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2005年 1月2日

晴れ。大晦日の雪で道路の日陰では、まだアイスバーンになっている
 『2005年 新春』

 2005年を迎え、何とか私も46年目の年を過ごすことになった。

しかし、未だに『2004秋』のタイトルページにこれを記しているのも、いささか怠慢なので早く『2005春』と言う章を、早く作らなければイケナイと考えている初春なのである。
 と言うことは、私の季節感覚では『(フユ(冬)』というモノが存在しないのか?まぁ希望的な感覚ということで・・・・・・・。

 ところで、年々確実に書く枚数が少なくなっている私個人の年賀状を、例年だと新年を迎えた元日の朝に、下手くそながら一枚一枚丁寧に書くのが恒例となっていたのだが、何と昨年の30日の夜に書いてしまった。31日(大晦日)に投函したので、元日に着いていないと思われるのだが、我ながら会心の一枚が作れたと考えている。しかし、内容が同年代の友人向けだけであり、少々ふざけすぎたので思われ、目上の人や若い人には失礼であったので、急遽元日早々別のデザインを考え差し出したのである。元日の夕刻の投函なので、間違いなく三日以降に配達されるに違いない。

12月29日(WED)

積もるほどではない雪。
 『恒例の・・・・・・・』

 これまでの私の生涯で、恐らく恒例となったとも言える『年忘れ麻雀大会』が今年も平穏無事に行われた。
 結果も、それはそれは平穏に、プラスマイナスが非常に少ない、何とも和やかな一時を過ごすことが出来たと思う。(実に私の素晴らしい仲間達と言うべきなのか。)
 あと何年、こんな有り難い年末最後の行事が行えるのだろうか?
 それぞれの健康と自分達を取り巻く様々な環境が、それを何とか許される状況を感謝するばかりなのである。
 (30日 午後記す)


12月27日(MON)

晴れ。
 『2004年12月27日』

 熊谷から17号バイパスを西へ走ると、久々に素晴らしい夕焼けが望めたのである。やがて日も落ち今度は東の方角を見ると、まるで花札のよな真っ赤な月に一筋の雲がかかっているのが見えた。
 どちらも一瞬であるが、自然のあまりにも変わり様に感激し、思わず隣り車線を偶然にも追い越して行ったM・U社のK君にTELを入れてしまったのである。

 

12月26日(SUN)

晴れ。
 『セイマイ』

 私の住む町が、確実に愛すべき田舎である証がある。
どこまで都心に近づけば、それがほぼ無くなってしまうのであろうか?。

 それは、私の住む町ではコンビニより断然多いと思われる『無人精米所』の事である。昨夜などは、30s入りの玄米を、姉のところの分をあわせて2袋をバンに積み込み、セイマイ(精米)をしに『無人精米所』へ行った。

 玄米を投入口へ流し込み300円を精米機に入れ“上白”のボタンを押す。すると精米機は夜中のにも関わらず、それは恥ずかしいほどの大音量で動き出し、暖かくなったお米が次々と吐き出される。それを確認すると、表に出てたばこを一本吸う。吸い終わり半分くらい精米できたお米を、今度は足踏みペダルで玄米を入れてきた米袋に落下させる。正味時間にして、1回(30s)で七分くらいのものか?・・・・
 ただそれだけの単純な作業なのが、出来ればここで他人に出会いたくないと考えるのは私だけであろうか?。

 まぁ無人の『野菜販売所』とともに、都会に誇れる田舎独特のシステムには違いないはずである。

12月23日(THU)

晴れ。結構な寒さである。
 『EAGLES・・・・・DESPERADO(ならず者』

 平井堅はあまり好きではないが、キリンラガービールのCMで使われているイーグルスのカバー曲「Desperado」だけはやはり気になるのである。
 数日前、ようやく思い立ったようにレコード棚の中からイーグルスの「EAGLES LIVE」を取り出し、二枚組の最終曲であるその曲「Desperado」を回してみた。
 さすがオリジナルアルバムは1973年発売の「DESPERADO」(ならず者)なので、当時中学生だった私には聴くすべは無かったはずである。「HOTEL CALIFORNIA」「I CAN'T TELL YOU WHY?」をはじめ、「TAKE IT TO THE LIMIT」ホール&オーツの事を歌った「NEW KID IN TOWN」とにかく数多い名曲の中でも、隠された名曲と言うことになるのだろう。




12月22日(WED)

晴れ。さほどの寒さではない。
 『タクシーで午前様』

 久し振りに酔っぱらったのであろう。

 昨夜は、同級生Uちゃんが興した会社の新工場竣工披露パーティで本庄の駅前G-ホテルへ呼ばれて行った。ご多分に漏れず不良少年?だった彼は、20数年間の内に、恐らく幾多の苦難を乗り越え、誰もが信用する会社の社長に収まった。
 そして何より、早々と後継者も育て上げ、今では仏像を彫ったり、盆栽を嗜むポルシェカレラに乗った3人の孫の素敵なおじいさんと言うことにもなっている。
 普段は遠慮がちな私を、二次会・三次会へと足を進ませたのは、同級生として、立派な人生を歩んでいる彼の成功が嬉しかったせいであろう。


12月14日(TUE)

晴れ。
 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 しかし、現実は悲しいかな、こうやってあらゆる事柄が、歳と共に興味が薄れて段々と世俗から遠ざかって行くのであろうか。

12月12日(SUN)

曇り
 『供養』

 今が平成16年12月であるから、あの昭和63年12月から数えてみると早もので16年間が過ぎようとしている。

 故人の供養は、無くなった年も一週間であろうと、一日であろうと一年と数えるので今年は17回忌という事になる。

 本日、早々とご先祖様となってしまった亡父と亡次女の17回忌の供養を行った。忙しいところ、近しい大勢の親族に集まっていただき、少々師走の寒空という感じもしたのだが、穏やかな一日を何とか過ごさせていただいた。・・・・・ありがたい。



 本日のお勉強編・・・・(CANON LENS)

EF-S17-85o F4-5.6IS USM
手ブレ補正機構を搭載した、使いやすい高倍率・標準ズームレンズです。APS-Cの撮像素子サイズに合わせ最適化された光学系は、レンズ全長を抑えながら、5倍の高倍率ズーム(135フォーマット換算で27-136mm相当)と高画質を両立しています。EFレンズで初めての両面非球面レンズを採用。諸収差を効果的に補正し、ズーム全域で高画質を実現しました。新型ISユニットと最適制御により、手ブレ補正効果は、シャッター速度換算で約3段分を誇ります。
2004年8月20日現在、EF-Sレンズ対応カメラはEOS 20D、EOS Kiss デジタルのみです。その他のEOSには装着できません。



USM(超音速モーター)
EOSのオートフォーカス機構はすべてボディ側測距、レンズ内駆動モーター方式。キヤノンが世界ではじめて実用化した超音波モーター=USM(Ultrasonic Motor)は、きわめて高トルク高レスポンス。超音波振動を回転エネルギーに変換するため、ほぼ無音。レンズ駆動用モーターとして理想的といえます。大口径レンズにはリングUSMを、小型レンズにはマイクロUSMを採用するなど、各レンズに最適なモーターを搭載することで、理想的な高速・高精度AFを達成しています。

IS(Image Stabiraizer)
一般に手ブレの心配のないシャッター速度は(1/焦点距離)秒以上とされています。特に焦点距離の長い望遠レンズの手持ち撮影では、手ブレが発生しがちです。これをさけるため、キヤノンは世界に先駆けて手ブレ補正機構を持つIS(Image Stabilizer)レンズを開発。よりスローシャッターが使える、絞り込めるのはもちろん、シャッター速度約2段分の補正効果で望遠レンズの撮影領域を大きく広げます。さらにLタイプには手ブレ補正モード2を搭載し、流し撮りにも対応しています。

非球面レンズ
カメラ用レンズは特にことわりがないかぎり、球面で構成された単レンズを複数組み合わせて作られています。このため大口径レンズは球面収差、超広角レンズでは歪曲収差を取り除くことはむずかしいとされていました。各収差を良好に補正する、理想に近い自由曲面を持つ非球面レンズは、古くから理論上で知られていましたが、加工のむずかしさから理想のレンズといわれていました。キヤノンは1971年に一眼レフ用交換レンズで初めて実現。Lレンズに採用されている研削非球面レンズの他、超精密ガラスモールド非球面レンズ、超精密プラスティックモールド非球面レンズ、レプリカ非球面レンズなどを開発、採用しています。

インナー/(リアフォーカス)
レンズのピント調節は、レンズを前後に移動させることで可能にしています。このためモーターでレンズを駆動するAFレンズでは、特にフォーカス系レンズの重量がフォーカシングスピードに大きく影響します。キヤノンでは最短撮影距離から無限遠まで、瞬時にフォーカシングさせるためにレンズ構成の一部をフォーカス系レンズとし、移動するレンズの総重量を軽減するインナーフォーカスとリアフォーカスの設計技術を確立。高速AFを実現しています。

12月10日(FRI)

曇り〜晴れ。
 『夕映えの柿の木』

 夕日に映えた柿の実と、黒々とした枝ぶりの絶妙なコントラストが、妙に美しく見えるようになったのは、心にゆとりが出来たせいなのか?それとも年齢からくる何かがそう感じさせるのか?。
 決して“心のゆとり・・・・・・”て、言うことは考えにくいので、きっと年齢や体験からくる何かがそう感じさせてくれるのであろう。

 確かに、時々、これまでに感じなかった何気ない日常の中の自然に目が留まることが多くなったような気がする。
 桜の葉の色が濃い緑色から赤へ、赤はやがて一瞬黒っぽくなったようにも見えるも、しっかりと茶色の枯れ葉となり散って行く。
 何十年と毎日眺めている景色のはずだが、感じる何かが違うのである。

 まぁ、そんな事はどうでもいいのだが、・・・・・
問題は私の年齢があと数十日で一つプラスされてしまう事である。否応なしに・・・・、そして時々、私の年齢が今何歳だったか?一瞬、分からなくなる事である。そんな時は必ず、若い方の歳でなく、実年齢か、一つ歳を大きく考えてしまうのである。これからは、コンパニオンに歳を聞かれても、「50才だよ。」と言うのは、いささかもう止めにしようと考えたのである。

12月5日(SUN)

雨〜季節はずれの記録的な猛暑?(25℃以上か)〜猛風?
 『千載一隅』のチャンスを逃がしてしまう。

 何と久々の早起きで午前5時50分起床。

まだ暗闇の中、O野氏とS原議員を迎えに行き一路群馬県藤岡の山中へ車を走らせる。天候は台風?一過で雨から急速に天候が変わろうとしている真っ最中であった。

 紅葉も、もはや終わりかと思われた藤岡山中も、今朝のそれは見事な天候の変わり方で、正しく一年に何度お目にかかれるか?と言う絶景。
何と表現すればいいのか?右を見ても、左を見ても、前を見てもとにかく素晴らしい風景風景。おまけに虹までも数ヶ所架かっている。

 嗚呼、せっかくの日曜日、しかもこの天候、そして早起き・・・・。
ゴルフなどしている場合ではない。『千載一偶』とも呼べるチャンスを逃がしてしまったに違いない。

 そして「スコアは・・・・??」
 ・・・・・・また、すっかりゴルフが嫌いになってしまったようである。

12月3日(FRI)  『LINDA LINDA』・・・・文字に表してみた歌。

 誰かがカラオケで、この曲を熱唱すればするほど、その場はしらけたムードとなった記憶しかない。

 もう10年も経つ事になるのか、私たちは当時、駅前のスナック『T』で毎晩過ごす事が多かった。些細もない事で、喧嘩まがいの激論を交わし、宥めたり空かしたりして1才年上の先輩にあたるI藤氏の、そんな時に必ず飛び出す十八番の歌であった。

 歌っている本人は、それはそれは気持ちよく盛り上がった。
しかしこの曲が飛び出すと、大抵30分もしないうちに、必ずその場はお開きになったものなのである。


  ドブネズミみたいに美しくなりたい
  写真には写らない美しさがあるから

  もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
  そんな時はどうか愛の意味を知って下さい

  ドブネズミみたいに誰よりもやさしい
  ドブネズミみたいに何よりもあたたかく

  もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
  そんなときはどうか愛の意味を知って下さい

  愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
  決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ



 ザ・ブルーハーツの『LINDA-LINDA』・・・・・確か、私達の世代からは少し若い年齢層でかなり支持された曲に違いない。
 当時、もはや甘ったるいAORやブラックミュージック、洗練された?と勝手に思っていた?ロックやクロスオーバーJAZZ等を聞いてしまった私にとって、この曲、なぜか汚らしく喧しいだけの音楽に聞こえた筈である。
 そして数日前に見続けていた『世界の中心で・・・・・』のあるシーンでの挿入歌であった事以外、この曲に対し別段特別な感情は持たず、相変わらず喧しいだけの音楽には違いはなかった。
 
 今日の昼休み、10分ほどの昼寝の時間にこの『LINDA LINDA』がラジヲから流れ出た。
 『ドブネズミみたいに美しくなりたい。』・・・・実に変わった詩である。
偶然にも、その詩を目をつぶりじっくりと耳を傾けてみた・・・・。なかなかストレートで、悲しいほどに純真と言おうか、無垢と言おうか、いわゆる子供に程近い若者が心動かされそうな曲であった。

 遅ればせながら今、こうしてその詩を吟味してみると、確かに涙が流れ出てもおかしくないのかもしれない。

11月30日(TUE)

朝は暗くて寒い。
 『アルハンブラの思いで』・・・を聞いていた思いで。

 「普段はほとんどお酒は飲む方ではない・・・」などと、昨日書いたばかりなのに、もう嘘を書いてしまった。・・・・・・・いけないなぁ、嘘は・・・・。

 日曜日の深夜、しまってあった“ジャック・ダニエル”を探しだし、キンキンに冷えた水割りを作って飲んでみた。
 Hall&OatesをBGMに約30分かけて1杯だけ飲み終え、慌ただしかった週末の終わりを癒してみたのである。

 そして、
 月曜日の深夜、昨日開けた“ジャック・ダニエル”を思いだしたので、午前1時30分過ぎから1杯だけ飲んだ。深夜テレビでは「ファミリーゲーム・双子の天使」なる興味深い映画も始まったのだが、流石にこれを見ていると朝になってしまうので、午前2時10分?を過ぎた頃、BEDに入る。

 少々酔いの回った頭で、「5時間後にはアルコールが抜けるのか?」・・と考えていると、NHKの『ラジオ深夜便』からギター曲「アルハンブラの思いで」が実にタイミング良く流れ出した。

 私にとって、それは至福の寝入りだったに違いない。


11月29日(MON)

晴れ。
 『師走』

 いよいよ、明日だけで11月も終わってしまう。
 当然、明後日からは12月が始まり、その月末には年末を迎えてしまう。

 寒さも今月よりも厳しくなるんだろうな。
 そして、朝、起きるのが益々辛くなるんだろうな。
 ここ数年着慣れ過ぎた、LL-BEANの安ジャケットなども着るんだろうな。

 まだ仕事場でつけていない、石油ストーブなども点けるんだろうな。
 お歳暮なども少々もらったり、配ったりするんだろうな。
 仕事も若干増えような気分になったり、忙しさを感じたりするんだろうな。
 相変わらず、捗る事のない仕事を夜遅くまでするんだろうな。
 忘年会や会議事も多くなるんだろうな。

 普段はほとんど飲まないお酒も、少々飲む機会が増えるんだろうな。
 テレビでは、殆ど観ない特番みたいなものが増えるんだろうな。
 年忘れ麻雀大会などもするんだろうな。
 年の瀬が迫ってくれば、クリスマスや新年を迎える気分で、若干であるが高揚もするのだろうな。
 
 ・・・・想像できるうる私の『師走』である。


 
  運転席から眺めた風景

11月27日(SAT)

晴れ。昨夜から朝にかけ強風。
 『ジョージ・マイケル』
 
 記憶が正しければ、私のレコード棚には彼に関する音源は全く無いに違いない。
 1980年代にアイドルグループ?「ワム」としてイギリスでデビューし、「カルチャークラブ」、「DURAN DURAN」などと共に世界的に人気を博した。
 その後、ソロとなってからも、私はファンではないから何の曲があるか分からないが、とにかくカリスマ性を漂わせるミュージシャンになったらしい。

 たぶん私と歳もそう変わらないはずの『ジョージ・マイケル』の事である。

 今日の芸能ニュースでジョージ・マイケルが、今後CDショップで売られるようなアルバムは作らず、インターネットで曲を発表し無料でダウンロード出来るようにしたい・・・・・・・・。と記されていた。「もう、商業的な音楽はしたくない。」と言うことであろうか?。

 その理由として、
 「金はもう必要ないし、有名人でいることにうんざりしたから」
 「この何年かで自分の才能に見合う報酬は受けてきた。だからもう、みんなのお金は必要ない。」

 さすが、セレブ?になったお金持ちの言うこととだな。
多分、同年代の私、
 「・・・・・嘘でもいいからそんな事を言った“夢”だけでも!見てみたい。」


11月22日(MON)

晴れ。青空・・・。
 『会議〜会議』

 案の定、午後3時から熊谷サンルートでの会議に10分ほど遅れてしまった。予想では15分遅れぐらいで着けばいいと考えていたので、いい方に捉えて考えれば5分も早く着いた事になる。まぁ確信犯であるに間違いない。

 コーヒーも出ない会合のお役目を何とか果たし、懇親会も出ないで、今度は午後6時からのH人会役員会出席。やはり20分程遅れると思いきや、15分程の遅刻ですむ。しかし、何と私如きの挨拶が次第に入っていたからか、大先輩諸氏を待たせてしまい、極めて恐縮するしかないのである。きっと、この性格は一生直ることはないのであろう。
 

11月21日(SUN)

晴れ。日中は暑い。
 『世良田東照宮』
 日中、一時間ほど時間があったので、車を洗車したついでに?世良田東照宮まで足を延ばしてみた。家から車で15分もあれば着くこの場所は、私の憩いスポットでもあるのだ。

11月17日(WED)

晴れ
 『交差点で一番!』

 午後1時。国道17号を大宮に向かって走っていた。昼ご飯も食べずに・・・。

 本当は運転に集中しなければいけないのだろうが、如何せん信号待ちの停車中に何もしないのは勿体ないと考え、停車した交差点で一番目に付いた店をメモ書きしてみたのである。

 鴻巣市
 @コーラスライン(歌えるパブ?なのだろう。ここの客は、それは歌うのが大好きに違いない)
 ALOW PRICE(建築中の建物だが何がLOWPRICEなのか?気になる。よほど低価格に自信があるのだろう。)

 北本市
 BQUEEN(パチン・スロット店/既にKINGという店があったに違いない!)
 CLAWSON(所謂コンビニ。この名前の由来ははたして?きっと“ヘェー”と思わせるものが・・・あるに違いない。きっと。)
 
 桶川市
 D三国コカコーラボトリング本社(確か濃縮コーラを炭酸ソーダで薄め、つめているだけだよな。)
  馬車道(Bashumichi)(創業者はF商業でO野氏と同級生だったような・・・)
 EJUMBO(パチンコ/確かこの店は古いよなぁ。印象では子供の頃からあった。)

 上尾市
 Fビバホーム・YAOKO(ヤオコーの前身は小川駅前の八百屋さん)
 Gラドンサウナニュー東京(一度は行ってみたくなるような名前のサウナ/ここも確か古いはず。)
 HJA上尾(上尾は昔、梨の産地?)
 I銀座AZZ(24時間営業のランジェリィーショップ/一度は彼女と行ってみたい。?)

 さいたま市
 J鋼材 高橋儀三郎商店(この手の屋号は、昔は多かったのだろうが、最近では珍しくなった。儀三郎さんはまだ健在なのか?)
 K乾杯茶屋平野屋(居酒屋か?乾杯茶屋って何?)
 L「とちぎ」と新聞紙に大きく書いヒッチハイクする詰め襟少年がいた。
 M大正製薬(上原正吉・土屋義彦)
 
 こんな事をしていたせいか?国道16号を曲がり、第二産業道路を曲がるべき所、曲がりそこねてしまい岩槻方向へかなり走ってしまい、第二産業道路まで復帰するのに結構時間を食ってしまったのである。 

11月13日(SAT)

晴れ。肌寒い一日
 『世界の中心で・・・・・』

 午前9時30分。熊谷市で行われた全国障害者スポーツ大会の開会式で陸上競技場のメインスタンド最前列にいた。
 風は強く、肌寒い朝で、私は雲一つない青空を暫く眺めてしまう。

 こんな事を私にさせるのは、間違いなく日曜日から毎日見ているDVDの影響に違いない。

 この手の物語に、はまりやすい私は、最終話が終わっても、時間があれば何度も何度も・・・、そうそれは、サクが繰り返し聞いたテープの「プレイ、リバース、プレイ、リバース」とまるで同じ事を、何度も何度もDVDで繰り返し再生しているのである。
 
「俺はどうかしてしまったのか?」と思われる程、それを止められずに眠る前の時間を、睡眠時間を随分と削って過ごしている。

流石に、17年もそれ続くとは思えないが、そんな日々が幾日、いつまで続くのだろうか。実によく出来たストーリーである。

   



11月10日(WED)

晴れ?薄曇り?
 『今日の一枚(伊香保温泉・石段坂)』

 午前6時。伊香保温泉「岸権旅館」の5階502号室で目を覚ます。

昨夜のバカ騒ぎが嘘のように、穏やかな温泉街の石段坂へ下りてみた。
伊香保温泉は年に何度も訪れる場所であるが、この名所「石段坂」に立つのは初めての事である。

 私がカメラをもって歩いていたからか、坂の途中で出くわした一人歩きの女性(昔若かったはずの・・・)から「写真を撮っていただけますか?。」と声をかけられ、一瞬「私の真新しい20Dで撮らなければいけないのか?」とビックリしたものだが・・・・・・。

日の出前の伊香保温泉で、思わず
 「もう少し若い女の人だったらなぁ。」と心の中だけで呟いてしまった。


11月8日(MON)

晴れ?曇り?
 『EOS-20D』

 キタムラの店員が「入荷まで1ヶ月位かかるかも知れません。」
なーんて言うから、調子に乗ってオーダーしたのに、何と注文後3日で入荷してしまうなんて。
 念願のと言うべきか、正直この歳になると若干、感慨も薄れるのだが、
 まぁ、念願のEOS-20Dを手にすることが出来たと一応書いておこう。

 しかし、EOS-3に入っている、小樽の町並みを撮影したベルビア100の現像はどうなってしまうことか?これもずーっと気がかりな私なのである。


そして、EOS-650は当分の間、大事に大事にしまい込まれてしまう運命なのだろうか?。

11月7日(SUN)

晴れ。夕刻に少々雨。
 『希望的な予定なのである。』

 とてもこれを記している時間はないのだが・・・・。
私の頭の中で考えている予定とは、なかなかその通りに行ったためしがない。
 昨日までの本日(日曜日)の予定では・・・・・、早朝から浅間高原へ行き初冬の、しかも噴煙をもくもくと吐き出し続ける浅間山を暫し眺め、北軽井沢の理髪店で散髪をし、和食の店「広瀬」でひとりで奮発した定食を食し、くりの木プラザの本屋で別段買う本もないが、立ち読みなんぞして、合い向かいのゴルフ練習場で80発程打ちっ放して、午後2時頃までには帰宅し、若干の所用をこなそうと密かに考えていた。

 ところが昨夜の午後7時に、立て続けに受け取った携帯電話2本と、M木氏から借り承けたDVD「世界の中心で愛を叫ぶ」を手にした時から予定は一変したのである。
 まぁ仕事だから、それもしょうがないだろう。しかし午前1時頃帰宅し、5時過ぎまで「セカチュウ」のDVDを見ているようでは、思いは100%叶わないのである。

11月3日(WED)

曇り
 『デジタルキャメラ』

 11月になった。
 昨年あたりから周りの人達が、どんどんデジタルキャメラを持ち出し、今ではパソコンを触らないおっさんまでが、デジタルキャメラを使いこなしている。・・・・・(まぁ、どんな携帯電話にも、カメラが付いているのが常識になったのだから別段、不思議な事は無いのであるが。)

 と思ったら、最近のパソコンプリンターが凄い事になっているようだ。何でもデジタルカメラのメディアをプリンターに差し込むだけ?で、しかもコンピュータを介さずに、撮影した写真が思いのままになると言うのである。
これでは、遂にDPE扱う写真屋さん上がったりだろうなぁ。まぁ、私の商売も他人事でもないのだが・・・・・・・、

 まぁ、それもともかくとして、仕事柄写真を扱うことの多い私にとり、やはりデジタル写真は有難い事この上ない。最近ではデジタルとフィルム銀塩写真の区別もつきにくいが、写真原稿を預かる時に必ず「デジタル撮影ですか?あればデータで戴けますか?」と必ず聞いている。印刷処理が100%デジタルに移行した今、アナログ撮影写真では、それを一度スキャナーでデジタルデータを起こし、印刷用データに取り込まなければいけないからである。当然、工程も増えるしコストもかかる。余計にかかった分を貰えるのならまだいいが、最近ではそれもサービスに近い状態になっている。
 流石に手間がかからなくなったのだから、クォリティの面から見ても当然デジタル写真の方がはるかに嬉しいものなのである。

 自慢ではないが、そして大きな声で言えないのだが、そんなデジタルを相手に仕事にしている私が、デジタルキャメラは持っていないのである。
 お客さんや友人達には「今買う。すぐ買う」みたいな事で、お茶を濁し今日まで来てしまったが、実はデジタルを扱う私が、この便利なデジタルキャメラに踏み込めない訳があるのだ。それは、ここ数年親しんだアナログフィルムキャメラを粗末にしてしまうのが、何しろ勿体ないし、怖いのである。やはり、デジタルキャメラを買えば、その便利さ結えアナログキャメラは、更に私の手から遠のいてしまうであろうか?。
 
 それは実に残念な事なのである。


 

10月30日(SAT)

冷たい雨。
 『オムライス』

 思えば、外食で初めて「オムライス」という食べ物を食べた。
そして、それは形こそ似ているものの、家で時々食べるものとは、まるで違う食べ物であったのだ。
 
 昨日から2日続けて、熊谷の『学』と言うCafeと言うかレストランと言うべきか、ガロ風に言えば学生街の喫茶店と言うのが相応しいのか、とにかく勉学嫌いだった私にとって、似つかわしくない名前の店へ行った。
 初めて尋ねた昨日は、午前11時30分からアメリカンコーヒーのみ注文し、T沢氏と打ち合わせを終え正午少し回った所で店を出た。私の第一印象は、「この場所にしては今時、程良く(結構)盛っている店だなぁ。それと何故かオムライスを注文する人が多いなぁ。』であった。

 そして今日の昼時にまた行った。
 流石に12時30分からの約束だったので、T沢氏と男二人で昼食を取ることとなった。注文したのは、何と一人では決して注文しないと思われる『オムライスセット(サラダ&コーヒー付き)』・・・・・・・ウェイトレスの「ソースは何に致しますか?」の問いかけに、T沢氏「普通のちょうだい。」・・・・・
オムライスと言えばトマトケチャップを想像していた私は、初めて他にも数種類ソースが選べるのを知ったのである。

 間もなくセットメニューとしては大きめの皿にサラダが登場し、それを食べ終わる頃にはオムライスが現れた。料理の説明は旨くできないが、見た目は特別変わった所のない「オムライス」。スプーンでトマトソースと卵を絡めてみると、まさしく卵は30秒以内?で素早く焼き上げたと思われる、ほんわりトロトロ卵。中のご飯にはチーズか何か?を絡めているのかやはりお粥に近いほどのトロトロのライス。卵の周りには、たっぷりとトマトケチャップではないトマトソースが・・・・・・。
 
 それは、私が今まで食べてきた「オムライス」の常識を大きく覆すのに充分な一瞬であった。


10月29日(FRI)

晴れ。
 『今日の幸福論』

 新潟県では、未だ何万人の人達が、住み慣れぬ場所で、それは不自由な暮らしをしているのだろう?。そして、それが何時まで続くのだろうう・・。

 随分と時を過ごしたような気もするし、夢の如き、あっという間に過ぎ去った様な気もしないでもない。しかし、よく考えてみると、実はあれからたった6日しか経っていない。その間、私の忙しい仕事は一段落したかに思えたが、有難い事に週末にかけて、また休みは無さそうである。

 まぁ、あとになってみれば、こんな日常が、本当は一番の幸福を感じる時かも知れないのだが・・・・・。それをしっかりと噛みしめて暮らしていこう。

 10月初めにAmazon.comに予約を入れておいた、Hall&Oatesのニューアルバムと、前々から欲しかったBurt-Bacharachのベスト盤と、サントラの『TOP GUN』の廉価CDが届いた。何かと気落ちする出来事が続く今週の私にとって、代引き手数料300円を含めて4,866円というお値打ちの価格もさることながら、

10月26日(TUE)

雨。
 『運命の瞬間』

 相次ぐ台風被害。
 先日、新潟中部地方で起こってしまった大震災。
 
 野球の日本シリーズも、楽天・ライブドア・Yahooの新球団設立も、そんな事どっちでもいいじゃん。まして、不相応な車代、食事代を巨人・横浜・阪神から頂いた、明大の一場選手のドラフトの事など・・・。クソ食らえだ。

 同じ日本に暮らす、同民族の度重なる災難に言葉も無い。
 そして、終わりを告げぬ余震と無情の冷たい雨・・・・・・・・・・・。

 恐らく私は、幸いな事にも奇跡的に難を逃れているだけなのであろう。

 と、すれば、今の私に何が出来る?
 昨夜からそれが頭から離れないでいる。
 結局、所詮一人では何も動かすことが出来ずに悶々とし、せめて明日のL-CLUB理事会に出席し、当然出てくるであろう緊急議題に声を大にして賛同するのみか。しかし、それだけでは10万人を越える避難者に、あまりにもハートが無さ過ぎる。

 10月23日(土曜日)午後6時少し前、間違いなくヒトの運命が左右に分かれた瞬間である。


10月21日(THU)

曇り〜晴れ。
 『今週末の浅間山』

 最後に山へ行ったのは、8月の最終日曜日。高原には、まだまだ充分、夏の気配が漂っていたものである。
 その2日後の9月1日に、浅間山が中噴火をし、その後も何度となく小噴火を繰り返しながら、高原の季節は秋を通り越し、一挙に初冬と言っても言い過ぎではない気候となった。
 今朝の最低気温は、4℃。浅間山麓、六里ヶ原付近では0℃も程近く、霜も降り始めていることであろう。

 冬支度をしに出掛けなければいけない。


10月20日(WED)

雨〜雨。台風

 あと数時間後には、台風で雨風が強まりそうな気配なのである。





『RAINBOW SEEKER 』
邦題 『虹の楽園』
 『JOE SAMPLE』

 ここ数ヶ月、眠りにつける時間が早くても、午前2時を回ってしまう。
 そしてBGMと言おうか、とにかく一晩中かけているのがNHKの「ラジヲ深夜便」なのである。
 私が丁度BEDに入る午前2時台は、「ロマンティックコンサート」なるものをやっており、これが聞き慣れぬクラッシックや、死語となってしまった?“イージーリスニング”・懐かしのポピュラーミュージックを中心に流している。眠りを貪ろうとする私にとっては、決して気持ちを高揚させることなく、かつ、さほど感動させる事もなく、正しく眠りにつけるBGMとしては、最適な音を提供てくれているのである。・・・・・・さすがにNHKだなぁ。
 その「ラジヲ深夜便 ロマンチックコンサート」で、先週JOE-SAMPLEの名アルバム『RAINBOW SEEKER 』から「Melodies of LOVE」が流された。一瞬、優しいピアノの音色とメロディに目を閉じて聞き入り、すぐにはミュージシャンとタイトルは思い出せなかった。

 しかし、辛うじて、パーソナリティが曲名を紹介するより早く思い出せたのである。
確か、30pLPとCDの2枚は持っているはずなのである。

 あの黒々とした髭は、もはや白髪で真っ白となって、素敵なおじいさんという感じに仕上がっている。当時、『RAINBOW SEEKER』(虹の楽園)とは旨いタイトルを付けたものだ。


10月12日(TUE)

曇り〜雨
 『特別な理由があった訳ではない。』
 
 日曜日は、朝から先延ばしにして貰ったS社長と2時間ほどMeetし、午後から何を思い立ったのか、水上温泉まで行ってみた。
 特別に理由があった訳ではないのだが「たまには、こんな行動もよかろう。」と、何かが私を駆り立てたのだろう。
 考えてみれば、水上温泉へ行ったのは十数年振りで、私ひとりで出掛けたのは初めての事である。本庄I.C〜関越自動車道を走り、伊香保渋川I.Cを過ぎ、気怠い坂道を時速120q程で駈け上がる。間もなく、沼田I.Cでハイウェイカードで支払いを済ませる。そして、料金所の係員に「水上はどっちへ行けばいいですか?」と尋ねる。
 係員は少々惑ったように「沼田の先、二つ目が水上インターですが・・。」何だ、生まれてこの方、『水上』は沼田インターで下りるとばかり思っていたのである。
 かなり鄙びた温泉街を湯桧曽温泉街?まで走り、やはり紅葉はまだしていないのと、照葉峡を入り口だけを確認して、道の駅で蕎麦とリンゴを買い帰宅したのである。
 『水上』の場所を確認できたのは、大きな収穫であった。

10月9日(SAT)

雨、また雨。台風が通り過ぎ漸く雨上がる。
 『ジレンマと自己満足』

 週末であるが、一人で仕事をする。
 朝から、あれもして、これもして・・・・・と色々予定だけは考えていたのだが、結局、間に合わせだけの最低限の仕事しかできていない。夕方に予定していたS社長との打ち合わせさえ結局先延ばし。やはり、きっちりと時間を約束するべきであった。いい歳こいても、なかなか思った通りに、物事は動かせないものなのである。
 
 16年間、一緒に過ごした愛犬プリンスの失踪(多分、死んでしまったのだろう)や、人生で二度目の北海道旅行。あこがれの小樽訪問。等々、平凡に過ぎてゆく日常の中でも、特筆すべき出来事がここ数週間で起こっていったはずなのに、仕事が忙しかったせいか??? HPに、それらを記せていない。それは、よほど集中力が生み出せていない確たる証拠なのである。
 久々に溜まっていた写真をデジタル化し、HPもほんの少しニューアルしてみた。しかし、それも、結局の所、自己満足の域を出ないのは、充分に分かっているのだが・・・・・・・。

10月7日(THU)

雨〜雨。





『美瑛町丘』美瑛町


『豊平記念館』札幌市


『旧北海道庁』札幌市


『中島公園の池』札幌市
 『週末紀行〜北海道で喰ったもの。』

 ハッキリと覚えていないが、私が初めて北海道を旅したのは恐らく10年以上前の出来事なのであろう。実にあれから2度目の北海道、しかも45年の人生で、最北地点(旭川)に立つ?という記録も打ちたてた?記念すべき旅でもあった。
 
 10月3日(土)
 PM12時30分頃・・・・・旭川が発祥と言われる?美瑛町の『山頭火』で、塩ラーメンと“ねぎめし”なるものを食す。北海道に着いて初めての食事は豚骨スープのあっさりした塩味。かってに透明なスープを想像していた私だが、流石に東京まで進出しているラーメン店だけあり・・・・・・・・・★★★
 ご飯にかつお節+醤油?、葱とカイワレがトッピングされただけの『ねぎめし』は、家に帰ったら作ってみようと思わせた逸品。ご飯をかき混ぜて食べる事など、実に爽快でシンプルな『ねぎめし』であった。

 PM7時30分頃〜・・・・・中島公園〜札幌駅方向へ暫く歩き、すすきの交差点を過ぎ?風俗ビル?の前で、客引きに声をかけられながらも漸くたどり着いたのはビルの10階に構える『磯金』。K林氏が予約を入れておいた店で、個室の座敷かと思いきやよくありそうな居酒屋。料理を出すのがかなり遅いことが難であったが、きっと美味いものを食べ時に運んできた結果なのであろう。しかしややと言うか、かなりの遅さに、美味い料理も減点か・・・・・・★★
 付け出し・舟盛り・きんきの焼き物・タラバ蟹とアスパラの天麩羅・芋ダンゴ(帆立をジャガ芋でくるんで揚げたもの)・漁師が飲むような、蟹の出汁が採れたみそ汁・混ぜご飯・夕張メロンのシャーベット・お酒は生ビール(中)2杯、とても飲みやすかった昆布の焼酎。男爵いもの焼酎(これはきつかった。)

 10月4日(日)
 AM7時30分頃〜・・・・・よくあるホテルのバイキング朝食。トースト・スクランブルエッグ・ベーコン・サラダ・牛乳・コーヒー???

 AM12時頃??・・・・・・時間の感覚がまるでないのだが、小樽の『藤寿司』???で2900円?のおまかせにぎり寿司???。さすがに小樽だけあり、2900円でも寿司音痴の私さえ新鮮なネタに、一度も食べたことのないウニの軍艦巻きや、正体不明の貝まで?一つ残さずに食べきったのである。

 PM6時頃・・・・・・・・新千歳空港の滑走路が望めるレストランで、思いもよらぬ『とんかつ御膳』をいただく。まぁこれは特に語るものはない。

 約34時間、北海道に滞在して喰ったものは、こんな感じで、帰り間際に「また来たい」と思わせる印象の旅であったに違いはないのであった。