今年3月の法話の中でも紹介させて頂いた当山の『奥の院地蔵堂』では、現在、基礎地盤の強化を主体とする改修工事(来年3月末完了予定)が進められております。大正7年(1918年)から十年の歳月をかけて完成されたといいますから、建立から約80年が経過したことになりますが、改めて堂の造りを観察すると木組みをはじめ実にしっかりとした構造になっており、古くから受け継がれて来たであろう宮大工の技術と智恵に驚くばかりです。
法隆寺や薬師寺など世界に誇るさまざまな建造物を建築し、修理してきた宮大工の棟梁・西岡常一さんが興味深い話をしています。大きな日本建築物を造る時は、材木屋に行くのではなく山に行き、そこに生えている木を全部買うというのです。そして、切り出す前に一本一本の木について、山の東西南北のどんな斜面に生えてきた木なのかを克明に記録するそうです。その理由は、山の南側に生えている木はお堂の南側に、北側の木はお堂の北側に最適とされ、南側の木は太陽に多く当たって硬いから柱に、南側と東側の木は軸部に、西側に生えている木は大人しいから造作物に向いている、というように木にはそれぞれの役割があるからだそうです。
また、木には弱い木と強い木があり、それを同時に扱う事は出来ないので、この点を踏まえてそれぞれの木が、目一杯、持てる力を発揮できるようにしなくてはならないといいます。もちろんこれらは寺院や仏閣の建築に携わって来た先人から受け継いだ智恵で、事実、古代建築を見ていると曲がった木は曲がったなりに、反った木は反ったなりに組まれており、決して木に無理をさせないという考え方を貫くことで千数百年の風雪に耐えられる木の力を引き出しているそうです。正に日本が誇る古代建築は、こうした先人の知恵が正しく受け継がれ、守られて来たからこそ千数百年もの耐久力というか、命を実現しているのだろうといいます。ただ時代の流れか、室町以降の建築物は、南側に生えた木はどうしても節が多いので、見えない裏の方に使おうという見栄え重視の建築に変わった為、五、六百年で修理が必要になるそうです。
西岡さんは、これらの事を踏まえて現代の人間と社会にも警鐘を鳴らしています。速さと効率が重視される現代社会では、形が優先されるため中身が疎かになってしまいがちですが、これは建物と同じであまり外観に捕らわれてしまうと、やがて中の構造に矛盾が出て来るそうです。だから、建物の場合は中の構造を重要視して、外側はいつでも修理しやすいようにしているといいます。その意味では社会も人それぞれの個性が十分に発揮されるようでなくてはならず、人間もしっかりと基本を身に付け、人としての中身を充実させるよう努力しなければ、何処かで歪みが出るのではないかといいます。
宮大工の口伝に次の一節があるそうです。『塔組みは木組み 木組みは木のくせ組み 木のくせ組みは人組み 人組みは人の心組み 人の心組みは棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず己れの不徳を思え』-----何事も中身が大切であることをいった、先人の教えといえます。
中身といえば、友人から聞いた笑うに笑えない話があります。ある日、電車の中で人目を気にすることもなく平然と化粧をする二人の若い女性を見かけたそうです。電車は朝の通勤時間帯を過ぎたとはいえ所々に空席が目立つ程度で、並んで喋りながら化粧をする二人の女性は、当然、他の乗客の注目を集めていたといいます。友人も、「ああ、これが噂の人前で化粧をする女性か」と思って本を読んでいると、聞くつもりでなくても耳に入って来る二人の会話の中に「やっぱり、男は外見より中身よねぇ」という声が聞こえて来たそうです。
座席から転げ落ちそうになったという友人は、「本来、化粧は、寝間着を着替えるのと同じくらい人前でするものではなく、恥ずべき行為であるはず-----それを教えてあげる親はどうしたのだろう、アドバイスをしてあげる友人はいなかったのだろうか」と嘆いていましたが、こうした若い女性の例に限らず、最近モラルの低下を感じる事が少なくありません。これも、社会における人間関係が壊れ、人間関係の原点ともいうべき家族関係までもが壊れた結果、先人の知恵や教えを受け継ぐ糸がプッツリと切れてしまったからのような気がします。
私達の世界で悟りを得ることを神通力を得るといいます。この神通力は神仏に通ずる力と書きますが、またの意味を人通力と書き、人に通ずる力という意味をも有しています。人の心を汲み、人に通じる事で和が出来、和が出来る事で、千数百年も保たれる建築物が造られるように、先人達の智恵が幾重にも重なって正しく受け継がれた社会が築かれます。この事を考えるなら、今世を生きる私達には先人の知恵を受け継ぎ、子孫に正しく伝えていく責任があります。その責任を果たすためにも、先ず自らが中身のしっかりした人間になれるよう努めて頂きたいと思います。
(合 掌)