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7月23日
(SUN)

 私もやっているMixiだが、実に興味深いNEWSがあった。
便利で好きでやっているI-NETも、学問でとらえると、こんな事があるのか。



「mixi疲れ」を心理学から考える


 SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)「mixi」で頻繁に日記を書き、多くの「マイミク」と交流している人が、コミュニケーションに疲れ切ってmixiを突然辞めてしまう――「mixi疲れ」とでも呼ぶべきこんな“症状”が、一部のmixiユーザーに見られている。

 自ら好んでmixiに参加し、コミュニケーションしているはずなのに、辞めたいほど疲れてしまうのはなぜなのだろうか。SNSのコミュニケーション心理に詳しい野村総合研究所上席研究員の山崎秀夫さんに聞いた。

●やめられない、止まらない

 「日記を書いてから5分以上レスが付かないとそわそわします。病気かもしれません」――mixiユーザーの中村初生さんは自らを「mixi依存症」と認め、2004年のある日記にこう書いた。当時の中村さんは、ほぼ毎日日記を書き、友人からのコメントにも欠かさず返事していた。

 mixi日記は、ユーザーによっては、一度書き始めると止められなくなってしまう。日記へのコメント機能やアクセス履歴を表示する「あしあと」機能が、ユーザーに「快感」を引き起こさせるためと、山崎さんは説明する。

 自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。

 加えて「好意の返報性」も働く。人から受けた好意に対して同じだけの好意を“お返し”し、心のバランスを保とうとする作用で、mixi上では、自分のページにあしあとをつけたり、日記にコメントをつけてくれた人に対して、あしあとやコメントを返そうとする行為として現れる。これによって相手にも好意の返報性が働き、自分の日記にコメントやあしあとが付きやすくなるため、応酬がエスカレートしていく。

 つまり「コメント欲しさに日記を書く」→「コメントが付いて嬉しくなる」→「コメントをくれた人の日記にもコメントを返す」→「自分の日記へのコメントが途絶えると、コメント欲しさに新たに日記を書く」──というサイクルが際限なく続くのが“mixi日記中毒”の正体と言える。

●マイミクは「社章のようなもの」

 友人同士をリンクで結ぶ機能「マイミクシィ」(マイミク)が、この応酬をさらにヒートアップさせる。ユーザーは、別のユーザーにリンク申請して承認されると、自分の「マイミクシィ一覧」上に相手が表示される。マイミクはいわば、友人である証だ。

 山崎さんは「マイミクは、社章のようなもの」と言う。社章を付けた人は、その会社の社員であることを強く意識し、社員としてのふるまいを強化する傾向があると考えられている。A社の社章を付けた人は、より「A社の社員らしくふるまおう」と意識するといい、社会心理学で言う「役割効果」が発揮される。

 マイミクも役割効果を持っているという。マイミク登録・承認することにより、「私はこの人とマイミク(=友人)なのだから、友人らしい振る舞いをしなくては」と意識するためだ。

 mixi上では、あしあとを付けたり、日記にコメントすることが友人らしいふるまいとなる。少数のマイミクだけと付き合っている間は問題ないが、見知らぬ人や1度きりしか会ったことがない人など「にわか友達」をマイミクに加え始め、全員のページにあしあとやコメントを付ける――という作業を繰り返していると、だんだん無理が出てくる。

 見知らぬ多数のマイミクと親しく振る舞おうとする努力は、飲食店店員の笑顔のようなものという。当初は、少ない客に対して心からの笑顔を見せていた店員も、客が増えて忙しくなるにつれ、笑顔が義務化し、笑顔を作ることに疲れ、ストレスをためてしまう。関係が薄いマイミクにあしあとを付け、コメントを付けては疲れるという“mixi疲れ”の症状も同じ構造だ。

●“mixi疲れ”から抜け出すには

 mixi疲れから脱却するためにはどうすればいいのだろうか。山崎さんは、(1)mixiは土日だけしか使わない、といった自主規制ルールを決める、(2)マイミクの数を整理する、(3)会ったことがないマイミクと会う機会を作り、自分と合う人か見極める――といった解決策を提案。最終的には、ユーザーの精神的な自立が必要と説く。

 とはいえmixiは、職場や近所などリアルなコミュニティーの付き合いが希薄となった現代で、その枠を超えた“社交”を可能にし、日々のストレスをいやしてくれるツール。その意味では「国民栄誉賞もの」と山崎さんは評価する。

 mixiをコミュニケーションツールとして気持ちよく使うためには、依存からの脱却は不可欠だ。米国で9000万ユーザーを集めるSNS「MySpace」では、SNS依存についての議論が始まっているという。日本でも、真剣に考えるべき時が来ているのかもしれない。

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7月23日
(SUN)
 『いちねん』

 この頁を作ってから1年が経とうとしている。
そして今年に入ってからは、およそ月2回のペースでそれは大意のない事が書き込まれている。振り返ると懐かしいことが書かれていたり、毎度同じような時間の経過の早さに驚いた事などが書かれていたり、・・・・俺の一年間はこんな事しかないのか?と、呆れてみたりもする。
 極力、時事放談を避けたり、日記風を嫌ったりした結果なのかもしれない。
まぁ何とか苦し紛れに生きている。

7月1日
(SAT)
 同級生の死

 2006年の7月となった。
早いもので今年(2006年)も半分の時間が過ぎ去ったと言うことになる。
 喜ばしい話ではないが、今週半ば中学校時代の同級生が亡くなり、今年二人目の物故者となってしまった。たまたま偶然かも知れないのだが、2人共所謂優等生でない(当時不良とも呼ぶ)ボンタン+膝丈ほどある学生服を羽織り闊歩していた仲間達だった。信じられぬ事に、私もその一員であったのであるが・・・・・・。
 しかし、40代も後半となり同級生の不幸は、それ程にビックリするような出来事でないのかも知れないが、『人とその人生とは・・』などと、正直考えさせられる心境にも当然となる。

6月21日
(WED)
 『伊香保の朝』

 午前5時35分、伊香保温泉の『福一』で目覚める朝となる。
思いのほか遅く起き出したが、同室の仲間はまだ夢心地だ。
 眺めの良い窓際に座り、冷蔵庫からオロナミンCを1本取り出し飲み干す。昨夜飲んだイモ焼酎『一刻者』がまだ残っているのか、身体がもう少し水分を要求しているので、用意された冷水をグラスに注ぎ一気に飲み干す。顔を洗わずに、おしぼり二枚で顔を拭く。浴衣を脱ぎ捨てて、Tシャツの上からナイキのポロシャツを羽織り石段街へ出たのが午前6時少し前である。
 平日の早朝、石段の続く温泉街で散歩と洒落こむのである。

6月4日
(SUN)
 6月、今月のお届け物

 3月末に購入したCD『Once Upon A Time In America』のEnnrio Morriconeの楽曲にすっかり魅せられて、『NEW CINEMA PARADISE』のDVDを買い求めた。
 『NEW CINEMA・・・』(1977円)では、代引き手数料260円が惜しいので、PRINCEの持っていなかったDVD(1500円)と、61歳になった西岡たかしのCDを合わせてみたのである。

 しかし、何歳になるか知らないが、Ennrio Morricone氏が、昨年初来日コンサートを果たしたなんて、1年早くこのCDを手に入れていたなら・・・。と悔やむばかりである。

5月16日
(TUE)
 『永吉はアルバム名・・・・』

 幾日か前、ラジヲからこのおじさんの「PURE GOLD」が流れた事を、ジャイアンツの清水がバッターボックスに入る時に流れる「GO WEST」を聞いて思い出したのである。
 部屋にいたので、早速レコード棚の上段(ここだけガラスケースになっている。)の数あるYAZAWAおじさんのブースから取り出して、4回連続でかけた。
 聴きながらアルバムのクレジットを眺め、発売年を一生懸命見るのだが、悔しいことに字が小さくて読めない。見えない・・・・。
流石に徳ちゃんではないが虫眼鏡で見るのだけは止めたが(そもそも虫眼鏡など無いけど)、念の為に手を遠くに伸ばして確認してみる。
 ・・・・・・何と遠くに伸ばすと、それは鮮やかに1990年とくっきり見えたのである。喜んでいいのか、悲しむべきか。
 
 改めてNETで確認すると、何と偶然、明日17日に『YOUR SONG』なる所謂BEST盤を3枚同時にリリースするとのニュースが。当然、ほぼ90%以上を持っている私は買うはずもないのだが・・・・・
 私同様、日本中に大勢いると思われるファン歴30年以上選手達も、間違いなく“ろーがん”の域に達している事であろう。

100%Mixiと重複しています。

5月11日
(THU)
 夕焼けが美しい一日だった。

ここ数日恒例となった朝風呂に入り、実に平凡だがかなり冴えない一日を過ごした。少し時間をやり過ごせばこんな一日があったことさえ忘れ去ってしまうのだろうか。
 しかし私にとって、こんな平凡な一日でも、人によっては忘れ難き一日となるものである。しかしそれでさえ、それは長い年月が過ぎ去れば風化し、朧気ながら幻の如き美しい夕焼けを眺めるのであろう。


 春の花・・・『菜の花』も終わりを迎えようとしている。

4月23日
(SUN)
 『1歳を迎えた柴犬シンちゃん』

 縁あって我が家の一員になってから、早いもので1年が過ぎた。
毎日の生活を共にしていると、その成長ぶりには気が付かないのだが、当然写真のように立派な成犬となり、私の生活をも少々変えさせてくれたようである。

 久々に特段用事のない今日などはこんな具合である。
 AM6時前〜朝の散歩をおねだりする遠慮がちな?鳴き声で目覚め、40分ほどの散歩を一緒にする。
 PM3時〜夕方の散歩は母の役目なのだが、たまには町歩きでなく大自然の草むらの中をと思い、ライトバンに乗せて利根川の河川敷へ1時間30分ほど・・・・(下の写真がそれである。ソフトフォーカスフィルターをかけてみる)
 間違いなく約一時間後のPM10時〜夜の散歩に30分ほど出掛けるのである。
  ↑ちょうど一年前の柴犬シンちゃん

4月12日
(WED)
 『桜散る頃』

 正真正銘の『月記』となってしまったようである。

桜の開花予報が例年より早めだったと言うのに、開花寸前からの急激な冷え込みにより、近所の桜など数日前満開となり、漸く散り始めている。
 近年希にみる開花期間の長さであろう。

3月5日
(SUN)
 『三月になった。』

井上陽水の名曲に『桜三月散歩道』と言うのがある。
 
ねぇ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ 行きたいと思っていたのさ
町へ行けば花がない 町へ行けば花がない
今は君だけみつめて 歩こう
だって 君が花びらになるのは 
だって 狂った恋が咲くのは三月・・・・

が、一番で始まるあの曲である。

 3月5日(日曜日)、随分と暖かくなったが、この曲をしみじみと聴くに相応しい季節は、もう数週間必要であろう。

遅れていた梅の花が、あちこちでちらほらと咲き出した。

2月27日
(MON)
 『遅刻』

 昨日またまたやってしまった・・・。

 昨日午後2時30分〜受付、午後3時開式のLIONS-CLUBの慶事があり、本庄のグランドホテルへ招待を受けていた。・・・しかも僭越な事に来賓として。
 午後2時33分か45分のJR高崎線に乗ろうと考えていたのだが、遅い昼飯を食べ午後1時50分頃無性に眠くなり、身支度をする時間にも少々半端なので、携帯のアラームを15分後に設定して昼寝としゃれ込んだ。しかし、深い眠りにつきすぎたのか、気が付けば2時35分。慌てて飛び起き、身支度を整え、結局2時45分の電車にも乗れず、漸く3時丁度の列車に乗り込む。幸いな事に、ホテルはひと駅先の駅前なので、開式から約5分後??と思われる『国家君が代斉唱』の始まる前に飛び込めたのである。
 皆が黙祷する隙を狙い、上座である来賓席にちゃっかりと陣取ったものである。まぁ今日に始まったことではないが、確実に病的である。

2月3日
(FRI)
 『アナグロ』

 結局2006年になり、このHPにたったの2回しか足跡を残せなかった事になる。
2002年から、何気なく書き始めたこの雑文帳も、丁度4年間が経ち、正直書くこともなくなったと言うか、これを記する目的を失ったと言うか、
Mixiだけで精一杯というか、いろいろと制約が多いと言うか、意味を見いだせないと言うか、筆、いや、キーボードが進まないのは紛れもない事実なのである。

 ただ、数日前に見たテレビインタビューで、下町の町工場の社長さん(かなりの年配)が、『デジタル』に対比する言葉『アナログ』と言うべき処、確信を持って、それは大きな声で『アナグロ』と言っていたのが可笑しかったのである。

1月19日
(THU)
 昨日の買い物

16日に注文したCDが、昨日Amazonからペリカン便で届け られた。

左が昨年末から1ヶ月以上、ショッピングカートに入れられて いた『SONG Of SPARROW』(Edith Piaf)、真ん中が数日前 に突然ラジヲから流れ出した『MORE Than This』が収められ ているRoxyMusicの『AVALON』である。

Piafのアルバム、2枚組で45曲入り 1,751円。
Roxyのアルバム、1枚だが何と驚きの 980円。

合計で2,731円+(代引き手数料)260円

『新春早々お買得な買い物をした。・・・・』と思っていた ら、レコード棚からFerryとROXY-MUSICの真新しいアルバムが 発見されたのである。(写真右)

まぁ、暫く私の車の中ではEdith-PiafとROXY-MUSICが響き渡る事になるのだろう。(Mixi日記と重複します)

2006年
1月1日
(元日)
 『元日』
 
 昨日から今日・・・・大晦日から正月を迎えはずなのに、私的にはまだ11月程度の時間の感覚しかないのである。

 赤ワインを十二分過ぎるほど頂き、年越しそばを食べ、みのもんたと仲間ゆきえが司会を務める『NHK紅白歌合戦』を観て、『行く年来る年』を観て、『朝までな生テレビ』を観ながら充分夜更かしをして、朝起き恒例の元旦スポ少駅伝大会行き、お寺の年始へ出かけても、・・・帰宅し漸くお屠蘇と雑煮を食べても、正月を迎えた気分にはなれなく、私の体内時計ではやはり11月頃の感覚が抜けないのである。
 それは、暖かいとか寒いとかの問題ではなく、当然11月以降、異常に忙しく過ごしてきたせいでもない。やはり時間の感覚がおかしいのである。出来るものならゆっくりと時間が流れて欲しいのであるが。

12月21日
(WED)
 『年の瀬』

 信じられないことに、今年も後10日ばかりとなった。

有り難いことに、『師走』とか『年末』とか、ましては『X'mas』とか『正月』等という言葉を、まるで感じさせない程の、いや忘れさせる程の忙しさである。
 お陰で昨日などは、LIONSの恒例となっている『X'mas例会』(家族を含めたX'masパーティーか?)までも、ドタキャンする有様となってしまったのである。
 10何年か振りに?味わうこの忙しさは、恐らく市町村合併による一過性のもの?であるに違いないのだが、まぁ年の瀬は“ヒマ”よりも忙しくさせてもらう方が良いのに違いないのだ。
 もちろん、売り上げと収益が伴っていればの話であるが・・・・。

12月18日
(SUN)

 『ほぼ私がいちばん好きな映画』

 ここ2週間程の間に、随分と前に購入した『ワンス・アポン・アタイム・イン・アメリカ』のDVDを見ている.。しかし、睡眠不足の眠い目こすり観ているせいか、ほぼ細切れ状態でいつも観ながら寝てしまっている。
 同じ場面を何度も何度も繰り替えし観ているせいか?(映画の作り方が現実〜回顧の繰り返しの為か)、お陰様で忘れかけていたストーリーも、感激シーンも結局のところ未だ思い出せないでいるのである。
 あと、数週間このDVDを眺める事になるのであろう。

12月8日
(THU)
 『じょん・れのん』

 確か今日はジョン・レノンの命日なのかも知れない。
昨夜(と言っても午前2時過ぎだが)、寝る前にNHKラジヲのスイッチを入れたら、それは今の季節に相応しい『イマジン』が流れ出したのである。
 お陰様で、その曲が終わるか終わらないかの内に深い眠りに入ったのであるが・・・・・まぁ、至福の寝入りであったには違いない。

12月2日
(FRI)
 『25周年』

 あんなこんなで、年の瀬12月となった。・・なってしまった。
当たり前すぎるし、それは真実そのものなので、時間の過ぎ去った事を、『早い』と書くのは、あえてやめにしよう。

 しかし、『25年経ったんだなぁ。』と思わず、そして感慨深くアルバムの発売日を確認する出来事があった。
 何と25周年とかで、バーブラ・ストライザンドとビージーズのバリー・ギブの新作が、25年後のその後を・・?という感じで、まるで続編を思わせるが如く発売されたのである。
 あまりの嬉しさに、思わずたまっていたポイントを吐き出して購入したのである。


 背景が25年前に購入した30pLP『Guilty』。手前のCDが、25年後の数日前に購入した『Guilty Pleasures』である。
まぁ、日本中のどこかで同じようなことを考える暇人もいるのかも知れない。


11月21日
(MON)
 『葬儀』

 葬儀委員長を努めた深谷市長の挨拶が終わり、親族代表の会葬御礼挨拶、そして大勢の人達の弔辞のあとに、これまた大勢の指名焼香(20人ぐらい居たのか?)が終わると、静かに北島三郎の男らしい歌が流れ出した。
 永久の旅立ちをしてしまった立派な先輩の事を、私がこう呼ぶのも何だが、“山ちゃん”の告別式にそれはそれは相応しい、別れの曲であったに違いない。
 恐らく数千人の会葬客に見送られ、早すぎるのだが、こんな別れ方は、本人にとっても本望だったのかも知れない。

 せめて音楽くらいは、自分の好きな選曲を流したい。

11月20日
(MON)
 『金澤(兼六園)』
 
 18(金)・19日(土)と金澤に滞在した。
思い出せば、友人達と金沢の近江市場で旨い寿司を食べてから、既に10年以上は経つのだろう。

 今回金沢を訪れたのは、遊びでなく、仕事でもない。しかし、 主な目的は初日の午後11時前にはすべて終了し、オプションの 観光ツアーも予約してなかった私は、翌日の午後3時まで束縛さ れない自由の身となったのである。

 午前6時、13階のホテルの部屋から外を眺める。
・・・・・・外はまだ暗いが、無情の雨。

 午前7時、下を覗くと、歩く人達は傘を差している。
・・・・・・どうしようかと随分迷うが、どう考えてもホテルから外へ 出ないと兼六園には行けない事を確認。

 午前7時10分、意を決して最小限度の身支度をし、ホテルで ビニール傘を借り、香林坊交差点に立つ。
・・・・・・やや小振りだが、傘をささない訳にはいかない。

 午前7時30分、やや遠回りをしながらも兼六園の真弓坂入口 に立つ。
・・・・・・まだ小雨。しかも、観光案内には午前7時開園とあったの が、なんと無情にも10月末日から開園8時の表示が・・・・ある。

 蓮池門通りから茶店通りを抜け、金沢城石川門まで歩く。
・・・・・・雨はかなり小降りとなり、遠くの空の一部が急速に青空に
変わり始めている。

 午前8時、正しく開門待ち状態で、桂坂口から300円を支払い 漸く入門するのである。
・・・・・・日頃のおこない?この時すでに、傘の要らない状況に・・・・。

(Mixi日記と重複しています。)



兼六園脇の茶店通り

11月17日
(THU)
 『2日留守にする』

 ここのところ、かなり忙しく過ごさせてもらっている。
仕事以外の断り切れない用件や、最低限度のおつきあいもあるのだが、有り難い『仕事』も何とかさせてもらっている。

 午後9時をまわり、簡単に夕食をとり、本来ならこんな事を書いている暇など無いはずなのだが、食後の休みと言うことで、これを書いているのである。(所謂、ゴクヤスミというやつだが・・)

 明日からは、H人会青年部全国大会とやらで金沢へ行かなければならない。私が会社の代表者となり、平日の金・土曜日に会社を空けるのは、17年経つが情けないかな始めての事でもある。
 さぁ、せめて12時前には仕事を終わりにしよう。


11月16日
(WED)
 『浅間−埼玉−金沢』

 浅間山麓(嬬恋村)の明日の天気を見てみる。
最高気温が午後12時で3℃、最低気温が午前0時で−3℃ 一日中晴れのマークとなっていた。
 私の住む埼玉県では、午前6時の最低気温3℃で、最高気温が13℃ やはり一日中晴れとなっていた。
 そして、明後日訪れようとしている金沢市、午前6時の最低気温が5℃、正午の最高気温が11℃。
 うーん、埼玉県とさほど変わらない気温のようである。
 しかし、背広にネクタイと言う格好で、2日目のひとり金沢徘徊は無理がありすぎる。しかし、余計な荷物は持ちたくない。
 数日前からの私の悩みである。

11月13日
(SUN)
 『平均年齢・・・才のコンサート』(森山良子)

 久し振りにコンサートへ出かけた。
しかも、ロックやブラコンやAORや矢沢永吉のコンサートでなく、もも・・・もり・・『森山良子』のコンサートにである。(別に驚くことはないのであるが。)

 正直、数年前からその機会があったら一度お目にかかりたいと常々思っていた。考えてみればTBSラジヲで、ほぼ毎日お耳にかかっており、CDやアルバムは持っていないながらも、自然と彼女の楽曲は随分と知っていたのも事実である。
 NHK紅白で歌った『涙そうそう』はもちろん、トウモロコシ畑でなく『サトウキビ畑』、何と私が子どもの時(10歳前の幼少)聞いた『禁じられた恋い』『この広い野原いっぱい』等々・・・、時々テレビで見かけるステージなどでも、彼女のその歌唱の実力は誰もが認めるものであろう。

 バックバンドには、数年前に矢沢おじさん(永吉)のアコースティックLIVEで演奏を努めていたメンバー(ギター・ベース)が二人加わって、私好みの、とてもJazzyなFusion系の音質に仕上がっており、大人の女『森山良子』のトークも非常に楽しく、久々に大満足なコンサートとして聴けたのである。
 しかし、ビックリしたのがお客さんの年齢層であった。明らかに80歳以上のお年寄りを始め、どう少なく見積もっても平均観客年齢は50代後半から60歳代・・・・・。しかも演歌のステージでは定番なのか、15分間の休憩があったのには、何とも始めての経験で驚くばかりであった。
 
 
 下の写真は、夕方、手持ちで慌てて?撮影した紅葉である。
    (今度は三脚を立て、じっくり撮りたい。)

11月3日
(THU)
 『週末ではない紀行〜吾妻渓谷・四万温泉』

 午前5時起床の予定だったが、不覚にも起きたのは午前6時過ぎとなってしまった・・・・。

 しかし、何とか午前8時前?には曇り空の吾妻渓谷へ辿り着く。
 しかし、何と天候も曇り模様。
 しかも、紅葉が早過ぎるのか遅過ぎるのか、思ったような光景には、ありつけない。しかも、時折小雨まで降りだしてくる。

 記念に吾妻渓谷から眺めた紅葉を、数ショット強引にデジタルデータに収めてみる。

 足早に吾妻渓谷を諦め、四万温泉(奥四万)へ移動・・。



吾妻渓谷から見た紅葉

10月30日
(SAT)

 『ニートな一日』

 昨夜は久し振りに酔っぱらって帰宅した。
風呂も入らずに寝て、今朝起きてからもぐずぐずとしていたので、行動を起こしたのは午後1時30分から柴犬シンちゃんを連れて河原へ行ったこと位だろうか。 
 ・・・・・・・・これじゃ、まるで流行のニートだな。


写真は先週の魚止めの滝上部であるが、あまり
紅葉には良い場所ではないのを改めて知るのである。

10月21日
(FRI)
 『GOOD WILL HUNTING〜旅立ち』

 まぁ面白い映画に巡り会うなんてこんなものなんだろう?
 期待して借りてみた「オールドルーキー」は居眠りに中断され、それ程面白くなかったし、家内が間違って借りた?
『GOOD WILL HUNTING〜旅立ち』(タイトルさえ聞いたことがなかった。)を昨夜風呂に入ってから(午前1時30分過ぎか?)それは偶然、見てしまったのである。これが何とも私好みで、午前3時がアッという間だったのだから、46歳の男のする事ではない・・・・。

10月17日
(MON)
 『千葉ロッテマリーンズ』

 最近、すっかり感動と言うものから遠遠くなってしまった私だが、千葉ロッテマリーンズ−ソフトバンクホークスのプレーオフには流石にしびれた。特に今年のプロ野球のつまらなさを唯一カバーしてくれたのは、この千葉ロッテマリーンズと言っても過言ではないかもしれないのだ。

 考えてみれば野球は好きだが、日本で本当に好きなチームは無かったような気も・・・・。近くに住むA井さんが31年前に勝ち取った日本一を、千葉ロッテマリーンズで再現してくれたら、いや、タイガースと死闘の好ゲームを見せてくれたら、一挙に私のお気に入りチームになるのは間違いないだろう。
 ジャイアンツの(イヤ清原の)試合の実に面白くない事・・・・。

10月10日
(MON)
 『Monday 10.10.2005』

 朝から激しい雨。
午前7時30分、「柴犬シンちゃん」も散歩を諦めたのか、犬小屋に入ったままで散歩の催促はしない。こんな日は、朝風呂にゆっくり入りベークルサンドで朝食を済ませ、MLBの地区決定戦ヤンキース対エンジェルスの試合でも観戦したいものである。
 しかし、昨日のコスモス祭の後片づけに雨の中を出かけてゆくのである。

10月7日
(FRI)
 『迷惑めーる・・・・・・』

 今日が終わるまでにあと2時間30分程だが、本日(10月7日)付の着信メール総数が80件以上になっている。・・・・・これは異常事態である。
 その中で本当に私に必要なメールはたったの7件ほど、残りは所謂『出会い系』や『エロサイト系』と呼ばれる迷惑メールの類である。代表的な件名を記するとこんなものだ。

 ■金持ち女性と逆¥交際
 ■人妻好きには”ヨダレ”が出る程。。。
 ■女子校生セフレ紹介所
 ■誠にお世話になっております
 ■通達したい事が有りまして・・・
 ■乳首を切って!!
 ■セレブの決定版! 幢ョセ2d・ヨ
 ■経験してみる?(-_-;
 ■会ってくれれば差し上げます。
 ■突然すみません。私の妻を犯して下さい
 ■女の子を飼いませんか?
 ■高額援助でも無理かな?(涙)
 ■私を抱いて下さい
 ■簡単に大金を稼いでください《ID105246様特別企画》
 ■今からって逢えますか?
 ■いい天気ですね?!

    ・・・・・・・・・・・・。


 タイトルさえ、とても他人には見せられない。

 中には私自身のメールアドレスを騙って届くのも何件かあり、それが友人の所へ行っていないか心配でもある。
 当然それらの迷惑メールはメールボックスを開くたびに削除する訳で、70件以上も削除するには忙しい時などは、いささか閉口するばかりである。

 
 『3回位は・・・・・・・・・・』

 久々に面白いFLASH?というのか?、があり、真剣に見入ってしまった私は、吹き出さずに入られなかった。取りあえず3回は笑えたのである。

 たまにはこういったほのぼのとした画像もイイものである。
 取りあえず3回は見られたのである。

 『まいあひー、まいあはー、まいあふー・・・・・』
 真剣には見たことがなかったが、さすが評判になるだけのことはある。何とも発想と思いつきは素晴らしい。作者は商売にしたのかなぁ。
 感心しながら3回は見られたのである。
   まいあひー


10月5日
(WED)
 『先延ばし』

 ここには記せないが、先延ばしにしている案件がある。
 ある人物に、とりあえず電話で了解を取り付ければ、物事がずーっと進展するのにそれが出来ないで数週間が過ぎてしまった。それこそ「明日こそ、明日こそ」と時間ばかりをやり過ごしてしまった。長引けば長引く程に、その物事が困難になるのは分かっている。
 きっと自身、それをしたくないと言う証なのであろう。
しかし・・・・・・。
 「さぁ、どうする?」と言うよりも、今やらなければまるでゼロ。スタートは切れない。

10月1日
(SAT)

 『あの鐘を鳴らすのはあなた』
 
 あまり見ないテレビをたまに見ていると、どうしても好きになれないヒト(て、言うかあまりの嫌悪感でチャンネルさえ回してしまう事も・・・)が数人は居るものである。
 その人達は、お茶の間では結構な人気者であったり、好感度ランキングの上位に名を連ねていたり、まぁ私だけが何かの相性が合わないのか、私がひねくれ者なのか、へそが曲がっているのか、生理的に受け付けないとでも言うべきか・・・・とにかくテレビの向こうでは、私の存在さえ分からんのだから、あくまでこちらだけの問題ではあるのだが・・・・・。

 W○アキ子さんもその一人なのだろう。
しかし、そんな彼女の歌った「あの鐘を鳴らすのはあなた」だけは絶讃素晴らしい。ソウルフルな歌唱に、なにより詩がシンプルでストレート。最近人気のサンボマスターズと、クレージーケンバンドの横山剣がカバーするのも充分うなずける。

 『人物は嫌いだが、その人が歌うその曲だけは好き』と言う変にねじれた関係なのである。
 皆さん、さぁご一緒に・・・・・・。

「あの鐘を鳴らすのはあなた」
              (作詞:阿久悠 作曲:森田公一)

  あなたに逢えてよかった
  あなたには希望の匂いがする
  つまずいて傷ついて
  泣きさけんでも
  さわやかな希望の匂いがする

  町は今 眠りの中
  あの鐘を鳴らすのはあなた
  人はみな 悩みの中
  あの鐘を鳴らすのはあなた
 
  あなたに逢えてよかった
  愛しあう心が戻って来る
  やさしいいたわりや
  ふれあう事を
  信じたい心が戻って来る

  町は今 砂漠の中
  あの鐘を鳴らすのはあなた
  人はみな 孤独の中
  あの鐘を鳴らすのはあなた





9月30日
(FRI)
 『カレンダーをめくる日』

 遅咲きの彼岸花も、今週末のみで見頃は終えてしまうのだろう。
   ・・・・・きっと。
 そして、相変わらず何気なく9月も通り越し、どう贔屓目に見ても季節は『秋』としか言えぬ季節を迎える。
 4月から始めたクソ重たいYahooブログの他に、LIONS-CLUBの委員会のコミュニティサイト『Mixi』(多分登録者でなければ閲覧できない)の参加を薦められ試してみるが、どれもその意義を完全に見つけだせず、結局は自己満足の世界と、自身の癒されの為の行為でしかないのは明らかである。
 まぁ到底、表現者でなくとも、自身の心とまでは行かぬが記録帳と言うところで2005年の9月を締めくくろうと思う。



 『2005年今月の印象的な場面』
@4ヶ月ぶりにゴルフをする為に、前日わざわざ北軽井沢のゴルフ練習場で、浅間山を眺めながら50球ほど打ち込んでみる。
A4ヶ月ぶりのゴルフコンペにイヤイヤ出てみたら、ドラコン賞を二つも獲得してしまう。
BレンタルDVDを相当借りるが、見たのは数本。『ぱっちぎ』
C取引先の取締役の通夜に参列するため、鴻巣の『みずほ斎場』へ初めて行く。(この為ゴルフのパーティには出ず)
D野球の審判をするために5日を費やす。
E恒例となった愛犬シンちゃんの散歩を相変わらず続けている。
F総選挙で小泉自民党が歴史的な勝利を収める。(地元小泉さんはこの為敗北)
G右足の甲の中心やや外側が意味も無く痛い。何故?生活に支障はないが・・・・痛風ではないと思うのだが。
H相変わらずの仕事振り・・・・・・??
I相変わらずやらなければならない難問が次々と・・・・。



9月24日
(SAT)
 『休みと休みの間』


 今日は祝日と日曜日に挟まれた土曜日。もちろん全員出勤であった。
 三連休にしてしまおうかとも随分と迷った挙げ句、どうやっても予定の仕事が間に合わないのと、零零細会社の宿命かそんな余裕はなかったのである。仕事があるときには有り難くやらせて貰おう。

9月23日
(FRI)
 『お彼岸』

 お彼岸の意味をI-Netで調べてみたら、こんなくだりがあった。

 
 悟りの世界に至るために、仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。

  [布施] 他人へ施しをすること
  [持戒] 戒を守り、反省すること
  [忍辱] 不平不満を言わず耐え忍ぶこと
  [精進] 精進努力すること
  [禅定] 心を安定させること
  [智慧] 真実を見る智慧を働かせること


 彼岸に行くことを願って(煩悩や迷いに満ちたこの世を「此岸」と言うらしい)、行いを慎むことがお彼岸法要の本来の意味とあった。


 なるほど・・・・・、大いに改めなければいけない。

 

9月14日
(SAT)
 「カンツォーネ」

 TBSラジヲの森山良子の番組で「砂に消えた涙」が流れた。
それは数年前の矢沢おじさんが、大宮のLIVEで確か歌った曲でもある。
 夏も終わりというのに、何とも夏らしい(しかも初夏)曲であり、季節はずれているが、しばし仕事の手を休めて聞き入った。

 「砂に消えた涙」をその日の夜、I-NETで調べてみると、1964年にヒットしたイタリアのカンツォーネであることを知り、早速Amazon.comで竹内マリアが、やはりこの曲をカバーしているアルバムと合わせて購入してしまうのである。

 若い衆には決して出来ない、実に中年のおじさんらし衝動買いである。
・・・・・・・・と初のカンツォーネアルバムを聞くこの頃である。

 

9月9日
(FRI)
 『いつかは暇人』

 おそらくとても叶わぬだろうが、私の老後の??楽しみ一つに、私自身が生きているうちに触れ、感激した音楽『BEST100-SONG』をまとめてみようと、レコードを聞くたびに「この曲はそれに相応しいのか」、BEST100には惜しくも入れられないかをメモをしてみた。 

 当然それは途中なのだが・・・・・・、以下はそのメモである。

 (順不同)
@Nothing's Gonna Change My Love For You
    ・・・・・・George Benson(1984)・・・20/20

AWe're All Alone
    ・・・・・・Boz Scaggs(1976)・・・Silk Degrees

BHarbor Light's
    ・・・・・・Boz Scaggs(1976)・・・Silk Degrees

CHow Deep Is Your Love
    ・・・・・・Bee Gees(1978)・・・Satday Night Fever

DFeels So Good
    ・・・・・・Chuck Mangione(1977)・・・

EAngel
    ・・・・・・Aerosmith(1987)・・・

FLa,La,La,Means I Love You
    ・・・・・・Prince

GAmanda
    ・・・・・・Boston(1986)・・・

HWait For Me
    ・・・・・・Hall&Oates(1979)・・・

IEvrytime You Go Away
    ・・・・・・Hall&Oates(1979)・・・

JBaby Come Back
    ・・・・・・Player(1977)・・・

KLost In Love
    ・・・・・・Air Supply(1980)・・・

LTake My Breath Away
    ・・・・・・Berlin(1986)・・・Top Gun

MGreatest Love Of All
    ・・・・・・Whitny Houston(1985)・・・


 とここまで聞いたところで、その後Whitny Housutonの『そよ風の贈り物』オリジナルアルバムを通しで、全部聞くことになるのである。そして、前に閲覧していた彼女への素晴らしい賛辞を思い出したのである。
 なかなか素晴らしいので拝借してしまおう。(以下)



 ホイットニー・ヒューストンの歌には、とてもいい思い出がある。
 それはジャマイカでのことだった。1998年のことになるが、当時の私は国連による「子どもの権利に関する条約」に沿った企画として、キングストンでCDのレコーディングを行なっていた。お目当てはジャマイカのレゲエ・ミュージックではなく、レゲエの背景にある「捨てられた子どもたち」の歌である。
 山の中のある孤児院では、数十人の子どもたちがアフリカン・ダンスやジャマイカの古謡、最新のレゲエにいたるまで、次々と歌い踊ってくれた。彼らの「出し物」は、すなわちレゲエがどのように作られたかの見事な傍証であり、貧しき者、傷を負った者たちのためにこそレゲエはあると、私は実感した。
 彼らのレパートリーの中で、繰り返し歌われたのがホイットニーの「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」だった。
 言うまでもなく「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」は、1985年に発表された彼女のデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの Whitney Houston』の中に入っている美しいバラードである。
 私はこの時、この歌が、親に虐待を受け、路上に捨てられた子どもたちをどれほど勇気づけているか、初めて知ったのである。
 子どもは未来である、子どもの心の中にある輝きを見つけ、プライドと笑い声を与えようと歌われる「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」が、幼児から17、18の青年に至るまで、心身のどこかにキズを負った者たちの口から次々とついて出た時、私は彼らを正視することはできなかった。
 なんぴとも私の尊厳を奪うことはできないという内容を、二人の幼児が歌うのである。もちろん「ディグニティ」という難しい言葉をこの児たちが理解しているとはとても思えない。しかし、先生からこの歌は君たちのものだと教えられたのか、意を決してマイクの前に向かう姿は、俗事にまみれた大人たちに矢を放っているようにも見えたのである。

9月8日
(THU)
 『音楽監督 加藤和彦氏』

 3泊4日で『パッチギ』のDVDを借りて観た。

 判りやすいストーリー展開と、要所にザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』のメロディーが流れる。

 エンディングの『あの素晴らしい愛をもう一度』が流れる頃には、レコード棚から唯一持っているザ・フォークルのアルバムを引っ張り出してしまった。

 まぁストーリーはともかく??、音楽がこれほど重要な意味を持った映画はそれ程ない。まさに『イムジン河』の楽曲とザ・フォーク・クルセダーズが創らせた映画と言えるのだろう。


9月3日
(SAT)
 『散 歩』

 昨日と今日と午前5時に起きだし、「柴犬シンちゃん」の散歩に時間を費やす。今日などは午前5時30分に家を出て、いつもの駅南口希望が岡公園周辺から中学校周辺をまわり、帰宅すると午前6時50分であった。
 何と80分も我が家の愛犬となった「柴犬シンちゃん」と一緒に時間を過ごしたこととなる。大きな声では言えないが、近年私の家内ともこんな長時間、時間を共にすることはない。
 夜は夜で、私がよほど会議か何かで時間が取れぬ以外は、30〜40分は「シンちゃん」と散歩を楽しむ。

 私の限られた時間の中で、確実にその時間は固定化されつつあるのである。

9月2日
(FRI)
 『名 刺』

 昨日と今日の2日間で、20人と人達と名刺交換を行った。
私が名刺を差し出し、あいにく名刺を持ち合わせていなかった人も数人いたので、私自身の名刺25枚以上は人の手に渡ったことになる。
 だからどうしたと言うことはないが、自分の名刺が相手に渡り、知らぬ人の名刺を私が貰う。ただそれだけの行為が、何故か随分と面識を深めた気分にさせるから不思議である。


 正直、物覚えの悪い私は、一度名刺を交換した相手と二度三度と名刺を交換してしまい恐縮したことは数知れない。
 そんな時は思わず「この名刺が5枚でプレゼントがあります。」などと、つまらぬギャグで逃れてしまうしかないのだが・・・・・。

8月31日
(WED)
 『大往生』

 先日久し振りにBOOK-OFFへ行った。
 お目当てはコミック本「キャプテン」と「プレイボール」だったが、恐ろしいほど並んだ古本の中から、結局それらを見つけ出すことは叶わなかったのである。
 10分で店を出ようと思っていたのだが、結局30分以上滞在し、前々からBOOK-OFFで買おうと決めていた永六輔の「大往生」と「第二の大往生」の2冊、合計210円で購入し帰宅するのである。

8月28日
(SUN)
 『Rawlings』

 46歳と8ヶ月と言う年齢で、普段、犬の散歩程度の運動しかしていない私が、まして野球の試合に出るという事など、哀しいかな体力的にも精神的にもかなりの苦痛であり、正直ジャイアンツの工藤(42歳)どころの騒ぎではないのである。

 まして、スタメンに名を連ねる私のポジションは、三塁ベンチより遙かいちばん離れた右翼(ライト)で、打順は9番。いわゆるライパチ君よりまだあてに出来ない下のスタメンに名を連る事になる。

 ベンチから7・80メートル離れた守備位置に着き立っているだけでも、充分体力を消耗するというのに、ライトフライなど飛んできた時など、相当悪くなった目では距離感が分からない、仮に分かったとしても落下地点までとても走っていけない。嗚呼・・・・・

 バッティングにはさほど影響がないかと思いきや、やはりボールに対する集中力は散漫で、第一打席、高めのボール球を振って三振。弟二打席、強い当たりのファールの後サードゴロアウト。第三打席、強い当たりのファールの後、ゆるいスローカーブを空振りの三振(今度は遅すぎてボールが見えない)。

 こんな惨めな野球選手となってしまった私にも、辛うじて一つだけこだわりが残っている。
 それは、野球は「Rawlings」ブランドである。
 ユニフォームは当然私が選んだ、もちろん「Rawlings」ブランドであるし、バットもミズノ、SSKと数本あるが、私が使うのは、必ず「Rawlings」のバット。
まぁ結果はともかく、無意識のうちに野球は「Rawlins」ブランドだけを探してしまうのだから仕方がない。

私が発案し、家内に書いて貰ったチームのユニフォームロゴ。

8月20日
(SAT)
『DVD』

Amazon.co.jp
     『ラヴァーズ・ライヴ』は何もかもが超一流。このライヴ映像を見るシャーデーファンの胸には、いろいろな思いがよぎるかもしれないが、裏切られた気持ちだけにはならないはずだ。2時間で22曲(『ラヴァーズ・ライズ』アルバムに収録されたほぼすべての曲を含む)の演奏。それに加えて、DVDのボーナスとしてたくさんの特典がついている。コンサートの最初から最後まで、シャーデーは、胸が熱くなるような魂をサウンドに込める。2001年に南カリフォルニアで行われた2つの公演の模様を収録。素晴らしいバンドに、照明やサウンドエフェクトの効果もあいまって、ボーカルも輝きを増す。ドラマティックな演出だが、決してやり過ぎることはない。例え、世界でナンバー1のパフォーマーではなかったとしても、ポップスのアイドル達にはない、成熟した魅力がシャーデーにはある。『ラヴァーズ・ライズ』からの選曲である9曲の中でも特に「スレイヴ・ソング」と「イミグラント」にはグッとくる。演奏活動から遠ざかっていた間に、その声は深みを増し、微妙なニュアンスにみがきがかかったようだ。このショーは、ピュアにシャーデーそのもの。それがうれしい。(Sam Graham, Amazon.com)


 何〜んて書いてあるAmazon.comのレビューと、1,739円と言う破格の値段でSADEの輸入盤DVDを購入してしまった。リュージョンフリーとか云うDVDで、どんなプレーヤーでもかけられる。
 早速、3日連続でこのSADE-LIVEを寝ねがら・・(就寝前に)見てみる。 同級生であるはずのSADE、所謂おばさんにならず、ますます大人の女らしくくなっているのである。21年前のハスキーヴォイスでさえ少女のような歌声に聞こえてしまうのである。

8月16日
(TUE)
 『線路は続くよ・・・・』

 JR八高線用土駅から東(上り方向)を眺めると、小高くなったその先は緩やかな坂になっているらしい。
 望遠ズームを最大限にしてそこを覗いてみると、昼間なのにライトを点けた列車が近づいてくる。慌てながら思いっきりシャッターを切るのだが、マニュアルフォーカスでは、ゆっくりと走る来る列車でもなかなかピントが合わせられない。
 ここは20DのAIサーボAF、USMレンズの性能発揮の出番かと一生懸命操作場所を探すのだが、咄嗟にそんなマニュアルは思い出せないのである。


8月8日
(MON)
 『たまには時事放談・・・・・と言うやつ』

 正に日本を動かしているのは、この人達なんだな。
 今日午後1時からの参議院本会議で、郵政民営化が否決され国民大半が予想していた通り衆議院が解散となった。ほんの数時間前にである。
 小泉総理曰わく「総選挙を国民投票と考え国民に信を問う」と言うのが解散の大凡の明文となる訳か・・・?
 しかし、郵政民営化となり日本国民が、日本が、将来どうなるのか。?逆に今、民営化にならないと、ますます日本はダメになってしまうのか?私も一応、一国民として問われ、その答えを表さなければならない日が近いのだ。が、正直恥ずかしながら訳が分からない。
 朧気ながら分かるのは、小泉氏が政治生命、イヤきっと命を賭けて郵政民営化に挑もうとしている事と、小泉氏がこれを出来なければ、小泉氏以降当分の間、この郵政民営化問題は取り組めないと言うことである。イヤ、であろう。


 しかし、午後1時からの参議院本会議投票中継を、真剣にNHKラジヲから聞いているなんて、さすが40代後半?のおじさんのする事はちがうなぁ。

8月3日
(WED)
 『2005年の夏、8月になったのだ』

 何の気まぐれか、たった2ヶ月でページを更新することになる。借りてきたレンタルDVDをそろそろ観なければ、返却日が迫ってきてしまうというのに・・・・・・。

 まぁ手短に済ませよう・・・・・・・・。

 今日、昼飯を食べてから、たった1時間30分の会議に出席する為に、片道1時間30分かけて岩槻まで行って来た。往復に換算すると、単純に考えても3時間以上は車中の運転手になることになる。
 しかし実際は、岩槻インターの手前〜国道16号線へと・・・渋滞に巻き込まれ(当地の人にとっては当然の常識か?)到着したのは、会議開始より30分遅れの2時着。 結局、僅か一時間の会議に出席するために、約4時間は車中の運転手になってしまったことになるのであるが・・・・。

 何故かこんな時の私は、普段の引っ込み思案はどこえやら、遠路はるばる駆けつけた意義がないとばかりに、遅れて参加したことを臆せずに、結構な弁士??と化するのである。

 
 ご無沙汰してしまった義父母を訪ねた後で、けだるい夕暮れの新都心「けやき広場」へ行ってみた。何とこの時間でも(午後5時過ぎ)昼寝をしている人が二人居た。