観世音菩薩普門品第25 かんぜおんぼさつふもんぼん
解釈: 「観世音菩薩普門品」・前半・ / 「観世音菩薩普門品」・後半・
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この観世音菩薩普門品では
観世音菩薩を念じると 七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を免れることができる。
人生の「
願い通りの男の子や女の子が授かる、と説かれている。
世尊
「救いの道は 宇宙に遍満する実在の真理を自覚することから始まるのです。
つまり 衆生の誰でも持っている自分の内側の真理(仏性)を 発見して自覚することなのです。
すると 内面の仏性が表面に現われ出て 仏性が現実の生活に生かされて 浄土が出現します。
これが、仏の真の救いなのです。 「顚倒とは」:「諸法無我」
衆生は 自分さえ良ければ他人や社会はどうでもいい、という顚倒てんどう した考えに陥りやすいのです。
これは、この世界は諸法無我しょほうむが であることを無視した考えなのです。
衆生の皆さん 衆生を真に救うことができるのは 菩薩ではなく 仏(如来)だけということです。
しかし もちろん菩薩も 人を救い世を救うことを念願しています。
では 菩薩の真の救いの”はたらき”とは、どんな現われ方なのかといいますと
それは、仏の使者として仏の教えを伝え、仏の道の手本を示すことなのです。
衆生は その手本を見習い 菩薩の生き方を真似て実行することで 救いの道に到達できるのです。
つまり 菩薩は仏の使者として 衆生を救いの境地に導いていく立場です。 「仏の仲間」:「仏の代理人」
菩薩には、それぞれに、すぐれた徳の特色があります。
常不軽菩薩は 人間礼拝をすることで あらゆる人の仏性を拝みだす徳を具えています。
薬王菩薩は 自分の身をもって教えを実行して 仏恩に報ずる徳を具えています。
妙音菩薩は 苦悩の娑婆世界で 理想の実現化を実践する徳を具えています。
このように 菩薩には明確な徳の特色があるので 衆生の1番のお手本なのです。
では 観世音菩薩はどうでしょう
衆生は 観世音菩薩の大きな神通力に救いを求めて、観世音菩薩を手本として
法華経の教えを修行していきましょうと 観世音菩薩普門品が説いているのです」。
「常不軽菩薩品」:「薬王菩薩品」:「妙音菩薩品」
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ボサツマン
凡夫の衆生は、観世音菩薩を手本にして見習い・修行しなさい という世尊の話から
菩薩は 衆生が手本として見習い仰ぐ方であって、救いを願う対象だけではないことを理解しました。
観世音菩薩を念じるとは・観世音菩薩のように成りたいという憧れを 心に思い浮かべることです。
憧れを深く心に念ずれば 必ず身に実現してくることも、理解できました。
今 世尊は 観音菩薩はあくまでも菩薩であって 仏ではないと仰いましたが、
オイラ(ボサツマン)は、その件で意見を申しあげます。
オイラは 観世音菩薩は宇宙の本仏であると 強く信じています。
如来寿量品で学んだ時から、オイラは強くそのように感じておりました。 「己身他身/己事佗事」
宇宙の本仏(真理)の他身たしん が、観世音菩薩さまであると思います。
仏は菩薩の姿や種々の姿・形を現わすことは可能ですが、菩薩は仏ではありませんので、
菩薩が仏を現じることは、基本的にはできないことと、ボサツマンも思います。
しかし、ジャジャーン!
観音経の⑭に、ー観世音菩薩は 仏を現じて法を説く‥ーと、あります。 「ここの経文」:「ここ重要と世尊説く」
観世音菩薩は、仏ほとけ の姿を現じて法を説くと、法華経の経文に書いてあるのです。
なので、観世音菩薩は、宇宙の本仏であると、スンナリ理解すべきことです。
世尊も 見宝塔品(2)で 『宇宙の本仏がその身を無数に分け、十方世界で‥‥』と、説いています。
世尊 未熟者のオイラが意見を申して、すいませんでした。
オイラが、このサイトを創ろうとした出発の原点は、観世音菩薩さまへの感謝の心でありました。
オイラは 観音さまに命を救っていただいた体験があるのです。
その時から 般若心経・観音経が読経できるホームページを創りたいと、気持ちが高まってきました。
まづ 数ページ程度を書こうと考えてスタートしたのですが、古事記も法華経もとなりました。
観世音菩薩さま ほんとうに ありがとうございます。 「陀羅尼品第26」へ