地を守る利根川流域住民協議会」が関係6団体とともに渡良瀬遊水地を「ラムサール条約登録湿地」にすべく運動を開始、6年間という年月がかかったが平成23(2012)年7月3日にラムサール条約に正式登録された。
◆ 現在の遊水地
3,300haにおよぶ広大な遊水地の南端には45haのハート型をした谷中湖がある。
ここには、約500種もの動植物たちが息づく自然の宝庫でもある。自然観察ゾーン、親水多目的ゾーン、子供広場ゾーン、谷中村遺跡保全ゾーンなどがあり、巨大な楽園となっている。堤防の下には栃木県藤岡町の渡良瀬運動公園があり、野球場やテニスコートなどが広がっている。
ウインドサーフィン (遊水地北ブロック) | 渡良瀬バルーンレース (渡良瀬運動公園) | |
ミズアオイ(絶滅危惧種2類) (H13.9.15撮影) |
そして、8月初旬に開催される「スカイファンタジー in WATARASE」では、谷中湖を舞台に、水に親しみ楽しく遊ぶ「いかだパフォーマンス」が、昼間行われる。趣向を凝らした力作揃いのいかだが浮かぶユーモアたっぷりのレースである。
夜を迎えると「渡良瀬遊水池花火大会」が始まる。全国的にも非常に珍しい2会場による同時打ち上げで、二尺・三尺玉、水中花火、仕掛花火など、約35,000発の花火が、夜空のキャンパスと谷中湖の鏡のような湖面をメルヘンチックに彩り、他では見られないスケールの大きい花火大会となっている。
いかだパフォーマンス | 渡良瀬遊水地花火大会 |
正月が過ぎ3月を迎えると渡良瀬遊水池の「ヨシ焼」が行われる。ヨシ焼は、豊かな自然を守り、未来に伝えるために大切な役割を担っており、主には害虫駆除、そして簾などの材料となる優れた葦を得るために必要な行事となっている。
次の動画はヨシ焼の様子を伝えています。momo357さま提供。
◆ 越流堤
建設省は昭和38年度から、不十分だった洪水調節機能を高めるため工事を進め、洪水時に遊水地の水と利根川からの逆流水を調節する目的で建設した。
越流堤 |
延命院跡に残る墓石群 |
谷中村は、面積約11k㎡(約1,100ha)、北は赤麻沼・石川沼、西は渡良瀬川、東は巴波川・思川などによる湿地帯で、これらに囲まれた栃木県最南端の村である。
足尾鉱毒事件によって、明治35年(1902)国は谷中村をつぶして鉱毒水をここに流しこむことを決め、明治38年(1905)谷中村の土地買収が行われた。谷中村民は、栃木県藤岡町・野木町・小山市・南那須町・群馬県板倉町、埼玉県北川辺町・茨城県古河市などへ移転し、ついに明治39年(1906)7月谷中村は藤岡町に合併され、廃村となった。