○田中正造氏直訴を企つ(遷幸の御途次)
昨日午前11時10分、明治天皇が国会開院式を済ませての帰途、前衆議院議員田中正造氏が、恐れ多くも天皇の馬車をめがけて直訴するという事態が発生した。おおよそは、同日号外をもって報道したが、なおその詳細について次に記載した。
○御願いでございます
国会開院の式を済ませられて、午前11時10分帰途につかれた明治天皇一行が貴族院の正門を出て左折し、更に西に向って同院通用門の前通りにさしかかった時、通用門向こう側、すなわち海軍省横手の拝観人の群集中に一人の老漢あり、その身には黒木綿五紋附きの綿入れに同じ紋付の羽織をあおり、黒毛繻子の袴を身に付け、外套を左脇に抱え居たるが、天皇の馬車が近づくを見て、大勢の拝観人を押しのけてズカズカと進みながら右手に訴状を高く掲げて打ち振り、「お願いでございます。お願いでございます。」と3声、5声叫びながら4~5メートル前へ踏み出し、急に天皇の馬車に迫ろうとしたところを、その前面に居た警護の麹町署詰め巡査・尾川彦次郎(35)、高木八五郎(45)の両人がすかさず左右より駆け寄って、襟髪を捉り両手を捉って引き戻したが、老漢は身を反らしつつ手はなお訴状を捧げ「お願い」を叫びつづけた。
老漢とは他ならぬ前衆議院議員田中正造氏が、陛下に対し奉り、鉱毒事件を直訴し、その解決を願いでたる姿であった。
○特務曹長の落馬
折りしも義仗中にあった近衛騎兵特務曹長・伊地知季盛氏は、かくと見るより馬上から槍を打ち振り、田中氏の行く手を遮ろうと馬を立て直し、氏の前面を彎曲に駆けまわりし途端、馬は弾みを喰って横さまに倒れた。その弾みで曹長も1・2間先に投げ出された。
○鹵簿の御通過
曹長が落馬した時、天皇の馬車はなお数十メートル後にあったので、進行には何らの支障もなく、曹長が再び馬に乗ろうとした時には、すでに馬車は数十メートル先へ進まれており、ご帰還あそばされた。
○田中氏、警察署に送られる
この日、貴族院の横手より桜田門にかけて拝観人が大勢集まり、ほとんど身動きができない状況の中、田中氏の直訴事件があった。天皇の馬車が過ぎ去った後、尾川・高木の両巡査は、ひとまず田中氏を貴族院曲り角にある派出所に連れて行った後、麹町署に護送することになった。
石倉巡査は自転車、竹山巡査部長は腕車、田中氏はこの朝連れきた自分の腕車に乗り、道を半蔵門外の濠端沿いに進み正午12時に麹町署に着いた。
○上等の弁当
麹町署の田中氏に対する取扱は、普通の者と異なりすこぶる親切のように見受けられる。まず署に入って直ぐ左手の応接所に田中氏は連れて行かれたが、同室は四畳半にて中央に四角のテーブルあり。氏は南に面してイスに座り帽子を脱いで、外套を着たまま控えていたところへ、給仕が上等の弁当を用意したのを氏が快く食べた。
○取調べに着手する
田中氏が昼食をとった後、村島署長は取り調べに着手したが、田中氏は少しも臆することなく、豊かな両頬に笑みを浮かべながら、足尾銅山の鉱毒は田畑はもとより人命にまで浸潤して、今は一日も捨て置けない状態である。故に自分は代議士の時、数年にわたって政府に向って人命救護の請願をしてきたが、不幸にして一つも受入れられなかった。しかし、このまま放っておくことは出来ないので、畏れ多きことは十分知っているが、この他に道無しと思い決行したと明晰に答えた。
概して午後1寺30分、東京地方裁判所の羽佐間検事は長谷川監督書記を従えて同署に出張し、一応の取調べを済ませた後、検事正へ打ち合わせのため同2時30分いったん帰途についたが、途中で川淵検事正に会い、共に麹町署に引き返して、村島署長と打合せをした後、再び取り調べに入った。(後略)