2.佐野市郷土博物館 〔所在地図〕

利用案内
 所 在 地 栃木県佐野市大橋町2047
 ℡0283-22-5111
 開館時間 午前9時~午後4時30分
 休 館 日 毎週月曜日、国民の祝日、毎月末日
 年末年始(12月28日~1月4日)
 入 館 料 無料(企画展開催時は有料)


郷土博物館の外観
 佐野市の中心部より約1kmほど西へ向うと「佐野市西部公共施設地区」があり、その中心に佐野市郷土博物館がある。
 全体の色調がグレーで統一されており格調高い。外観ではそれほど広くは感じられないが、中に入ってみると思ったより広いスペースがあるのには驚く。

 道路から博物館への門を入ると、左手に田中正造の銅像が設置してある。この像は屋外用であるが、屋内の特設展示場には金色に輝く田中正造がある。

銅像の制作者
監修 三井安蘇夫
彫塑 本郷 寛

 門を入って正面より、やや右にあるのが博物館の入口である。この博物館は企画展の開催されている時は有料だが、普段は無料で入館できる。なお、有料の時でも大人200円程度なので良心的だ。
 また、団体で利用する場合は前もって電話を入れておくと「案内ボランティア」のお姉さんが説明してくれる。



田中正造特別展示室
 これが、黄金に輝く田中正造である。この像の足元には、足尾銅山から旧谷中村まで続く渡良瀬川の地図が記されており、鉱毒被害の流域を見ることができる。
 このブースでは、正造の活動がビデオ放映されており、7分間と短い時間だが良くまとめてあり、理解しやすい内容だ。

銅像の制作者
彫塑 一水会々員 河西昭治


 田中正造の衣装の主なものが展示してある。天皇直訴の瞬間に着ていたものであろうか、目の当たりにすると何とはなく荘厳な気分に陥る。
 正造の遺品である袋と小石3個、扇面に非戦主義を唱える文字が記されているものなどがある。



 ここには鉱毒被害地図がしたためられている。正造が晩年、鉱毒被災地の河川調査で記したものであろうか。



 正造が死亡時に残した数少ない遺品のうち、右の写真は「マタイ伝・憲法合本」である。


◇展示品一覧
天地とともに生きる
正造立像、鉱毒被害地図、正造の言葉
ビデオ「田中正造の歩いた道」7分間
政治の道を志す
明治3年の日記、安蘇結合会日誌、「忠節社」額、国会開設建白書控、三島県令土木事件覚書、県庁落成式祝辞
足尾鉱毒問題
界村の麦田被害(写真)、鉱毒被害地各村落略図、川俣事件臨検団と正造(写真)、田中正造謹奏文(直訴状)、直訴後の夫人あて手紙
田中正造略歴
正造略歴、正造顔写真
谷中村問題
非戦主義(扇子)、谷中村関係写真、請願書草稿、正造日記、利根・渡良瀬水害見取り図(軸)、「真人は無為にして多事」(軸)
遺品
みの、笠、三ッ紋付単衣、合切袋、河川調査の原稿、マタイ伝と憲法合本、新約全書、小石3個、正造日記
関連資料
田中庄造(父)書簡、りん(妹)書簡、幸徳秋水見舞状(書簡)、正造葬儀決算報告書、正造分骨地(写真)
 

人間国宝 田村耕一作品
 昭和61年3月、田村は国より重要無形文化財保持者(人間国宝)に鉄絵の技法で認定された。大皿や大壷に鉄絵を付けるのが得意だった。その他、佐野市庁舎や佐野市文化会館、宇都宮市庁舎の市民ホールなどにウォール・モニュメントを作成している。
 ここ佐野市郷土博物館には、彼の作品の一部が展示してある。このホームページでもウォール・モニュメントを写真により見ることができる。


展示テーマ「原始から近現代へ」
  ∞∞∞ 佐野の源流をたずねて ∞∞∞
         ○手から道具へ
         ○土器製造の開始
         ○出流原遺跡
  ∞∞∞ 古代の佐野 ∞∞∞∞∞∞
  ∞∞∞ 中世の佐野 ∞∞∞∞∞∞
  ∞∞∞ 近世の佐野 ∞∞∞∞∞∞       (内容省略)
  ∞∞∞ 近代への始動 ∞∞∞∞∞
  ∞∞∞ 産業と交通の発展 ∞∞∞
  ∞∞∞ 佐野の際物 ∞∞∞∞∞∞