◆利用案内
所 在 地 | 栃木県佐野市大橋町2047 ℡0283-22-5111 |
開館時間 | 午前9時~午後4時30分 |
休 館 日 | 毎週月曜日、国民の祝日、毎月末日 年末年始(12月28日~1月4日) |
入 館 料 | 無料(企画展開催時は有料) |
◆郷土博物館の外観
佐野市の中心部より約1kmほど西へ向うと「佐野市西部公共施設地区」があり、その中心に佐野市郷土博物館がある。
全体の色調がグレーで統一されており格調高い。外観ではそれほど広くは感じられないが、中に入ってみると思ったより広いスペースがあるのには驚く。
道路から博物館への門を入ると、左手に田中正造の銅像が設置してある。この像は屋外用であるが、屋内の特設展示場には金色に輝く田中正造がある。
銅像の制作者 監修 三井安蘇夫 彫塑 本郷 寛 |
門を入って正面より、やや右にあるのが博物館の入口である。この博物館は企画展の開催されている時は有料だが、普段は無料で入館できる。なお、有料の時でも大人200円程度なので良心的だ。
また、団体で利用する場合は前もって電話を入れておくと「案内ボランティア」のお姉さんが説明してくれる。
◆田中正造特別展示室
これが、黄金に輝く田中正造である。この像の足元には、足尾銅山から旧谷中村まで続く渡良瀬川の地図が記されており、鉱毒被害の流域を見ることができる。
このブースでは、正造の活動がビデオ放映されており、7分間と短い時間だが良くまとめてあり、理解しやすい内容だ。
銅像の制作者 彫塑 一水会々員 河西昭治 |
田中正造の衣装の主なものが展示してある。天皇直訴の瞬間に着ていたものであろうか、目の当たりにすると何とはなく荘厳な気分に陥る。
正造の遺品である袋と小石3個、扇面に非戦主義を唱える文字が記されているものなどがある。
ここには鉱毒被害地図がしたためられている。正造が晩年、鉱毒被災地の河川調査で記したものであろうか。
正造が死亡時に残した数少ない遺品のうち、右の写真は「マタイ伝・憲法合本」である。
◇展示品一覧 | |
① | 天地とともに生きる 正造立像、鉱毒被害地図、正造の言葉 |
② | ビデオ「田中正造の歩いた道」7分間 |
③ | 政治の道を志す 明治3年の日記、安蘇結合会日誌、「忠節社」額、国会開設建白書控、三島県令土木事件覚書、県庁落成式祝辞 |
④ | 足尾鉱毒問題 界村の麦田被害(写真)、鉱毒被害地各村落略図、川俣事件臨検団と正造(写真)、田中正造謹奏文(直訴状)、直訴後の夫人あて手紙 |
⑤ | 田中正造略歴 正造略歴、正造顔写真 |
⑥ | 谷中村問題 非戦主義(扇子)、谷中村関係写真、請願書草稿、正造日記、利根・渡良瀬水害見取り図(軸)、「真人は無為にして多事」(軸) |
⑦ | 遺品 みの、笠、三ッ紋付単衣、合切袋、河川調査の原稿、マタイ伝と憲法合本、新約全書、小石3個、正造日記 |
⑧ | 関連資料 田中庄造(父)書簡、りん(妹)書簡、幸徳秋水見舞状(書簡)、正造葬儀決算報告書、正造分骨地(写真) |
◆人間国宝 田村耕一作品
昭和61年3月、田村は国より重要無形文化財保持者(人間国宝)に鉄絵の技法で認定された。大皿や大壷に鉄絵を付けるのが得意だった。その他、佐野市庁舎や佐野市文化会館、宇都宮市庁舎の市民ホールなどにウォール・モニュメントを作成している。
ここ佐野市郷土博物館には、彼の作品の一部が展示してある。このホームページでもウォール・モニュメントを写真により見ることができる。
◆展示テーマ「原始から近現代へ」
∞∞∞ 佐野の源流をたずねて ∞∞∞
○手から道具へ
○土器製造の開始
○出流原遺跡
∞∞∞ 古代の佐野 ∞∞∞∞∞∞
∞∞∞ 中世の佐野 ∞∞∞∞∞∞
∞∞∞ 近世の佐野 ∞∞∞∞∞∞ (内容省略)
∞∞∞ 近代への始動 ∞∞∞∞∞
∞∞∞ 産業と交通の発展 ∞∞∞
∞∞∞ 佐野の際物 ∞∞∞∞∞∞