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5月27日(FRI)

晴れ。夕方、一時夕立雨。
 『俺は本当に生きているのか?』

 昨年の10月だったか、友人達と小樽へ一泊二日の旅行に出掛けた。そして半年以上たった先月4月、キャノンEOS-3に収められていたベルビア100のフィルムを漸く現像に出したのである。

 その時は、何気なく現像が上がったリバーサルフィルムをスリーブの状態で遠目で蛍光灯に空かし、眺めただけであり、ライトボックス上でルーペで確認する事さえしなかったのである。

 そして、それから1ヶ月たった今日、EPSONスキャナーで読みとり、初めて自分で撮影した小樽の風景をマジマジと眺めて見たのである。何と7ヶ月目にして小樽の街と再会を果たしたのである。

 秋の気配が漂う北の港町小樽は、やはり、独特の錆びた色彩を放っている。


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5月26日(THU)

晴れ。私の心は曇り。
 『はじめが一番』

 毎日毎日、楽しいことばかりは無い。
私以外のヒトの事はよぉワカランが、きっと誰しも、どちらかというと辛いことの方が多いのかも知れない。


 今朝、それはお気に入りの歌がラジヲから流れ出した。
井上陽水の「能古島の片思い」である。確かセカンドアルバム『センチメンタル』(1972年発売)収められている。

 私は、数ある名曲(ヒット曲)?の中でも「帰れない二人」(氷の世界1973年発売)と、この「能古島の片思い」が彼(陽水)自身の作品の中でも完成度が非常に高いのでは?・・・・・と考えており、そして、この頃の作品の方が近年の曲と比べても好きである。

 それは若干、恐らく年齢から来るセンチメンタルな気持も加味されているのだろうが、とにかくそう思えるのだから仕方がない。当時、私達が中学生(13,4歳)とすると、10歳年上の彼は、23,4歳のいわゆる世間で言う“駆け出し”と言ったところであろうが、それ以降の30年以上、相当の練習?も重ねキャリアも積んだ事であろうが、当時を上回る作品は出来ないのかも知れない。それは、きっと井上陽水自身が一番判っているのだろう。

 あの究極のメジャーバッター“イチロー”ですら、70%の打率を目指し長年試行錯誤した結果、徐々に子供の時のバッティングフォームに近づいていると言うのは、何か通じるものを感じさせる。

5月14日(SAT)

曇り?晴れ?。肌寒い。
 『週末紀行〜新潟(奥越後)編』

 いかに時間の有効的な使い方言うべきなのか・・・・・。

 金曜日の夜10時過ぎではあるが、それは始まった。
 石打インターから先にはコンビニがないと言う、K林氏の言葉を半信半疑に、朝食用のおにぎりと飲み物を買い入れて本庄I.Cから関越道を新潟へと走らせる。

 AM1:00過ぎ〜長野県境近く?の松之山町の棚田の見渡せる山奥に路上駐車し就寝。
 AM3:16分〜寝心地の良い車の筈だが、寝たのか寝ないのか判らないうちに目覚める。(どうやら外にはカメラマンらしき大勢の人達が集まり出しているようだ。)
 AM4:00過ぎ〜下界と棚田は霧がまいているが少しずつ夜が明けている。靄が思った以上にかかっており朝陽が僅かに当たるも、想像した以上の風景は拝めない。


・・・・・・・・・・・棚田〜棚田〜美人林へ
 まぁいろいろあり、結局午前11時前に辿り着き、蕎麦をすすった、『清津峡温泉ホテルせとぐち』が一番の収穫であったのかも知れない。(何と1週間かけ、5/22に書き上げた)

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5月12日(THU)

曇り。肌寒い。
 『GOLFDAY』

 年に数回ではあるが、ゴルフに行く朝は実に憂鬱な気分になる。きっと、ゴルフプレーを嗜む大凡の愛好家達は、こんな私の気持ちとは裏腹に、きっと爽快な朝を迎えて事であろう。

 『ゴルフを始めて、かれこれ20年も経つと言うのに、まるで進歩の見られない私のスコアとスイングは、いかに私がゴルフと言う運動競技に向いていないかを知らしめてくれるだけのスポーツだ。』『このまま一人でドタキャンしたら皆に何て思われるのか・・・?』などと考えながら、8時30分集合に既に10分は遅れて岡部チサンC.Cへ到着する。そうそう、これは今日ではなく5月8日の話である。

 そんなやる気の無さ、良く言えば無欲な気持ちがよかったのか、何と午前中のハーフはPARを3つ拾い『47』。しかも9ホール中6ホールまでがパーオン。慎重にアプローチ、パットをしていれば夢の『40代前半』は間違いなかったか?
 午後も優勝したU田氏と2ホール残すところまで何と6オーバーと同スコア。16番のショートホールをPARでオーナーを取り、残すは優しい17番ミドルと18番のロングホールのみ。

 オーナーで力んだ訳ではないのだが、ここ17番で持病の「ボールに当たらない病」が出てしまった。結果PAR4で、OBと打ち直しのラッキーショットが出てもようやく『8』(俗にダブルッパーと言う奴)。
 こうなると最終のロングももれなくOB。前進4打に助けられてもPAR5で何とか『9打』の大叩き。ここに来てようやく本領発揮と言ったところか・・・・・・・・・。
 やはり終わってみれば、スコアこそ『100』は切ったものの、心の奥にはモヤモヤした気分だけが残ったのである。
 まぁ、何とかリタイヤせずに一周回ってこれたと言うことで・・・・。

5月5日(THU)

晴れ。浅間高原も温暖。
 『連休末紀行』

 10日ぶりの浅間山である。
約1週間しか経っていないのに、浅間山の雪は北側斜面に僅かに残るばかりで、高原の桜も木蓮も丁度満開を過ぎたところらしい。北軽井沢も急ぎ足で春を迎え、初夏へと移りゆくようである。


漸く巡り会えた浅間山と一本桜。
が、・・数日前に満開の絶頂を迎えたのだろうか?  NEXT

5月1日(SUN)

曇り〜雨。
 『焼き鳥は塩味』

 所謂、ゴールデンウィークっていうやつである。
会社も金曜日から3連休だが、私は休まずにのんびりとだが、気ままに非効率な仕事をしている。
 そのご褒美と言うには変だが、29日(金曜日)はI島君と近所の焼鳥屋へ生ビールを飲みに行く。枝豆と野菜炒めで生ビールを一杯飲み終わる頃(絶妙のタイミングで)焼き鳥が焼き上がる。それはもう、2杯目をの生ビールを注文したくなるのは人情なのである。ほろ酔い気分で、恒例となったタンメンを食し帰宅したのである。

 しかし、焼き鳥はやはり塩味だなぁ。

4月29日(FRI)

晴れ。30℃以上の気温。
 『スケベ親父』

 私の前に座った若い女性。
ストレートの黒髪を肩に掛かる位のセミロングに伸ばし、白いブラウスに黒いスーツ。清潔感のある知性的な顔立ちは、大学を出たばかりの隙のない新社会人と言った風貌である。

 近頃の半ケツ丸出しのような、ふしだらな小娘ばかりがやたらと目についていたが、やはり若い女性はこの方がよっぽどいい感じだなぁ。・・・・・・などとスケベ親父丸出しで考えていたら、この美しく知性的な女性、よく見るとスカートから覗く膝が微妙に僅かだが開いている。ジーンズならそれも気にならないのだろうが、せめて膝だけを付けていてくれれば100点満点だったのに・・・・・・・。

 余計なお世話か?

4月27日(WED)

晴れ。若干強風か?

 目が覚めたら、大宮駅でドアが閉まる直前だった。

相変わらずの寝不足で、朝づくりの仕事をし、午前8時26分の各駅停車に飛び乗ったせいなのか、結局寝ぼけ眼で赤羽駅まで乗り過ごす結果となってしまった。
 既に集合時間よりは遅れてはいたのだが、一瞬慌ててみたものの、よくよく考えてみると、目的地の南浦和は、赤羽駅から4駅戻るだけと気が付く。結果は予定時刻の10時より5分遅れでさいたま文化センターに着いたのである。
 17年ぶりに訪れたこの場所、そして何気なく座った前列5番目の座席も、Jody Watleyと手を触れあいそびれたサイドステージも、随分と古ぼけた?時間だけが過ぎていったような気持ちになったのである。

4月24日(SUN)

晴れ。
 『久々の・・・週末紀行』

 AM5時55分。我が野球チームの練習試合が、今日でなかった事をメールで確認し、とにかく家を出発してみる。
 「別に浅間山じゃなくてもいいかな。寝不足だから、近場で切り上げて、メジャーの試合でも見ながら、もう一寝入りするか。」などと、あれこれ考えながらも、私の運転する車は17号線を高崎方面へ向かってしまっていた。
 そして、アッという間に高崎市内を抜け、何の迷いもなく18号線を軽井沢方面へ・・・・・。
 家を出てから約1時間後、碓氷峠に登る直前のセブンイレブンで、朝食用の30円引きのツナサンドと玉子サンドとコーヒーを買い求め平均時速80キロか??(年甲斐もなく?)、で碓氷峠を軽井沢まで一気に駆け上る。
 プリンスのアウトレットを横目で眺め、信越線の線路をくぐり、旧18号線を左折。中軽井沢の駅前を右折する頃には、浅間山がビックリするくらい、いつもより巨大に見え始めたのである。

 午前7時50分、結局峠の茶屋を越えて浅間山の麓まで来てしまったのである。


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4月20日(WED)

小雨。〜曇り。
 『ぷログ?ぶログ?ウェブログ?』

 このHPと同様に,N本氏(The Nomoto-World)に影響を受けたのか?『プログ』(賀春PHOTO)なるものを始めてしまった。
 前から興味だけは持っていたのだが、その仕組みが良く理解できずに
(今も決して理解出来てはいないのだが。)何とかこの度YahooのIDを取得し(多分幾つものIDを取得してしまったかも知れないが)、覚えられるパスワードを決められ(幾つパスワードを付けたことか)て開始してみたのである。
 しかし一応無料らしいのは分かったが、未だに『ぷログ』なのか『ぶログ』なのか『ウェブログ』なのか、ましては使用方法などまるで分からないのである。
(自慢ではないが・・・・・・・)

4月18日(MON)

曇り。
 『エルポエタ』

 先週、大宮のラフォーレ清水園で会議があり、思いのほか早くそれも終了したので、氷川神社の表参道を歩き大宮公園へ行ってみた。
 桜もほとんど散っているのは想像できたし、他に特別な目的も無かったのだが、『たまにはこんな時間を過ごすのもいいかなぁ』と思い直し、新緑が芽吹きだした参道を歩みだしてしまったのである。
 ほぼ20年振りに歩いてみると、大宮駅周辺に比べこのあたりの景色の変わり無さには逆に驚かされる。昔、大宮公園の駐車場だった所には公園の管理事務所が建っていたが、ここに来ると必ず立ち寄った喫茶店(EL-POETA)は、実に開店当時そのままの佇まいで営業していた。
 あまりの懐かしさに、一瞬躊躇してみたものの私の足は正直にドアの前に立ち止まり、私の右手はドアを押してしまっていたのである。

4月10日(SUN)

花曇り。Tシャツに長袖シャツだけでも充分な気温。

 まるで日記のようだな。
自分では、日記を書いているつもりはさらさらないのだが、特別な主義・主張がある訳でもなく、どちらかと云うとヒトに物事を言い伝える能力にも欠けている私にとって、所謂この雑文は、あまりに私的な覚え書きとでも云うべきなのかな。?殆ど意味のない、更新もしないHPを継続させる為だけの、自己満足する為だけの手段なのかな?
 意味のない言葉の羅列作業は、時間の無い私にとって、ますます貴重な時間を奪うばかりの無駄な事なのか?
 まぁ無駄な時間、無駄な出来事も、全て私自身の物であることに違いはなく、そう考えながらも知らぬ間に3年間続けた、この事実だけは現実のものに違いない。
 そして、まるで訳がワカラン覚え書きを、また懲りずに記し始めるのである。

 『酔っぱらいに夜桜』
 焼酎のお茶割りと水割りを、間違いなく3杯呑んだのは正確に記憶している。その後一杯飲んだのか、二杯飲んだのか、それとも三杯飲んだのかは定かではない。
 土曜日。野球連盟の総会を無事に終え、前理事長H松氏、新理事長Y田氏、副理事長K林氏、新審判部長K保田氏と私の5人で駅前の居酒屋で飲んだ。平均年齢は軽く55歳は越えていたのだろうか、泣いたり笑ったり怒ったり、とにかく5人でいい酔っぱらいおじさんと化して焼酎を飲んだのである。私も事務局として一仕事終えた安堵感からか、普段よりも間違いなく2杯は余計に飲んで、桜が満開に咲く駅前を横目に観ながら帰宅したのであった。


山崎桜山(岡部町)

4月7日(THU)

晴れ。極めて温暖で、しかも日中はどちらかというと暑い。
 『春は何処へ行った』

 46年間生きていると、様々な季節の移り変わりに巡り会うものだ。
 確か、数年前は3月中旬に桜が咲き出しビックリさせられたが、今年は遅れていた桜が開花したと思ったら、嘘を言わせてもらえば、たったの2日間で満開になった。こんな事もあるんだなぁ。
 まだニュースでしか観てはいないが、大好きなMLBも既に開幕している。


僅かに少年の面影か?私だけが『Shiba』と呼んでいる
仮称「しん」(伸二らしい)と呼ばれ始めた我が柴犬。

4月4日(MON)

小雨〜晴れ。4月にして実に寒い。
 『土曜の蕎麦』

 土曜日に、K林氏お勧めの蕎麦屋「つばき野」へ蕎麦を食べに行った。「特に美味い蕎麦には日本酒」と、心に決めていたのだが同行した顔触れを見渡し、思わず『ビール(中)3本』と注文を入れてしまう。
 肴に焼き鳥(豚)と肉豆腐?、モツ煮を戴くと、M木氏の云う、ひとり一本の予定のビール(中)もたちまち無くなり、もう一本だけ(中を)追加してもらう。
 良くできたもので(蕎麦屋のことだが)、そのビール(中)が飲み終わる頃、蕎麦がちょうど茹で上がり、皆は「鴨汁そば」(大盛り)を、私は「野菜天ざるそば」(大盛り)を頂き充分に満足するのである。
 あくまで自己評価・・・・・・★★(★★★満点で)としておこう。

 後にI-netで検索をしてみると蕎麦『つばき野』に自作HPがあるのを発見し、忘れていた注文したつまみを思い出せたのである。それにしても、あのおじさんが作ったHPだろうか?

4月1日(FRI)

晴れ。暖かな日である。

 4月になった。
予想よりやや遅いのだろうが、モクレンが咲き始め、桜の蕾もあと数日で淡いピンクの花弁を付けるのであろう。やはりというべきか、当然と言うべきか、「木蓮が咲き、数日後には桜が開花」と、感心するほどに一寸の狂いもなく自然は順序を守ろうとするのである。

3月28日(MON)

雨模様。
 『何故か・・・・・』

 我が家に新しい家族?と言うべきか?

とにかく、やんちゃな奴がやって来たものだ。
 全身は白いが、一応珍しい柴犬なので、私的には「シーバ(Shiba)」と名前を付けたいところだが、娘は既に「しんちゃ〜ん」などと、何故か呼び始めている。


3月24日(THU)

曇り〜雨。〜晴れ。

 2月に続き、同じような毎日を過ごし、同じように3月の月末を迎えようとしている。
 『嘘だろう?』・・・・と思わず呟いてしまうほど、朝がやってくるのも早いし、私の時計は早く廻っているようだ。

3月17日(THU)

晴れ。まぁまぁ暖かくなった。
 『ERIC GALE』

 “STUFF”と言うバンドがあった。
彼らのアルバムジャケットは、それはかっこいいとしか云いようのないセンスがあり、音楽も都会の?洒落た大人達のものという感じがしたものだ。
 アルバムを何枚か購入してみたものの、結局若すぎた私には、当時のおじさんバンドを理解できぬまま、20数年の時間を過ごしてしまった。

“STUFF”のギタリスト、故エリック・ゲイルのアルバムを買ってみた。

 しびれた。
2枚のアルバムをカップリングさせたという変わったアルバム『Ginseng Woman/Multiplication』
 
ジャケットデザインも、見事?カップリングされており、訳がワカラン画像である。
何ともカッチョイイ『MoreStuff』
 今度はこれを買いたい。

3月13日(SUN)

晴れ。
 『ステーキ』

 昨夜久し振りに、サーロインステーキをミディアムで焼いて喰った。
 確か三年程前の初冬に、北軽井沢のステーキ屋で、しかも同じ顔ぶれで食べたのが最後だったのかもしれない。
 別段まずかったと言う事もないのだが、特別に旨かったと言うこともない。出来れば肉以外のもの方が良かったかなぁ・・・・と感じさせるのは、年齢から来る何かが起因させるにるに違いない。

 19歳の時に初めて沖縄へ行き、那覇で初めてステーキを口にした。しかも三日続けて・・・・・・・・。初めて口にしたそれはスープにサラダ、ライス、コーヒーのセットで1,000円はしなかったか?

 とにかく生まれて初めてステーキを食したせいなのか、特別地元の人に評判の店だったせいなのか、とにかく旨くて1,000円という価格は当時にしては豪勢だったが、欲求に勝てず3日連続で通ったのであった。

 あんな欲求は、さすがに訪れることがないのがちょっと寂しい。

3月12日(SAT)

晴れ。荒天。強風。
 『梅』

 先日、広告に載せる写真を撮るために墓地へ行った。
さすがに、霊園とお墓の写真を載せる訳にはいかないので、合間に撮影した梅の写真をUPしてみた。
 しかし、梅の写真で構図をとるのは実に難しいものなのである。

3月9日(WED)

晴れ。気温は20℃近くまで上昇。

 アッという間に日本人メジャーリーガーが16名となった。
しかし、赤いユニフォーム(BOSTON)を着た新人のデニー友利が、一番メジャーリーガーらしく感じるのは当然のことなのか?



3月4日(FRI)

雪〜曇り。
 見舞い

 義父の入院する大宮日赤病院へ行った。
本来ならば仕事など放り出し、馳せ参じなければイケナイ筈なのだが、結局、ついで・・・・・と言っては実に申し訳ないのだが、一週間も過ぎて伊奈町で用事を済ませたその足で、混雑する夕闇を車で漸く大宮日赤病院へ辿り着いたのである。

 見舞いの品に文庫本なども頼まれていたのだが、とても買い求める時間も書店も見あたらず、結局、病院の前のファミリーマートで、西村京太郎の文庫本1冊と、劇画本(麻雀放浪記)1冊を慌てて買い病室へ向かったのである。

 義父は、何故か普段より逆に、明るく元気そうに見えた。

2月27日(SUN)

晴れ?。寒い一日。
 2005年 2月末日

 二度とやってこない2005年2月も、いよいよ明日24時間で終わる。久々に仕事に追われた多忙な日々も、時間が過ぎるにつれ、良き思い出に変わることを祈るばかりである。

2月24日(THU)

晴れ。夜は雨。
 おねえちゃん(20歳代前半)切れる。

 タバコを買おうと思いコンビニ(7-11)へ寄った。
こんな時間(午後3時)に、しかもこんな片田舎のコンビニなのに、車が駐車場の白線内に止められぬほど店は混んでいた。
 私は、愛用のマイルドセブンエキストラライト3rをふたつ手に持ち、レジの3番目の客となったのである。

 40代の私が言うのも何だが、レジの店員は、パートのおばさん(30歳代)。一番前の客のレジを打ち終わり、何故か精算をしないで店の奥を伺っている。・・・・・店長らしき男(50歳代)が何かを見つけているようだ。・・・・・・しかし、その仕草が異常に長い。長すぎる。

 私の後にも客が3人並び合計6人となった。それに気が付かないのか、見て見ぬ振りをしているのか、おばさん店員(30歳代)はずーつとそのままでフリーズしたままである。

 異常事態に気が付いた別のおばさん店員(50歳)、もう一つの閉めてあったレジを開けようとするかに見えたが、何と店の奥へ・・・・・・。
 そして、ようやく別のレジに出てきたのは、店長らしき男(50歳代)・・・・・・。「お待ちのお客様、こちらのレジへどうぞ。」・・・・さすがに私(40代)、10代の少年ではないが、久々に切れそうになった。

 2番目に並んでいたおねえちゃん(20歳代前半)もいらだちを隠せずに、隣のレジに移り、財布からお金を取り出すのに、持っていた車のキーホルダー(ジャラジャラとアクセサリーとかがたくさん付いたも)を、聞こえよがしにレジ代の上に叩きつける(音を立てて置く)。

 私の前のおねえちゃん(20歳代前半)、私と同じように相当怒っていたに違いない。

2月21日(MON)  今月のI-net ショッピング

晴れ。
 今月も相変わらずクラッシックなCDを購入している。
 懐かしいアルバムジャケットのDeodato『Love Island』・BozScagg『Down Two Then Left』。このBozScaggsの名盤は、多分私の生涯で聴くべき音楽を、方向付けさせてくれた作品であり、当然アナログLPの買い直し盤である。
 共に私がいちばん音楽を聴いた時代のアルバムなのだろう。

 そんな中で、一枚くらいは新譜を・・・・と選んだのが、何とサントラ盤『オペラ座の怪人』のアルバムであった。
 この音楽、これから発売される新型携帯電話の呼び出し音に採用されるのは間違いないだろう。

2月20日(SUN)

 旧渋沢邸『中の家(なかんち)』
     埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」
晴れ。日中は風が強い。

 日本の近代資本主義の父と呼ばれる、渋沢栄一の生誕の地は、私の家から車で10分もかからない場所にある。非常に近いせいもあり、何度か入口までは行ったことはあったものの、実際に屋敷内を見学したのは今日が初めてであった。

 46才になった今でも、独りでこうゆう場所を訪ねるのは、やはり気恥ずかしいと言おうか、照れくさいと言おうか、近所と言うこともあり、何となく気が引けるものなのである。ましてカメラなどぶら下げて入るなんて・・・。

 しかし、今日はどうしても行かなければならない理由があった。それは、業界の組合の広報誌の表紙に、「渋沢栄一の縁あるものを・・・例えば生家とか・・・・。」などとリクエストがあったからなのである。

 (見学者は東門から)・・・・の案内通り私は、恐る恐る東門をくぐり抜けてみた。まぁ大きな屋敷であるが、この辺の古い元養蚕農家の典型的な建築様式であり、それ自体には特別に感慨はなかった。

 屋敷内に立ち入ると、植木職人が5〜6名で南の庭の手入れをしている。玄関先で一人の年輩者が「いらっしゃい、どうぞこちらへ。」と、私に声をかけてくれる。どうやらこのおじさん、この建物を案内してくれるシルバー人材センター職員らしい。
 「差し支えなければ・・・・」に私は入口で住所氏名を記帳し、たった一人の私の為にシルバー人材の田口さん?栄一翁、建物(なかんち)の説明を懇切丁寧にしてくれる。挙げ句、裏庭の竹藪から隅々まで、広大な屋敷内を一周案内していただいたのである。

 説明が終わり、写真をコンパクトフラッシュに一応収め、礼を述べ帰ろうかと思ったら、南に枝ぶりの良い梅の木があるのを発見。もう一度撮り直したのが上の写真である。職人さんの赤い弁当箱か何かが、玄関脇に妙に目立ったのでモノクロにしてみた。

2月14日(MON)

晴れ。
 『暗雲漂う・・・?週初め』 

 誰か石でも投げたのか?

 昨夜は午前1時まで事務所で仕事をしており、結局眠りにつくのは午前3時を廻ってしまう。何とか朝7時30分に起き、まだ眠い目を擦りながら午前8時10分には事務所の扉を開ける・・・・・・・。早出のT氏が既に仕事を始めている。
 何一つ変わりなく、普段通り忙しい月曜日の朝を迎えようとしていたのである。

 いすに座りながら何気なく東の窓を眺める。「あれ、誰か石でも投げたのか?」初めの感想はこんなものであった。

 近寄ってマジマジと見る。

 小さく割れた窓の下には細かなガラスの破片が少し飛び散っている。そして、窓に並ぶ事務カウンターに少し泥が付いている。更によく見ると、窓に一番近い机の上にも泥が付いてる。机の上に昨日置いたばかりのデータCDケースの上にも少し泥が付いている。我に返った私は、小銭の入った机の引き出しの中を恐る恐る開けてみる。見た目にはそれほど異常は見られなかったが、小銭の100円玉と500円玉だけが何故か無い。
 この時ですら、私はさほど異常は感じなかった。

 今度は恐る恐るロッカーの集金カバンを開けてみる。
 当然それ程入っている訳ではないが、持ち上げた感触がいつになく軽い。それを開けてみる。
・・・・・・「領収書だけしかない!!」

 自分の机を開けてみる。野球連盟として預かっているT塚氏葬儀の時のお清め(封筒に寸志と書いてある)が無い。LIONS-CLUBから預かってゴルフ大会申込金の一部が無い。

 『ピピ・・・・ピッキングだぁ。』

 その後、110番、警察の現場検証、被害届け・・・・・・
どこの誰だか知るすべもないのだが、こんな不況に苦しむ弱小会社などいじめないでくれ。窓ガラスの修理代だって馬鹿にならないのだ。
予期せぬ、とんだ週明けとなったのである。


2月11日 PART2  『こんな事を思い出した』

 仕事柄、他人様の挨拶文などを、その人になりかわり書くことがよくある。それは、お客様が定年退職した挨拶状(御礼)から、墓石建立・先祖代々の法事の挨拶まで、様々な文章を作ってきた。今は、定番の挨拶は何通りかの雛形をすでに作ってあるので、若干のアレンジを加えてるだけで誰でも簡単に作れるようになっている。
 そして大きな声で公言できないが、政治の世界に立候補する挨拶なんて言うものだ。このクラスになると挨拶中に、候補者のより良い人間性を多く出さねば良い挨拶が出来上がらないので、政策や公約なんていうのもまで考えなくてはならないはめになる。 だから必要に迫られ、時期が来ると地域の政治的な問題点や、将来像なども多く勉強せねばならない。

こんな事があったのを思い出した。

 まだ私が若い頃、当時の私から見れば結構年輩と思われる(30〜40前半くらいだったか?)お客様が、結婚式を上げた通知状を作りに見えた。
 この程度は実に簡単な文章なので、その場で文例をアレンジし、数分で我ながら見事な文章が出来上がった。
 お客様にそれを提示すると
「未熟な二人でございますが、今後ともご指導ご鞭撻を宜しく・・・・・・。」とある文末がひどく気に入らず、あまりに無礼だと怒って帰ってしまったのである。まだ若かった私も、お客様の年齢や容姿まで伺える力量がなかったので、定番の「未熟な二人で・・・・・」を使ってしまったのだが、遜った言い方でもお客様を100人が100人納得させられぬ難しさを知った出来事でもあった。

2月11日(FRI)

晴れ?。
 『辛抱の後には必ず希望がある。』・・・・か

・・・・・・確かにまだ若造の?今の私を充分に励ましてくれるお言葉なのである。

 今日から世間では、所謂3連休なのである。しかし、当然今の私には世間並にそれを味わえる余裕などない。辛うじて明日、親戚の一周忌の法要に呼ばれており、久し振りに親戚一同で顔を合わせ、仏様も交え安らぎの一時を過ごそうかとも考えていたのだが、今日の夕方以降にその予定も一変してしまった。
 黒い服を着て行かなければならない場所が、1ヶ所から2ヶ所増えて合計三ヶ所になってしまったのだ。
 午前10時30分〜夜の7時まで、黒服を着続けることになるかもしれないのである。
 万が一少しでも時間が空いたなら、希望を見いだせるように仕事の続きをしよう。格好なんかどうでもいいのだ。
 

2月10日(THU)

晴れ。暖かい一日だったが、夕方から風も強まり寒い。
  10日ぶりの書いたと思ったら、
 『多分、記してはイケナイ仕事の話』

 程度はあるのだが、仕事が忙しく働かせて貰うことは実に有り難い。

 しかし近年、忙しい=利益が上がる。・・・・と言うことには決してならないのが、悩みの種なのである。昔だったら、忙しく次から次ぎへと仕事をこなしてさえいれば、ろくな積算などしなくとも、お金は後から黙って付いてきたものだ。

 近年では、納期が忙しく、日程がとても厳しい仕事であっても、先ず慌てて見積もり合わせをし、絞りに絞った価格で受注が出来たとしても、過酷な日程を遂行して行かなければ、とても納まるような物にはならない。こういった仕事はどうしても、手を抜きたい訳ではなくとも、納期に追われ、妥協せねばならない問題点が多く出てきてしまう。

 僭越ながら、なかなか自分の能力を、発揮させていただけるような仕事にはありつけないのが現状なのである。


2月1日(TUE)

晴れ。寒い一日。
 『今日のお勉強。 「義援」(ギエン)「義捐」(ギソン)。』

 何故か午後7時からLIONの例会に出席していた。

遅ればせながらその席上で「スマトラ沖地震」の義捐(ぎえん)金の議題が上がる。地区からの書面が回覧され、その文章をよ〜く見ると、『義援』とばかり思っていた単語に『義捐』と記されている。しかも2ヶ所も・・・・「何だこりゃ?」「みんな老眼で気がつかないのか?」 

 隣のI井氏に、「これ、なんて読むんですかね?ギソン?ですかね」と尋ねてみる。しかし、もの知りなI井氏も「誰かが損するからこう書くのでは・・・・」とやはり読み方すら分からない。私は手帳にそっと『義捐』とだけメモをし帰宅。
 
 そして調べてビックリ、四十数年来『義援』とばかり思っていたギエンは、正式には『義捐』が正しかったのである。読み方も、ギソンではなくギエンと読むのであった。

 日本語は実に懐が深いのである。

ぎえん 0 【義捐】

(名)スル
慈善のため、また不幸や災害にあった人に対して、金品を寄付すること。
「窮民を救済すべき諸院へ―せんが為めに/緑簑談(南翠)」
〔「義援」とも書く〕


1月27日(THU)

晴れ?寒い。?

 確かにI-NETは便利なのだ。

 25日(水曜日)の深夜に、Amazon.comへ衝動的に注文したCDが、注文したことさえ忘れていた私の手元に今朝届けられた。
 しかも、3枚配送料込みで3,500円という破格値で、財布のひもが固いと思われた?私ですら、すっかり良い得意先になってしまったようである。

  TOTO  TOTO [FROM US] [IMPORT]・・・・・・・・¥1,093
  TOTO  Hydra [FROM US] [IMPORT]・・・・・・・・ ¥1,093
  BARBRA STREISAND  The Way We Were・・・・・・・・¥1,180
   -------------------------------------------
          小計           ¥3,366
          配送料         ¥0
          代金引換手数料   ¥198
          合計           ¥3,564


 そしてI-NETでは、こんな事でさえ人に尋ねることなく、瞬時に分かってしまうのである。
 しかし、何かと注目を集めている女の子二人の年齢差が、学年で一つ違いとは驚異的な事でもある。

 ■ マリア・シャラポワ Maria Sharapova
   (テニスプレイヤー)


  生年月日 :1987年4月19日
  国籍:ロシア
  身長:183cm
  体重:59kg
  右利き(バックは両手打ち) 生年月日 :1987年4月19日


 ■ 福原 愛
   女子卓球選手。(ミキハウスジュニアスポーツクラブ青森所属)

  通称、愛ちゃん。
 
  1988年11月1日 宮城県仙台市生まれ
  身長155cm 体重46kg
  血液型:B型
  卓球スタイル:右シェークハンド・前陣速攻型


1月25日(TUE)

晴れ?寒い。
 『(多分)今年最後の新年会』

 結構お酒を飲んで酔っぱらってま〜す。

 そしてたった今、H人会支部新年会から帰る。

 三番目に青年部長のまとまらない形ばかりの?挨拶を終えたので、宴会場が家のすぐ前と言うこともあり、普段よりほんの少し呑み過ぎた。

 小さな町ではあるが、地域をリードする?代表者達とこうして杯を酌み交わすのも、たまには良いのだろう。
 しかし決まっていない席順の席に座るのは微妙である。「上座はどこかな。」「隣の席、前の席、斜め前の席は誰が座るのかな?。」一旦座ると、席を変えるわけにはいかないので、着席前は恐らく誰しも多少なりとも吟味するのであろう。中には仲のよろしくない人もいるのだろう。気心を許せない人もいるのだろう。話の合わない人もいるのだろう。
 まぁ、それも大人だからしょうがない。


1月24日(MON)

晴れ。今年一番の寒さとみんなが云う。
 『紛らわしい名前』

 当然の事だが、先週から一週間が過ぎる。
 
 土曜日の午後3時から業界のセミナーと賀詞交換会が大宮で行われた。さすがに新年早々に遅れるのは良くないと考え、案内の葉書に受付が2時30分とあったので、1時40分の電車で出掛けたのである。

 大宮駅に着いたのは午後2時30分少し前、ここからパレスホテルまで歩いても5分程だ。しかし、私にしては早く着き過ぎてしまうと考え、ほんの少し遠回りとSOGOデパートの中をブラブラと通り抜け、寒さに耐えながら出口でタバコを一本吸い、ガムを一枚口に放り込み、程良い時間に大宮パレスホテルに到着した。

 私の安コートをクロークに預けようとフロントへ行き、「コートはここで預かるのか?(預かってもらえるのですか)」と尋ねる。すると、一見品の良さそうな田舎?ホテルマンが「お客様、どちらの階のお集まりですか?」などと聞いてきた。

 私は「埼玉県印刷工業組合の賀詞交換会だ。(ですが)」と答える。弱った顔をしたフロントマンが、「当ホテルでは、本日そのような名前の会合は承っておりませんが・・・・・」みたいなことを云う。

 瞬時、(キツネに化かされたか)私の思考回路は、『確かこのホテルに間違いない筈だが、(俺もいよいよボケの始まりか)日にちを誤ったのでは。』『間違いなくソニックの隣り、パレスホテルだった筈だが。』と、時間も迫り少々パニック状態になりかけた。

 冷静になり、西口と云うべき所を・・「南口に他にホテルはあるのか?(ありましたか。)」と尋ねると、「大宮駅は南口はございませんが、西口ですと宴会が出来るホテルは、ダイエー前のマロウドイン位でしょうか?」などと曖昧な返事。

 「しゃーない」とにかく時間も迫りパレスホテルマンではらちがあかないので、足早にマロウドインへ行ってみる。3時10分前、実はマロウドインでも会場のセッティングは無い事が判明。田舎者の私本当に弱った・・・・。

 ここで漸く、電話で家に問い合わせる事を思いつき、家内にハガキを見て貰う。すると何と、なんと、東口の『大宮サンパレス』ということが判明。
 それは人混みを縫うように駅通路を歩き、それは競歩選手の如く、高島屋交差点を与野の方へ暫し歩き小さな雑居ビル?にサンパレスの大きな文字を見出せたのである。

 それにしても、ろくにハガキを見なかった私も私なのだが、『パレスホテル』と『サンパレス』などと実に紛らわしい名前なのである。そして、こんな間違いを起こしたのは、決して私だけではない筈である。
 
毎日寒いので、部屋で商品撮影でもしてみました。
(約13年来愛用している『ULTRAMARINE』)

1月16日(SUN)

昨日から一日中雨。
雪でなくて良かった。
 『昨日のおこずかい帳』

 朝タバコがなくなり、車でマイルドセブンエキストラライトを買いに行く。   ・・・・・1個270円の消費

 来客があり、富義で揚げたてのアツアツ牡蠣フライ定食をいただく。   ・・・・・二人分で1,460円の消費

 注文していたAmazon.comからCDが届く。
 AROUND THE WORLD IN A DAY 〔PRINCE〕・・・ ¥1,080
 At Last...The Duets Album 〔Kenny-G〕・・・ ¥1,558
 Number Ones [Bonus DVD付き] 〔BEE-GEES〕・・・ ¥1,377
     ・・・・・小計¥4,015 配送料: ¥0
         代金引換手数料: ¥198
         合計: ¥4,213
 ・・・・・CD3枚で4,213円の消費

 恒例となった「初打ち運試し大会」に参加。・・・結果はあえなく惨敗。正月なので奮発し深谷駅前G-HOTELで中華料理を頂く事に。   ・・・・・会費10,000円の消費。

 さらに、惨敗の結果   ・・・・・8,000円の消費
財布の中身が実にすっきりとなった。


左「BEE-GEES」(日本版ボーナストラック付き DVDなし・・・・2,548円)
中「Kenny-G」(日本版ボーナストラック付き・・・・2,500円)
右「PRINCE」(日本版・・・・1,835円)

1月14日(FRI)

晴れ。比較的温かい一日。
 『明日が成人式だった』

 成人式が1月15日でないのは、やはりどうも馴染めないのである。

 『成功より成長』・・・・・・・
 『思考より試行』・・・・・・・

 やりたいことが見つからない人も、焦らないで、まずは映画を見る、本を読む、人と話をするといったインプットを大いに増やしておくのが良い?らしい。おのずとアウトプットが出てくるものらしい。

 三木谷浩史氏と一緒にあの『楽天』を築き上げたという、元楽天副社長・本城慎之介氏(32)のお言葉らしい。「随分と若いのになかなか良いことを言うわい。・・・」などと思ってみたが、二十歳の青年から見れば、充分に人生の大先輩に当たり、説得力も十二分にある。 

1月11日(TUE)

晴れ。朝、外の水道が凍る。日中はわりと温暖に感じる。
 『何故ガソリンを入れなかったか?』

 富弘美術館を目指して走っていると、群馬県の大間々町でガソリンが寂しくなった。
走行キロ数が380qになり、給油メーターも最後のひと目盛りまで僅かとなっていた。大間々町で是非、給油をしようとガソリンスタンドを吟味しながら走っていると、数軒営業しているGSはあったものの、これがなかなか入りたくなるようなGSがない。結局、市街を通り越し、黒保根村の道の駅まで来てしまう。
 富弘美術館まで約10q程か?このままだと、最悪の結末になると考え、急遽目的地を断念し今来た道を引き返す事になってしまう・・・・・。

 それでは何故、ガソリンスタンドに入りにくかったのか・・・・

 @いつも入れている馴染みのブランドではなかったから。
 A給油口が、私的には馴染みのない天井から延びてくるタイプの給油口だったから。
 Bスタンドがあまりに小さすぎたから。
 Cタイミング良くスタンドが目立たなかったから。(入ろうと思ったら突然すぎて曲がれなかったとか。)

 結局の所、新田町の『ジョイフル本田』前の、縁もゆかりもないガソリンスタンドでハイオク@116円×56リッター=6,496円(消費税+324円)を必要に迫られ消費する。決して人事ではないのだが、今時の商売の難しさを我ながら感じた一時であった。

 どうすれば私のような一元の客から、僅か?であるが6,496円(実質スタンドの粗利にして10%前後か?)の商売が出来たのだろうか。
 ブランド力は燃料メーカーサイドの問題としても、小売店の立場として、私が考えるその一番は、GSはやはり『入りやすさ』という一言に尽きるのだろう。それは客を誘導する立地の良さと、数10メートル手前からでもそれと判る看板等の設置・・。(正直私のような客にとって、価格の高い安いは問題ではないのである。言い換えればGSの成功の大半は立地条件が大きくものをいうのか。?)

 他人事ながら人の商売を想像するのは容易い。が、現実問題として、様々な理由でその場所を離れられない、代々町中で商売をしている商人にとっては、私のような一元客から商売をするのは絶望的であろう。となると、地域に根ざしたサービスの良さで馴染み客を増やすことを考えて行かなければならないのだ。
 当たり前のことを書いたが、商いをより大きくするのは、それが本当に良い事か悪い事か別としても、やはり大型店のような不特定多数のお客様を掴まなければならないのは明白である。
 しかし、本当はそればかりでなく、違う方策ももちろんあるのだが・・・。

1月7日(FRI)

晴れ。昨日と打って変わって暖かな一日である。
 『柔らかな頬』

 桐野夏生の「柔らかな頬」という小説を読んでいる。

 彼女は、私より何歳か年上で、結構美人で歳相応の魅力を感じさせる女性にも見える。数年前に映画化された「OUT」を書いた人であり、確かその本も私にしては、圧倒的な早さで読み終えた記憶がある。
 昨夜は風邪気味だったので、仕事を早く切り上げその「柔らかな頬」(上巻)の続きを読んだ。読み出すと止められないストーリー展開で、午後10時頃までに早々と読み終えてしまい、続きの下巻をどうしても欲しくなってしまった。
 少し風邪をひいているのと、外気のあまりの寒さに暫く考えた末、ついには欲求には勝てず、ファミリーブックまでわざわざ下巻を買い求めに行った。
 しかし、こんな時にはその下巻だけが見あたらないのである。文庫本の売り場を隅から隅までいくら探しても、上巻が2冊有るだけでいくら探してもやはり無い。結局この店は諦め、上柴のファミリーブックへ行ってみる。久し振りに行ったこの店は、書籍の絶対量が少なく期待はずれか?と思ったが、棚に上巻・下巻が各10冊ほど有った。上巻と下巻を間違わぬように、無事に買い求めたのである。
近日中にきっと聴くであろうアルバム。

1月6日(THU)

この冬一番の寒さか?。ほぼ一日中曇りで時々晴れ間。
 『寒い朝』
 

 寒い朝である。
 よほど冷気が地表を覆っていたせいか、どんよりと曇った空にも関わらず、遠くの山々が驚くほどよく見渡せる。
 直線で60〜70qは離れている浅間山でさえ鮮明に見える。実に不思議な光景に暫く浅間山を眺める。朝のラジヲ番組からJD・サウザーの「Your Only Lonely」が実にタイミング良く流れ出した。

2005年
1月5日(WED)

晴れ。結構な寒さ。



村の神社
(岩槻市平林寺)


 『お正月のお酒』

 漸く2005年のページが出来たと思ったら、そこに載せるべき、気に入った写真が見あたらない。何としてもタイトルが無いのは味気ないので、友人K彦氏の写真を若干色調補正して、無断で拝借しておく事としよう。あくまで無断で。

大晦日・・・・・・・・例年だと、夕刻より決まった得意先だけへの挨拶回りから帰り、大凡7時頃から定番の年越しそばをいただくのが常だが、午後から降りはじめ、積もった雪の為、恒例となった私の行動は断念。 昨年、隠れ蕎麦屋を開店したK田さんが届けてくれた蕎麦を食すのみ。しかし、10月の北海道旅行で購入した、昆布焼酎がまだ少しあるのを思い出し、お湯割りで2杯いただくのも忘れなかった。

 元日・・・・・・・・例年だと、早朝より地元スポ少の駅伝大会が行われ、一時間程そこで様々な人達と賀詞を交換し、午前10時頃からお寺の年始に出掛けるのが常なのだが、昨日の雪で駅伝は中止に、お寺の年始までも徒歩で往復50分程かけて済ませる事になる・・・・・。数年前は朝食時に雑煮と一緒にお屠蘇なども頂いたものだが、元日早々の早起きで必ず昼過ぎに、ひと寝入りをしてしまう為、夜までお屠蘇は断念。夜、鍋を肴にして、ビール少々と昆布ではない焼酎のお湯割りを2杯いただく。

 2日・・・・・・・・例年だと、娘と家内の3人で岩槻の義兄の所へ新年会に出掛けるのだが、何故か今年は家内と二人だけ。しかし、道の駅おかべで定番となった『にごり酒』を購入することは忘れなかった。
 恐らくこの夜は、私にとって一年で一番お酒を体内に入れる日なのか。?義父と義兄と私の三人でビールから始まり、にごり酒、シャンパン、とどめの紹興酒・・・・・・・。それは当然、酔っぱらった。

 3日・・・・・・・・お酒の弱い私は流石にお休み。翌朝のゴルフに備え午前1時過ぎには就寝。

 4日・・・・・・・・ほぼ雪の残っているゴルフコースに出る前に、クラブハウス入り口の樽酒を一合升で、1p程いただく。元日のにごり酒の影響か、樽の香りに荒塩を舐めながらチビリやるのは結構いけるな。などと思う。
寒さのせいか、顔を赤らめコースに出てみる。・・・・・ゴルフなんか大嫌い。
 午後3時30分頃から8時頃まで、私の一級後輩の「恵美ちゃん」で、生ビール1杯。注ぎ足された注ぎ足され、最後は生一本になってしまったウーロン杯2杯?いただき代行で帰宅。
 ゴルフよりこちらの方が長かったし、皆、それは楽しそうだった。(平均年齢私を除くと、何と58才?)

 滅多に飲まない私が、今年は大酒のみに大変身だ。