法話集
師走
人が本来持つ清らかな心を知る「悟り」への道
先日、某テレビ番組で女性アナウンサーが、アフリカの貧しい国で生活するというドキュメンタリー企画を観ました。電気の普及率が5パーセントという国での生活は如何にも不便そうで、最初は女性アナウンサーも不安を隠しきれないようでしたが、番組の進行に伴って、次第に現地の生活に慣れていく様子が手に取るように伝わりました。女性アナウンサー自身も、この体験を通して何かを感じたようで、最終的に「私達の生活は確かに便利だが、本当に豊かなのだろうか。この国の人々は底抜けに明るく笑いと愛情の中で手を取り合って生きている。これこそが人間の本来あるべき姿ではないのだろうか」と思ったそうです。そして、人間として生きていく上で一番大切なことは「如何に人がつながり合って生きるかだ!」とも述べていました。
当山にお参りに来られた方とお話をさせて頂いていると、時折「悟るとはどういうことでしょうか?」というお尋ねがあります。弘法大師の教えとしては「如実知自心」、つまり「本当の自分を真実の心で知ること」とあり、「決して高ぶることなく、また卑下することもなく己を見つめ、今、生かされている本当の自分を知ることでしょうか」といったお答えをしています。その意味では、先の女性アナウンサーが体験を通して感じた事こそ、まさに悟りの入口であったといえます。テレビも、洗濯機も、エアコンも、携帯電話もない世界に、いきなり放り込まれたアナウンサーは、シンプルに生きる中で心にまとっていた鎧が取れ人と人との絆の中で生きている自分に気付いたのです。
とかく私たちは、悟りについて難しく考えがちです。そして、難しく考えれば、考えるほど、例えば眼を閉じて自らの心を知ろうとしても、雑念を払拭して煩悩から離れることが出来ず、その結果、やはり悟りはごく限られた者だけが目指すものであり、得られるものであると結論づけてしまいがちです。しかし、弘法大師は「あるがままに自分の心を知ることである」と説いているのです。つまり、瞑想をすることもなく先のアナウンサーのように素直な気持ちを持って、何事にも真摯に向き合っていけば、それはあたかも新たな視点や考え方に到達したように見えますが、実は、誰もが本来持っている心に気付くことが出来るということです。
そんな悟りについて語る時、よく「密教とは何か」というお尋ねがあります。昨今は、密教ブームとかで、一部の世代では注目されているようですが、「密」という語から来るイメージのせいか、何やら秘密めいた宗教のように捉えられている節もあるようです。そこで、お話をしてみたいと思いますが、密教は仏教です。というより仏教は、顕教と密教に分けられます。この中で顕教とは、教えの違いから密教と分けるために呼ばれるようになった従来からの仏教であり、文字通り顕かになった教えを説く仏教です。例えていうなら、表面にたまった塵を払い、本来ある美しさを見出すといった教えです。これに対して密教は、表面の美しさを見出し、さらに内側の本質的な理解を得るために、自らの身体を動かして体得するといった性格を有しています。
この顕教と密教の違いを端的に表すものとして「成仏」に対する考え方があります。「成仏」とは文字どおり「仏に成る」即ち悟りの境地に達することであり、その境地に達した仏がいる安楽の世界に往くことをいいます。顕教では長い間の修行を経て、善い行いをたくさん積んでこそ成仏できると説かれてきました。ここでは「お釈迦様は、前世でたくさんの徳行を積んできたので現世で成仏できたが、私達は、とてもお釈迦様のように優れていないので、この世で成仏することは無理であろう。だが、何度も生まれ変わり成仏しよう」という考えが主流でした。そんな仏教に対する民衆のジレンマの中から「今、この世において成仏せずして、一体いつ成仏するのか」と、現世における成仏を体系的に完成した教えが密教であるといえます。
密教の即身成仏思想とは、「この身このまま、この世のおいて成仏する」という教えであり、即身成仏とは、己の天命を悟り、今世において精一杯自分の魂を輝かすことをいいます。弘法大師が、「仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し」と説かれているように、己が心の中に仏様は存在するのです。だから自らの心の中にお堂をつくり、仏様に棲んで頂くことが大切です。その為には三密行といい、身体に仏の御心にかなった間違いのない働き、言葉においても真実の言葉、己が心も真実の仏心と日々仏様を念じて精進することが大切です。難しいお経を憶えたり、僧侶と同じ修行をする必要はありません。日常の生活の中で三密行を正しく行っていれば、自ずと悟りへの道は開け、自らの心を知ることができるようになり、清らかな心を通じて仏と一体になった生活が出来るようになります。師走に入り、何かと忙しい日々が続きますが、そんな時節だからこそ魂を磨いて新たな年を迎えたいものです。
(合 掌)
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