法事の席でお話をさせて頂いていると、よく「私がこんなに尽くしている(努力している)のに、分かって貰えない(結果が出ない)」といった愚痴を耳にします。そんなとき私は「努力に対する結果を求め過ぎていませんか? 早く結果を求めるあまりに、度の過ぎた努力をしていませんか?」と逆にお尋ねしています。こうした傾向は前向きな人ほど強いようで、まだ愚痴としていえる方は良いのですが、人知れず悩んでいる方も多いと思いますので、今回は、お釈迦様が同じように悩んでいた弟子を導いたお話をしてみます。
お釈迦様の十大弟子の一人に迦旃延(かせんねん)尊者がおられます。パーリ語でカッチャーナと呼ばれるこの方は、他の宗教との対論を担当したり、聖典の中で主に哲学的論議を多くしていたので「論議第一」と称せられ、「阿含経の一部は、お釈迦様に代わってカッチャーナが説いた教典」といわれる程、佛教の考え方に精通していました。
このカッチャーナに憧れて侍者となった青年がいました。裕福な家庭に生まれた青年は、外に出て歩くことがなかったので、見た目に弱々しく手のひらや足の裏に軟毛が生えていたといいます。しかし聡明で一途であった青年は、しばらく在家信者のままでしたが、その後出家したいと思うようになり、お釈迦様の弟子になりました。弟子になった青年は、過去世において辟支仏(びゃくしぶつ:師なくして独自に悟りを開いた人)を供養した功徳によって、全身が黄金のように輝き柔軟であったのでソーナ(黄金)と呼ばれていました。
そんなソーナが禅定(心を統一して瞑想し、真理を観察すること)に入った時のことです。彼は、坐を組んで禅定に入りましたが、疲れると歩行(経行)を繰り返しながら、熱心に修行を続けました。その修行は、凄まじい程に激しいもので、歩行すると柔らかい足の裏の皮が破れて血が飛び散る程でした。ソーナは、必死になってそうした修行を続けましたが、どうしても心の平安を得ることができなかったので次のように考えました。
「釈尊の弟子の中で、私ほど熱心に修行するものはいないであろう。それなのに私は未だに執着を離れ、煩悩の束縛から離れることが出来ずにいる。私の生家には豊かな財宝があるのだから、むしろ家に戻って在家の信者として財宝を楽しみながら信仰し、布施行を行う方がよいのではないのだろうか」このようなソーナの思いを特別な認識力で知ったお釈迦様は語り掛けました。
お釈迦様:「ソーナよ、お前が家に在ったころには、たいへん琴を弾くことが上手であったと聞いているが、そうであるか」
ソーナ:「はい、いささか琴を弾くことを心得ていました」
お釈迦様:「それでは、ソーナよ、よく知っているだろう。一体、琴を弾くには、あまり絃を強く張っては、良い音が出ぬのではないのか」
ソーナ:「さようでございます」
お釈迦様:「といって、絃の張り方が弱すぎたら、やはり、良い音は出ないだろう」
ソーナ:「その通りでございます」
お釈迦様:「では、どうすれば、良い音を出すことができるか」
ソーナ:「それは、あまりに強からず、あまりに弱からず、調子にかなうように整えることが大事でありまして、それでなくては、良い音を出すことはできません」
お釈迦様:「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それと同じであると承知するがよい。刻苦に過ぎては、心高ぶって静かなること不能(あたわず:できない)。弛緩に過ぎれば、また、懈怠(けだい:なまけること)におもむく。ソーナよ、ここでも、また、お前はその中をとらねばならない」
このように、お釈迦様は、極端を避け、暖急ちょうどいい修行が、より効果があるとする中道を説かれたのです。般若心経の最後に、「掲諦脚掲諦 波羅掲諦
波羅僧掲諦」という真言の一節があり、「行こう行こうみんなで修行して彼の岸(悟りの世界)へ一緒に行こう」と訳されます。この中の「諦」は「諦(あきら)める」と読むことができ、現代では「仕方がないから諦める」というように、マイナスイメージで使われがちですが、もともとは仏教用語で「物事の真理を悟り、明らかにする」というのが語源です。
そうした意味では、何事も度の過ぎない「諦」の心境が大切で、物事をたとえ中途半端で諦めたとしても、その努力した過程は、必ず人生の糧になっていると考えられるゆとりが欲しいものです。お釈迦様の導きによって、上のステージに進むことができたソーナの場合もまた、「諦める」ことの本当の意味を理解することにあったといえます。つまり、普段から仏縁を強く結び、仏様の加護を得ながら努力してこそ、本当の中道を体得することができるのです。
(合 掌)