如来寿量品第16 にょらいじゅりょうぼん (1)
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世尊は 「方便品第2」で 迹門しゃくもん の教えを説きました。 「本門/迹門」:「如来寿量品/経文」
如来寿量品では 本門ほんもん の教えを説いて 権ごん を開き・実じつ を明らかにしました。
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この品の重要な 二つの要点
1 常住不滅な仏の 本体を明らかにした。 2 常住不滅の仏が 滅度する理由を説いた。
この品の重要な 三つの言葉
1 開近顕遠 かいごんけんのん とは
釈尊の生誕という現実の事実によって、遠くにある真理・法が顕われたという意味。
世尊が、現実の自分の姿・行動・生きざま・を示し、近くの事実を説法していくなかで、つまり
衆生が釈尊の説法を聞いていくと 遠くの根源的なものが 顕われ見えてくること、をいう。
近くの事実とは、この世に生まれた人間・釈尊が悟りを開き 仏の教えを多くの衆生に説いた事実のこと。
真理・法は、遠くにある根源的なものです
人類発生のもっと前の前の前‥‥ 宇宙の誕生の時、すでに存在していました。
ですから、真理・法とは、イコール宇宙です。 なるほど!‥‥‥‥‥ボサツマン
釈尊は、厳しい修行・苦行を重ねた結果、その宇宙に存在する絶対の真理・法を悟ったのでした。
釈尊が法を悟られたという事実と、人類の歴史とには、ある密接な関係が‥‥‥‥。
人類は長い間、宇宙の初めから存在する法に 気付かず本能のまま生きていた。
人類の真の進歩と幸福のため、正しい宇宙遍在の法を 世に出て伝える人が 必要になってきた。
そういう機運が高まってきた時に 釈尊が迹仏しゃくぶつ として、この世に誕生されたのです。
釈尊の誕生は偶然ではなく、宇宙の立場からも人類の立場からも 必然のことだったのです。
釈尊が出世・成道されたというー現実の近い事実ーによって、永遠の過去から遠くに確かに存在していた
法ー根源的なものーが明らかになったということが、重要なことなのです。
2 開迹顕本 かいしゃくけんぽん とは
迹仏しゃくぶつ である釈尊が法を説き、その奥の本仏を顕わすことです。
迹 しゃく とは、形に現われた仏(迹仏)のことで 本とは、宇宙根源の「本仏」ほんぶつ のこと。
人間世界を生きた釈尊も、宇宙の真理そのものの 「多宝如来」も 極楽浄土を説く 「阿弥陀仏」も、迹仏なのです。
迹仏のその奥の奥には 必ず ただひとつの「真理」=「仏ほとけ」が 存在しているのです。
いろいろ違った呼び名で 様々な姿・形で この世に仏が現われても 根本は(壱)ひとつ なのです。
壱ひとつ の絶対の存在の真理を 久遠実成の本仏 くおんじつじょうのほんぶつ と呼びます。
3 開権顕実 かいごんけんじつ とは
衆生は 仏から権ー方便の教えーを聞いて、法の理解を深め 仏の道の信を高めていくのです。
権とは 仏が仮りの形・姿で顕れることで 権現ごんげん とは仏が神として顕れたという意味です。
例えば 徳川家康の場合
戒名に 大権現の文字を使用しているので 徳川家康は神(大権現)になったという意味を示しています。
「東照大権現 安国院殿 徳蓮社 崇譽道和 大居士」 とうしょうだいごんげん あんこくいんでん とくれんしゃ すうよどうわ だいこじ
東照大権現 とうしょうだいごんげん とは、東を照らす大きな神。 「徳川家康の言葉」
徳川家康は東照大権現と成り 日光の山に鎮座し 関東平野の安全と繁栄を見守っておられるのです。
又 開権かいごん には 方便の教えを説くという意味のほかに 正せい に相対する副ふく の意味もあります。
真実を説く過程の教えの方便の教えも尊いのだが あくまでも副の教えなのです。
つづく 弥勒菩薩、菩薩衆を代表して世尊に質問する