法話集
長月
「まごころ」という魂
来年(平成21年)5月から裁判員制度がスタートします。私たち一般市民の中から選ばれた者が、裁判員として刑事事件の裁判に参加し、裁判官や他の裁判員と共に、被告人が有罪かどうか、有罪の場合はどのような刑にするのか、などを決めていくことになります。それがどういう事なのか、まだスタートしていないのでピンと来ない方が多いようですが、少なくともこれまで他人事であった事件の生々しい経過と向き合い、犯罪と、犯罪を犯した者について、人が人を裁くとはどういうことなのかも含めて真剣に考える機会が増えてくることだけは確かなようです。
そこでというわけでもありませんが、今月は、ある死刑囚の話をしてみたいと思います。彼の名は中村覚(さとる:後に獄中で養子縁組をして千葉姓になる)というより、歌集「遺愛集(いあいしゅう)」で知られ、短歌を詠む死刑囚として米「TIME(タイム)」誌に紹介されたことがあるので、歌人・島秋人(しまあきと)といった方が分かりやすいかも知れません。
彼は昭和9年に朝鮮で生まれました。父親が警察官という仕事の関係で家は裕福でしたが、幼い頃から朝鮮や満州を転々としたようです。終戦とともに、弟妹を含む彼の一家は、故郷である新潟に引き揚げて来ます。ところが父親が公職追放となり、家はたちまち貧しくなります。元々病弱であった彼はカリエス、中耳炎、蓄膿症などを患い、様々な障害を持っていました。その為か集中力や根気に欠け学校での成績は常に最下位という状態が続きます。やがて周りの人間から疎んじられ、差別されるようになった彼は、肺結核を患っていた母親が過労で亡くなったことも重なって、性格が荒み、非行や犯罪に手を染めるようになり、少年院と刑務所暮らしも経験します。
昭和34年4月の雨の夜、飢えに耐えかねた彼は、ある農家に押し入り、金槌で主人を殴って重傷を負わせ、止めに入った妻をタオルで絞め殺し、家にあった現金2千円と時計を奪うという強盗殺人事件を起こしてしまいます。直ぐに逮捕され、昭和35年に新潟地裁で死刑判決、同36年に東京高裁で控訴棄却、翌37年には最高裁で上告が棄却され死刑が確定、それから5年後の昭和42年11月に刑が執行されました。享年33歳でした。
一審での死刑判決後、自分の人生を振り返った彼は、人生でたった一度だけ自分を褒めてくれた先生を思い出します。中学校の美術の時間、その先生に「お前は絵が下手だが、構図は上手だ」といってもらえたのです。彼は「もう一度、童心に還りたい」という願いから、児童画を見たい旨の手紙を拘置所から先生に出しました。すると先生からの驚きと厚意ある返書には、児童画の他に先生の奥さんが詠んだ短歌三首が添えられていました。これに感銘を受けた彼は短歌を詠み始めるようになり、奥さんの適切な指導もあってめきめきと上達します。そして、新聞の歌壇に投稿するようになると間もなく入選を果たし、その後も入選を繰り返すようになります。
「わが罪に貧しく父は老いたまひ久しき文の切手さかさなる」
これは、彼が貧困・疾患・差別の中で自暴自棄になり、理性のない心のままに、強盗殺人事件を起こしてから僅か2年半余り後の昭和36年12月に『毎日歌壇』で入選した歌です。「五・七・五・七・七」という31文字の中に、自らの心情を詠むことを知った彼は、その後も次々と歌を詠んでいます。
「ほめられし事をくり返し覚ひつつ身に幸多き死囚と悟りぬ」
「うす赤き夕日が壁をはふ死刑に耐へて一日生きたり」
「助からぬ生命(いのち)と思へば一日のちひさなよろこび大切にせむ」
「たまはりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ」
彼は、短歌を通して自らを見詰める中で改心し、生きている有り難さ、自分の罪に対する反省、遺族への謝罪、周囲の人への感謝が心の中に満ち、澄んだ歌をたくさん遺すに至ったのです。死刑執行の前夜に書いた被害者への手紙で、彼は次のように語っています。
「長い間お詫びも申し上げず過ごしていました。申し訳ありません。本日処刑を受けることになり、ここに深く罪をお詫びいたします。最後まで犯した罪を悔いておりました。(中略)私は詫びても詫びても足りず、ひたすら悔いを深めるのみでございます。死によっていくらかでもお心の癒されますことをお願い申し上げます。申し訳ないことでありました。ここに記し、お詫びのことに代えます。皆様のご幸福をお祈りいたします」
彼は、命の尊さと、心から懺悔することによる人として大切な真心を最後に得ることが出来ました。もちろん人を殺めておいて、改心も真心も無いだろうという方もいることでしょう。しかし、現世を生きる私たちの中には、たとえ五体満足で財に恵まれていても、真心を得られないでいる人が少なくないことも事実です。心をないがしろにして、利潤ばかりを求める現代社会では、真心をもって生きること自体が難しいのかも知れませんが、その結果として今、何が起きているかといえば、例えば食料自給率が他国に比べて極端に低い私たちの国が、この恒久的な問題を経済力でカバーするために開発途上国への配慮も忘れ、多くの国の資源を貪り、無駄遣いしているという罪深い現実です。
原油の高騰に端を発した生活必需品の狂乱的な物価高騰も、そうした私たちの国に突き付けられた一つの警告でしょうが、今こそ、私たちは現世で生きているだけの価値観から、魂としての永遠の価値観に移行しなければ、先人から受け継いだ教えを次の世代に伝えることが出来ず、子孫の存続すら危ういのではないでしょうか。そんな事にならないよう、この世に生きていることが本当に有り難いと感じられる心を持ち、私達を生かしてくださる全てのモノに心から感謝しながら、一日一日を大切に生きていきたいものです。
(合 掌)
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