和暦 | 西暦 | 出 来 事 |
慶長15年 | 1610 | 足尾銅山が発見されたと伝えられ、間もなく幕府直営の銅山となった。 |
元録13年 | 1700 | 産銅は最高1,500トンに達したが急減し年産150トンとなり、遂に減少の一途を辿る。 |
文化14年 | 1817 | 銅山休止し廃山同様となる。 |
明治 2年 | 1869 | 国有となり、翌年栃木県有、明治4年民営となる。 |
明治10年 | 1877 | 古河市兵衛の所有となる。 |
明治13年 | 1880 | 渡良瀬川に魚が浮死して流れた。栃木県令は魚族有毒として、捕獲を禁止したと伝えられる。 |
明治23年 | 1890 | 大洪水おそい沿岸に鉱毒氾濫し、各町村では鉱毒反対の動きが表面化。 |
明治24年 | 1891 | 12月18日、第2回帝国議会で田中正造が、足尾銅山鉱毒被害について質問演説。 |
明治26年 | 1893 | 6月、群馬県毛里田韮川・強戸他、足尾銅山と示談。 |
明治33年 | 1900 | 2月13日、被害民5,O00余名警官隊によって鎮圧(川俣事件) |
明治34年 | 1901 | 12月10日、田中正造、明治天皇に鉱毒の窮状を直訴 |
大正10年 | 1921 | 小作争議が起こる。 |
大正13年 | 1924 | 大干害と農民大会 |
昭和21年 | 1946 | 渡良瀬川沿岸市町村は、鉱毒対策委員会を結成。群馬県事業として鉱害の実態調査を行なった。 |
昭和33年 | 1958 | 5月30日、足尾町の鉱泥堆積場、源五郎沢の土堤(長さ40m)が決壊、多量の鉱毒が毛里田地区の苗代田に流入した。 |
| | 7月10日、毛里田村鉱毒根絶期成同盟会が被害全農家によって結成された。 |
| | 7月16日、毛里田村議会の意見書並びに要望書を関係機関に提出。 |
| | 8月2日、桐生市、太田市、館林市および山田郡、新田郡、邑楽郡の三市三郡(東毛三市三郡と称す)による渡良瀬川鉱害根絶期成同盟会を結成。 |
昭和34年 | 1959 | 6月12日、渡良瀬川水域指定について経済企画庁、農林省、衆参両院に陳情700人。 |
| | 6月16日、水質保全法による公共用水域の調査水域に指定された。 |
| | 11月24日〜30日、経済企画庁、農林省、通産省、建設省の合同足尾銅山調査が行なわれた。 |
昭和35年 | 1960 | 1月22日、参議院農林水産委員会が、毛里田鉱毒地視察。 |
昭和38年 | 1963 | 6月10日、水質審議会第6部会による現地調査、群馬県庁にて参考人の陳述7人より。 |
| | 12月1日、群馬県山田郡毛里田村は、太田市へ合併。 |
昭和39年 | 1964 | 10月5日、農林省、経済企画庁、通産省へ、バス1O台にて陳情。 |
昭和41年 | 1966 | 10月7日、群馬県議会にて渡良瀬川水質保全に関する意見書を経済企画庁、農林省、通産省に提出。 |
昭和42年 | 1967 | 2月7日、群馬県の水質提示案、銅0.06p.p.mを毛里田地区同盟会拒否。 |
| | 2月15日、水質審議会第6部会に対し銅0.02p.p.mを毛里田地区同盟会陳情。 |
昭和43年 | 1968 | 3月6日、経済企画庁、水質審議会第6部会で渡良瀬川の流水基準高津戸にて銅0.06ppmと決定。 |
昭和46年 | 1971 | 6月9日、毛里田地区同盟会委員、足尾鉱業所、製錬所へ抗議。 |
| | 9月23日、太田市議会、渡良瀬川鉱害特別委員会を設置。 |
| | 12月28日、群馬県発表により、毛里田地区よりカドミウム汚染(1p.p.m以上)10か所から検出。 |
昭和47年 | 1972 | 1月21日、通産省へ監督官庁たる責務を追求。古河鉱業本社へ毛里田地区の銅による被害の80年間の損害金120億円を要求したが応じなかった。 |
| | 1月3日〜3月8日、カドミウム汚染米の凍結について(9,930kg) |
| | 3月31日、農作物損害4億7千万円110名(板橋明治外109名)、古河鉱業株式会社に請求(総理府公害等調査委員会に調停申立て)、5月19日(842人)、6月15日(3人)、8月31日(18入)計971人、総額39億円。 |
| | 4月3日、水田土壌のカドミウムによる汚染について、原因者は古河鉱業であると群馬県が判定。 |
| | 4月10日、古河鉱業(株)から太田市中央農業組合へ2,100万円を農業振興資金として寄付。 |
| | 5月8日、カドミウム汚染対策地域37.42ヘクタールを指定。 |
| | 5月27日、中央公害審査委員会調停委員現地視察(毛里田地区)
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| | 7月14日〜9月14日、環境庁、通産省、農林省、建設省、水資源公団、栃木県、群馬県による降雨時における渡良瀬川合同調査実施。 |
| | 8月21日、総理府中央公害等調整委員会による足尾銅山山本調査。 |
| | 10月17日、農用地の土壌汚染防止等に関する法律に銅が追加指定。 |
| | 12月、土壌汚染防止法に基づく銅汚染土壌の第1回細密調査実施。 |
昭和48年 | 1973 | 6月24日、水質汚濁防止法に基づく排水基準を定める栃木県条例1.3ppm施行される。 |
昭和49年 | 1974 | 3月18日、渡良瀬川流域で土壌汚染対策地域農用地360ヘクタール(銅)指定。 |
| | 5月11日、総理府公害等調整委員会による毛里田地区の損害賠償金15億5千万円で成立。 |
| | 7月12日、農用地土壌汚染村策の関係農家の意向調査(アンケート調査)実施。 |
| | 8月20日〜24日、毛里田地区鉱毒同盟会主催による先進地視察(秋田県小坂鉱山、同和鉱業)
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昭和50年 | 1975 | 4月5日、足尾発電所建設計画について栃木県が説明会を実施。関係省庁へ反対の意見書を提出(太田市) |
昭和51年 | 1976 | 7月5日、農用地の公害防除事業について地元説明会を開催。 |
| | 7月30日、古河鉱業(株)との公害防止協定基本協定書締結、毛里田同盟会認めず。 |
昭和52年 | 1977 | 7月27日、旧毛里田村中央に「祈念鉱毒根絶」の碑建立。 |
昭和53年 | 1978 | 7月27日、「祈念鉱毒根絶」の碑、建碑2周年記念講演会開く。 |